#13
芽榴がアメリカから帰ってきてからは、また芽榴が圭のお弁当を作ってくれていた。
一年前と違わず美味しいお弁当を食べながら、圭は仲良しの友人2人とお昼の時間を過ごす。
「今日一緒に勉強しようぜー。もう誰か見ててくんないと、俺、気づいたらゲームしちゃってる」
透が大きなため息を吐きながら、うなだれた。
竜司と透、そして圭は3人とも同じ大学を志望している。互いに学部や学科は違うから、偏差値もわずかに差はある。
そんな中で、圭と竜司は一応志望校の合格範囲内。このまま勉強をサボらなければなんとかなる領域。
けれど透は、もう少し頑張らないといけないみたいだった。
「じゃあ今日はうちで勉強するか。圭も来るだろ?」
竜司が場所を決めて、圭に話を振る。けれど圭は「あー」と少し気まずい声をあげた。
「ごめん。今日は先に、約束してて」
「早坂?」
透の問いかけに、圭は頷く。
今日は竜司たちよりも先に、優奈から「一緒に勉強しよう」と誘われて、約束をしてしまっていた。
「ふーん。このあいだも一緒に勉強してたよな」
透はそう言って、ジーッと圭のことを見てくる。その視線を無視できず、圭は「なんだよ」と眉を下げた。
「べっつにー。まだ付き合ってないんだよなーって不思議に思っただけー」
「だから早坂は……」
「いやいや、早坂は圭のこと好きだろ。いい加減分かってやんねーと早坂がかわいそう」
圭の鈍感発言をかき消して、竜司が声を重ねる。
竜司の言葉はごもっとも。
圭も芽榴が自分の気持ちに気づいてくれなくて悲しかった。
それと同じ気持ちを、圭は優奈に味あわせているのだ。
「でもさすがにさ、早坂に告られたら付き合うだろ、圭。あそこまで思わせぶりなことしてんだからさ」
透にそう言われて、圭はすぐには頷かない。
もし告白されたら――。そう考えてはみるけれど、答えはおそらくそのときの自分にしか分からない。
今ここで頷いても、実際にそのときになれば答えが変わるかもしれない。
今までが、ずっとそうだったのだから。
「まあ……そろそろ誰かと付き合いたいとは、思うけど」
圭がそう答えると、友人2人は驚いた顔をする。
今までもずっと頑なに「彼女はいらない」と言い続けた圭が、そんな返事をするだけでも進歩だった。
「うんうん。俺も圭に彼女できるのが楽しみだよ」
そして、まるで自分のことみたいに嬉しそうに透が圭の肩を叩いた。
「うるせー。お前もさっさと彼女作れよ」
「俺は圭と違って、作れるならとっくの昔に作ってるっつーの!」
ギャンギャン騒ぐ透に、圭は肩をすくめる。
そうして少し視線を移せば、竜司が一年前と同じように複雑そうな顔をしていた。
「早坂なら、一緒にいて圭も楽しいと思うよ」
優奈なら、圭を傷つけたりはしない。圭の「好き」の言葉がもし彼女に向けられたなら、彼女はその言葉を喜んで受け取ってくれる。
☆★☆
「あー、疲れた」
勉強を終えて、圭は優奈と一緒に学校から帰る。
圭と優奈の家はわりと近い。帰る方向が一緒なのも、圭にとっては好都合。
とくに回り道をしなくても、優奈のことを家まで送って帰ることができた。
「楠原くんって、要領いいよね」
「そう?」
「うん。部活引退してから、勉強に本腰入れてぐんぐん伸びてる気がする」
「そうかー? それでも早坂のほうが成績いいじゃん」
「そりゃあ、楠原くんには負けられないよ」
「なんだそれ」
それほど言葉を選ばずに気兼ねなく喋れて、優奈といるのはとても楽だった。
それもそのはず。優奈は芽榴じゃない。
圭の中にある、優奈への気持ちは「優しい」とか「面倒見がいい」とか、口にしても問題のない気持ちばかりだから。
「でも半年したら卒業して、楠原くんとこうやって帰ることもなくなっちゃうのかな」
「ははっ。早坂は俺よりいい大学行くだろうしな」
きっと優奈が求めているセリフはこれじゃない。
自分も寂しいとか、もっと一緒にいたいとか、そういうセリフを求められているのだと分かる。
けれど思っていないことをわざわざ口にするほど、圭は思わせぶりな人間ではない。
「私……楠原くんともっと早く仲良くなりたかったな」
「クラス一緒になったの、今年が初めてだしな」
「うん。でも私は、楠原くんのこと一年生のときから知ってたよ。楠原くんはモテるから」
優奈の話が、どんどん違う方向へと向かい始める。
圭にはなんとなく、この話の終着点が見えていた。
「でも楠原くんは、誰に告白しても断ってたよね」
「まあ……」
「好きな人がいるって。……あれは、断る口実?」
自分の家がもう近くなっているからか、優奈の話が急速に進んでいく。
この独特な空気を、圭は知っている。
優奈が立ち止まって、それに合わせて、圭も立ち止まる。
振り返って、圭は優奈のほうを向いた。
「ねえ、楠原くん」
「なに?」
「今もまだ、楠原くんは『誰とも付き合う気がない』って言うの?」
圭が手を伸ばして『付き合いたい』と思う人は芽榴以外にいない。こんなに近い距離にいる優奈にさえ、圭は『好き』という感情も『付き合いたい』という感情も芽生えない。
それても、そばにいたら気持ちは変わっていくのかもしれない。
「楠原くん。私、楠原くんのことが……」
好き、その言葉を聞く前に、圭の視線は優奈からその後方へと移ってしまう。
誰がそばにいても、その姿は一瞬で圭の視線をも奪う。
圭の視線の先には、芽榴がいる。買い物をしてきた帰りなのだろう。
ピンクのエコバッグを持った芽榴がそこにいて、圭と視線を交えた。
「芽榴姉……」
優奈も圭の視線が自分に向いていないことに気づいて、後ろを振り返る。
芽榴は圭と優奈の視線を受けると「あはは」とぎこちなく笑った。
「ご、ごめんなさい。お邪魔して。ごゆっくりー」
芽榴はにこりと笑って、駆け足でその場を去ろうとする。
圭の隣を急いで過ぎ去ろうとして、圭がそれを引き止めた。
「待って。荷物、一緒に……」
「大丈夫だから。……その子のこと、ちゃんと送ってあげて」
芽榴は圭に視線を返さない。その姿は、一年前のこじれたあのときと似ていた。
(なんで、こっち見ないの)
そしてそのまま、圭の隣を通り過ぎて、走って行ってしまった。
「く、楠原くん。今の美人さん、知り合い?」
「うん。ごめん……早坂」
圭には優奈のことを考えてあげる余裕などなかった。
申し訳なさだけはあるくせに、もう心は芽榴のほうしか向いていない。
「ここまでしか、今日は送れない」
「え? あ……家そこだから、それはいいけど……って、楠原くん!」
圭は優奈の話を最後まで聞かないまま、走り始めていた。
☆★☆
走っても、走っても、芽榴には追いつけない。それはまるで、芽榴の心と、圭の心を表すみたいに。
(ほんと、足速すぎだし)
芽榴はどこまで走ったのだろう。おそらく家まで走って帰ることはないはずだ。
だから圭は芽榴の姿を追いかけて、家までの道のりを駆ける。
そうして1、2分ほど走ったところで、圭はその後ろ姿を見つけた。
とぼとぼと頼りなく歩く芽榴の後ろ姿。
けれど芽榴はその足音に気づいて、圭のことを振り返ると、また逃げるように走りだそうとした。
「ちょっと、待って! 芽榴姉!!」
芽榴に走られたら、今度こそ追いつけない。
圭は最後の最後に力いっぱい走って、芽榴の腕を引いた。
息が切れて、芽榴を捕まえたはいいけれど、言葉が喋れない。
「……あの子は? ちゃんと送ったの?」
冷静な芽榴の声。でもやっぱり芽榴は圭の目を見ない。
圭は喋れない代わりに、首を横に振る。
「ダメじゃん。ちゃんと、彼女を送らないと……」
芽榴は圭の目を見ないまま、弱々しい声でそう言った。優奈のことを『彼女』と告げるあたり、芽榴にはさっきの会話は聞こえていなかったのだろう。
彼女じゃない、そうすぐに訂正しようとして、圭は押し黙る。
(やっぱ俺、イイ性格してるよ)
自分に呆れながらも、今回ばかりは芽榴のせいだと言い訳をして。
「芽榴姉が逃げるから。追いかけなきゃと思って。……一応謝ってから来たけど」
否定しないまま、言葉を続けると、芽榴は「そっか」と小さな声を出した。
そして圭が口を開く前に、芽榴は言葉を重ねた。明るい声音と笑顔で、圭から目をそらしたまま。
「もーひどいよ、圭。彼女ができたならちゃんと教えてくれなきゃ。いい雰囲気なのに、驚いて邪魔しちゃったじゃん。……とってもかわいくて、いい子そうだね」
畳み掛けるように、芽榴が明るい声で祝ってくる。
でもその言葉に、圭は傷つかない。優奈が本当の彼女じゃないというのも理由だけれど。
それ以上に、芽榴が本気で喜んでるようには見えないから。
「芽榴姉」
圭は芽榴の名を呼ぶ。芽榴は変わらず「ん?」と明るい声で返事をしてくる。けれどやっぱり圭の目を見ようとはしない。
「さっきから……なんで目そらすの」
圭がそう問いかけて、芽榴の肩がビクリと震える。
どうして芽榴がそんな態度をとるのか、圭にはその真意が分からない。けれど少なからず原因は分かるから。
「あの子は、彼女じゃないよ」
圭が否定して、芽榴はすぐに顔を上げる。
やっと絡んだ視線。芽榴の瞳は揺れていた。
「なんで……嘘ついたの」
「嘘ついてないよ。ただ否定するのが遅くなっただけじゃん」
意地の悪いことを言ってしまう。
圭は、嘘をついてはいない。ただ少し、カマをかけただけ。
意味のない、駆け引きをしただけ。
(でも、芽榴姉のほうがずるいじゃん)
今の今まで、目をそらしたまま、明らかに動揺を見せて。
否定したらすぐに圭と目を合わせて、安心したみたいに肩の力を抜いて。
(そんなんじゃ、期待するじゃんか)
喉のすぐそこまで、この言葉が出てくる。
けれど、どうにか堪えてその言葉を飲み込んだ。これは言わない約束。
芽榴に他意はないのだ。ただ本当に、圭が彼女のような女の子と歩いていることに驚いて動揺しただけ。
圭が自分に知らせてくれなかったことに、少しショックを受けたのかもしれない。
とにかく、それだけのこと。
「残念ながら、俺にはまだ彼女ができませーん」
あともう少しで告白されそうだったけれど。
でも芽榴のこの姿が見れたから、これでよかったと圭は思う。
「……そう、なんだ。ごめんね、勘違いして。でも女の子はちゃんと送らなきゃダメだよ」
「うん。でもそれを言うなら芽榴姉も女の子なんだから、1人でこんな夜に買い物は感心しないよ」
そう言って、圭は芽榴の持っているエコバッグをとった。
「圭、いいよ。学校の荷物もあるでしょ」
「大丈夫。その代わり、家帰ったら美味しい夕飯、期待してます」
冗談っぽく言うと、芽榴は「もう……」と困り声をあげて、肩をすくめた。
(よかった。……気まずくならなそう)
そんなふうに安堵していると、圭のスマホにメッセージが届いた。
エコバッグを持っていない方の手で、それを確認する。
差出人は優奈だ。
『帰り着いたよ。もしかして、さっきの美人さん……楠原くんの彼女?』
圭は優奈を置いて芽榴を追いかけたのだ。優奈の質問は当然。
『違うよ。あの人は、俺の姉ちゃん』
そう打ち込んで、圭は視線を芽榴に移す。
「……なに?」
圭に見つめられて、芽榴は少し気恥ずかしそうに目を細めた。
「ううん。なんでもない」
圭はスマホに視線を戻して、記していた文字を消す。
そして別の文字に書き換えた。
『俺の好きな人』
誰を傷つけても変えることのできない想いを、圭はそのまま送信した。