第97話 美紗子が泣いた日その㉘ 根本VS水口
例えば圧倒的な力の差のある国家間の戦いは、戦争と簡単にいえるだろうか?
それはただの虐殺かも知れない。
そしてそれならば圧倒的な力の差のある個人間の戦いは、つまりこのお話でいえば小学生の諍い事は、それは喧嘩という事が出来るだろうか?
それはただの虐めかも知れない。
「あぁ?」
その声に根本は三つ網を引っ張ったまま美紗子から顔を上げては悠那の方を睨んだ。
机に手を付き立ち上がって叫んだものの、だから悠那はひるんで少しばかり膝をガクガクと振るわせる。
しかし自分が正しいと思う事は口に出して言わなければという勇気もまだあったので、それでも悠那は根本に対する恐怖を抱えながらも震えだした唇をゆっくりと開いては話し始めた。
「あ、あのさぁ、美紗ちゃんは何も謝る様な事なんてしてないじゃない。だからそんな事するのやめてよ。掴んでいる髪の毛も離してよ」
「そうだ! 髪の毛を離しなさい根本さん!」
これには水口も直ぐに反応して悠那に続いて叫んだ。
「あんたさぁ、いつも可愛い服着てお洒落で、ちょっと見た目も可愛いからってみんなにチヤホヤされて、美紗子と同じタイプだけれど。頭は馬鹿~w 私の話を聞いてたの? こいつはねークラスのみんなに迷惑を掛けたの。だからみんなの前で謝るのは当然でしょ。フン、だから手も離さないよ。罪人っていうのはこうやって地面を引っ張られて行くもんなんだろ。フフ」
「罪人って!?」
あまりの言葉に思わず繰り返すと、その先言葉を失う悠那。
根本は、「痛い…痛い」と声を漏らしながら、その痛みに負ける様にゆっくりと膝をついた格好で歩を進める美紗子の三つ網を容赦なく引っ張る。
それは異様な光景だった。
それまで大半の女子に受けが良く、クラスの男子にも人気のあった少女が、今やまるで処刑台へと向かうかの様に、教壇の方へと這い蹲らせられながら、歩いているのだ。
女子の大半は声もなくその光景を眺めては、あまりの行為に恐怖し、関わらない様にしようと沈黙を守った。
そしてそれはつい最近まで根本の仲間だった連中にとっても同じ事で、想像していた以上の根本の凶暴性に恐怖しては、それに加担しなかった事を幾分か安堵した。後に事が露呈しても私達は関係ないと。
また、中嶋美智子は俯いて目を閉じていた。
美紗子のそんな姿を見たくないという気持ちと、見れないという気持ちで、その両の瞼は強く閉じられ、そして心の中では強く念じていた。
(お願いだから悠那ちゃん、もう余計な事はしないで。これ以上根本さんを怒らせる様な事はしないで。美紗ちゃんは可哀想だけれど、悠那ちゃんまで虐めの対象になったら大変だよ。だからお願い、悠那ちゃん早く席に座って)
そんな感じで女子の大半が根本の行為を黙認する中、しかし今の対話の中で無視された水口だけは黙ってはいられなかった。
「ちょっと根本かおり! あんた私の話聞いてるの!」
自分の存在を無視するかの様に美紗子の三つ網を引っ張り続ける根本に、水口は叫んだ。
しかし相変わらず聞こえない振りでもしているのか、それには何も答えず三つ網を引っ張りながら教壇へと向かう根本。
(はっ、結局はみんな口だけだ。力ずくで止めようとする奴は一人もいない。そんなんじゃあ私には勝てない。つまりこれは私の勝ちだ。美紗子を踏み台にクラスの権力者になろうとした私は成功したんだ!)
そう思うと根本はつい嬉しくて、「クスッ」と笑みを溢した。
だから思わずその場で一度立ち止まると、つい水口の方を向いて口を開いたのだった。
「水口さんって、たかがクラスの副委員長でしょ? 上に学級委員長がいるんだよね? つまり下っ端って事でしょ。なんでそんな下っ端が、委員長が口を出さない問題に口を挟んで来る訳? あんたは下っ端なんだよ。それ分かってる?」
「し、下っ端ぁ~!」
その言葉に思わず水口はそう叫ぶと学級委員長である男子生徒の方の机を見た。
当然彼もその騒ぎには気付いており、椅子に座りながらも体は根本の方へ向けていた。が、それだけであった。
彼は顔面蒼白で、ただ事が早く終わる事でも望んでいるかの様な涙目で、到底立ち上がり根本に何かを言う様な雰囲気ではない。それどころか水口には『早く倉橋さんが土下座でも何でもしてくれ』っと、願っている様にすら見えた。
「ちっ」
だから水口は舌打ちをすると教室全体を軽く見回して、一度冷静になろうと努めた。
(見たところ大半の男子も女子も顔を俯かせて、根本や美紗子の方を直視しない様にしている。つまりは関りたくないという事か。この場で立ち上がり根本に抗議しているのは私と悠那だけ。他に味方になりそうな山崎幸一は…アイツは駄目か。心配そうな顔で美紗子の方を見ているが、やはり気が弱すぎる。硬直して動けないでいるみたいだ。それならば寧ろ根本の事を睨んで見ている遠野太一と、それから五十嵐君。こっちの方が何かしてくれるかも知れない。ただ、どちらも如何せん男子だ。女子の根本に何処までの事がやれるか。クソッ! 私の五年四組が、たかだか根本ごときで崩壊させられるなんて…そんな事、絶対許さない!)
そう思うと、水口はゆっくりと根本の方へ向かって歩き出した。
(こんな奴は幾ら口で言っても駄目だ。最終的には暴力には暴力で立ち向かうしかない。しかもそれは腕力のある男子達では女子の根本へは手をあげづらいだろう。だから私がやる。副委員長である私が、このクラスの秩序を守る為にだ)
水口には普段から自分なりの思想があった。
それは何か責任を負うべき立場に自分の身が置かれた場合、徹底的でなければならないという考え方だった。
責任を負うべき事に対して中途半端は一番いけない。
例えばそれは教師という職業ならば、自分からなった以上教師は先生でなければならないといった様に。人間であってはならないといった様に。
水口は特殊な責任を持つ人をその様に特別でなければならないと考えていたのだ。
だから、『特別な役割である副委員長を任されている自分は特別な人間で、みんなの生活の指導等をする権利を持つ。そしてその代りに私は、その他のクラスメイト達の様な普通の人間であってはならない。いつどのような状態であっても、模範でなければならないからだ』等と考えながら真っ直ぐに根本に向かい歩き近付くと、水口は以前美紗子の頬を叩いた様に大きく右腕を振り上げた。
(これは実質的には暴力ではない。指導だ!)
そう心の中で叫びながら水口は振り上げた右腕を、掌を広げ根本の頬へと向けて振り下ろしていく。
しかしその時だった。
根本かおりは兄姉からの暴力で、そういう事には慣れている。
だから水口の平手打ちよりも一瞬早く飛び出す蹴り。
そうそれは何度となく紙夜里を苦しめた根本の足だった。
根本の蹴りは水口のスカートから出た左足の膝裏を激しく蹴り上げる。
それにより体勢を崩した水口は転ぶ様になり、その平手打ちも空を斬る。
「きゃっ!」
ドカッ!
机の間の通路、相変わらず根本に三つ網を掴まれ這い蹲る様にされている美紗子の目の前に尻餅をつく水口。
「水口さん!」
思わず美紗子が声を上げる。
「もうやめろよ!」
そしてその美紗子の声に、悠那もまた根本に何かを言おうとした瞬間だった。
男子の声がした。
幸一が恐怖からか、震えながらも立ち上がり叫んだのだ。
「倉橋さんを虐めるのはやめろよ。その手を離せ!」
「あら、やっと旦那が登場か~はは、私色々知ってるんだよね~」
幸一の続けて言った言葉に不敵な笑みを浮かべて答える根本。
(何を知っているというんだ…)
その言葉にクラス中の前で何を言われるのかと思うと立ち上がった事を少し後悔し、幸一は不安になって来た。
その頃美紗子は、幸一の言葉にこういう時でもみんなの前では『美紗ちゃん』とは呼ばず、『倉橋さん』と呼ぶのかと思っては、悲しい気持ちになっていた。
つづく
いつも読んで下さる皆様、有難うございます。





