#11
芽榴がアメリカから帰ってきた。
圭と芽榴はあの日約束したとおりに、再会を果たす。
日本に帰ってきたら、まず最初に自分に会ってくれという、圭のワガママを芽榴は忘れずに叶えてくれた。
けれど、空港で1年ぶりに芽榴の姿を見て、圭は心の奥に閉じ込めた想いを簡単に引きずり出してしまう。
1年会わないあいだに、芽榴はとても綺麗になった。
1年前だって、圭にとって芽榴は誰よりもかわいくて、誰よりも素敵な女の子だった。
でも今、再会した芽榴は誰もが振り返るほどに魅力的な女性になっていた。
十年以上前に、圭が芽榴にはじめて会ったとき以来、見ることのなかった長い髪を揺らして。
「ただいま、圭」
優しい笑顔を、圭に向けて、芽榴は再会の挨拶をくれた。
(本当に、俺から遠いところへ行ったね、芽榴姉は)
心だけではなく、存在さえも。芽榴は圭から遠いところへ行ってしまった。圭のもとへ帰って来ても、もう遠くへ行った芽榴は帰ってこない。
こんなに素敵な芽榴が、凡人の自分のもとに戻ってきてはくれない。
「おかえり、芽榴姉」
再会して、一瞬でまた、恋に落ちる。
でもこの恋は、すでに終わったもの。
だから圭は、『弟』として笑顔で芽榴を迎えた。
☆★☆
アメリカで多くを学んだ芽榴は、日本に帰ってくるとともに、高校を卒業。
けれどギリギリ日本の大学の受験には間に合わなかったため、来年の受験に照準を合わせた。
だから芽榴は、高校3年生になった圭と同じ、受験生。
「一緒に勉強しよう」
1年前にもよく告げていた言葉を芽榴にかける。一緒に勉強した最後の思い出こそ最悪だけれど、圭と芽榴が一緒に勉強をして、お互いの妨げになったことは一度もなかった。
だから、すべてに終わりをつげて時が経った今、芽榴が圭からのその誘いを断ることはなかった。
ただ、昔のようにどちらかの部屋で勉強しよう、とはならない。
そこは、もう昔のようには戻れないところだから。
「アメリカ、楽しかった?」
勉強をしながら、こまめに休憩をはさんで、会えなかったときの話をする。
留学先の話を聞くと、芽榴は圭の大好きな困り顔で笑った。
「楽しかったけど、勉強ばっかりしてたかな。どうしても1年で帰ってきたかったから」
「それで本当に帰ってこられたから、芽榴姉はすごいよ」
芽榴が勉強しに行った留学先は、与えられた単位をすべて習得するのに最短で1年、最長で8年は時間がかかると言われている場所だった。それも1年で終わることができるというのは、常人では到底こなせない時間割と試験を乗り越えた結果の、あくまで想像論。1年で帰れる人は、ほとんどいないと、圭は調べて知った。
それをやり遂げて、芽榴は帰ってきた。もともと芽榴のことをすごい人だと思っていたけれど、結果もそろえて、その事実を圭は思い知った。
「それなのに、日本の大学にも行くの? 真面目すぎでしょ、芽榴姉」
「学べるものは学んでおきたいからねー」
のんびりとした芽榴の声を聞きながら、圭は芽榴の手元にある赤本へと視線を向ける。
もちろん、圭が志望する大学とは偏差値がかなり違う。
「神代先輩と同じ大学?」
芽榴が志望している大学は。芽榴の友人である元生徒会長の、神代颯が通っている大学だ。
日本ではトップの大学。颯がいてもいなくても、芽榴はその大学を選んだだろう。それでも少し、思うところはある。
「うん。だからたまに、神代くんから傾向とか教えてもらったりしてる」
「直近で合格した人だから、一番ためになるアドバイスくれそうだね」
アメリカから帰って来て、芽榴は高校の友人たちとよく会っている。とても仲が良かったから、それが当然。むしろ会わなくなったと言われたら、それはそれで圭は腹立たしく思ってしまうだろう。
「圭は? 私がアメリカに行っているあいだに、何か変わったことあった?」
芽榴は「自分の話ばかりじゃつまらない」と圭に話を振ってくれる。圭としては、芽榴の話が聞けたらそれだけで十分なのだが。
「俺の話? 変わったことなんて何もないよ。竜司と透とバカやって、毎日何も変わんない。強いて言うなら、受験生になったってことくらい」
芽榴がアメリカに行っても、圭の日常は何も変わらなかった。
変わったのは、芽榴のお弁当がないことと、芽榴が家にいないこと。
たったそれだけ。圭にとっては、それがとても大きな変化。
でもこの変化が辛かったなどと、安易に言葉を告げて芽榴を困らせるわけにはいかない。
「そっか」
芽榴はそこで短く言葉を切る。芽榴のほうも返す言葉を、考えているように思えた。
(彼女ができたって、言ってほしかったのかな)
なんとなくそう思った。
芽榴が圭に望む変化があるなら、きっとそれ。
そんな予想ができても、圭は自分からその話に触れようとしない。
下手なことを言ったら、また芽榴を傷つけてしまうかもしれないから。
せっかくここまで関係を修復できたのに、またこじらせるわけにはいかない。
お互いに無難な言葉を選んでいるけれど、それでいいのだ。不用意な言葉をぶつけて、互いの心を苦しめ合うくらいなら、相手のことを考えた言葉を口にしたい。
1年という月日は、圭のことも、芽榴のことも、大人にした。
「それよりさ、芽榴姉。ここ教えてよ」
そんなふうに無邪気なお願いこそ、芽榴は喜んでくれる。こんな言葉ならいくらでも用意できる。
芽榴は圭に勉強を教えるときも、前のようには近づいてこない。
だからといってあからさまに距離を取って、教えるようなこともしない。
普通の、距離感。心がざわつくことも、悲しむこともない、距離感で。
芽榴はまた、圭の隣にいてくれる。