第88話 美紗子が泣いた日その⑳ 保健室での出来事
紙夜里は布団の中でその根本の言葉にドキリとした。
(コイツ今なんて言った? 今日美紗ちゃんを土下座させるだって? しかも人のお腹を蹴ったり階段から落としたりしたくせに、私に仲間の様な口調でそんな事を教えてよこした。何なんだコイツ。私はコイツの事をクラスから浮いているお馬鹿な子だと思っていたけれど…実は思っていた以上に賢いの? それとも何かでも取り憑いている?)
根本の言動に紙夜里は、それらの出来事が自分の想定の範疇を初めて超えた事を悟り恐怖した。
(この状況、私は何て答えれば良いのか? 読めない)
だから紙夜里は布団の中、唇をギュッと噛み締めたまま、沈黙を続けた。
根本が紙夜里を敵視している事は先程の行動から明白だ。
それなのに今は、そんな事など何も無かったかのように、自分に情報を与えた仲間の様に、今度はあちらから情報を与えて寄越した。
一体何を考えているのか?
「どうしたの? 折角教えてあげたのに、顔も見せなければ口も開かないで」
だんまりを決め込む紙夜里に業を煮やしたのか、根本は再び口を開いた。
しかもそれは多勢に無勢という事もあるのかも知れないが、優雅で余裕のある口ぶりだった。
保健室のベッドの周りを囲み、見下ろす根本とその仲間達、そこには完全なる優越感が存在している事は、例え布団を頭まで被り直接には見ていなくても、紙夜里にも容易に想像する事は出来た。
だからこそ余計に紙夜里は言葉を選ばなければならないと考えたし、かえって下手な事を言うよりはだんまりを決め込んで相手の次の出方を見る方が懸命だとも思っていたのだ。
そして案の定、根本は口を開いた。
「もしかして、何で教えるんだろう? 何て疑問に感じてる?」
そこで根本は一度口を閉じると、ベッドの上の布団の膨らみ、紙夜里が潜り隠れているであろう場所を頭の天辺から足の先までゆっくりと眺めた。
布団の形から横向きに体を丸めて防御の姿勢をとっているのが分かる。
それは更に根本に優位な感情を起こさせた。
「教えても何にも出来ないから。私とあなたでは象と蟻の差だから。だから教えたの。教えられて何にも出来なくて、助けて上げられなくて、虐められた後の美紗子と、橋本さんどんな顔が出来る? どんな口が利ける? ふふふ、面白いよね~。グチャグチャになるの。体だけじゃない、心もどんどんグチャグチャになるの。美紗子ももう今までの様には笑えない。周りの顔を卑屈に見るようになる。だってさー、不公平じゃない! いつだって幸せそうな人は同じ人で、そいつらばかりいつも笑顔で、不幸な人運の悪い人付いていない人もいつも同じ人で、そういう人は本気では笑わせてもらえないで。そんなの絶対おかしいよ。それも美紗子は皆んなに迷惑をかけているんだよ。それなのに何事も無かったかの様に毎日普通に学校に来てさ。優しそうにキラキラした目で微笑んで。あんなのは世の中の不公平の象徴だよ! ムカつく!」
(絶対おかしいのは、お前のアタマだよ)
根本の話を布団の中で黙って聞きながら、紙夜里はそう思うと思わず自分の言葉に笑いそうになって、急いで口元に手を当てるが、腹筋がピクピクと動き、外から見ても布団が揺れるのは見て取れた。
「笑ってる?」
だから根本の仲間の一人がそれに直ぐに気付くと、続いて他の一人も揺れる紙夜里の横腹辺りの布団を指差して言い出した。
「あ、ホントだ。お布団ピクピク動いてる」
「ホントだ」
もう一人の子も言う。
こうなると根本は段々面白くなくなり、腹が立って来た。
仲間達の指摘する声も、自分が馬鹿にされている様な被害者意識の気分にさせたのかも知れない。
黙ったまま根本は突然後ろを向き歩き出すと、保健室の角隅の方に向かい、立て掛けられていた柄の長いモップを持って戻って来た。
そして仲間達がその様子を何事かと黙って見守る中、それを逆さまにモップの方を手に持つと、高く振り上げて柄の方で布団の膨らんでいる部分、紙夜里のいる場所を目掛けて振り下ろした。
ばしっ!
「痛い!」
思わず声を上げる紙夜里。
しかしそんな事はお構い無しに、無言で何度も振り上げては降ろして叩き続ける根本。
「きゃー!」
布団の中からは紙夜里の叫び声がくぐもりながらも響いていた。
「ちょ、ちょっとかおりちゃん!」
その様子を思わず黙って眺めていた仲間達も、紙夜里の叫び声に我に返ると慌てて根本へと声を掛け始めた。
「誰か来ちゃうよ」
「ヤバイって」
しかしそれらは言葉だけで、誰も根本の体に触れて止めようとはしないので、根本は更に数回それを振り下ろすと、最後に紙夜里の怪我しているであろう足首を狙って思い切り振り下ろした。
「あっー!」
足首に激痛が走り声にならない声を叫ぶ紙夜里。
根本は持っていたモップをそのままベッドの脇へと放り投げる。
「私の事を馬鹿にして。皆んなで馬鹿にして」
荒い息で紙夜里のいる場所を見下ろしながらそう言うと、根本は周りの仲間達を一瞥する事もなく後ろを振り返り、出口へと向かい歩き始めた。
「いくじなしっ!」
仲間達へそう言葉を投げ捨てて。
つづく
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