第8話
「結構アイツやるじゃん」
正面を向いたまま、北村颯太は隣にいる遠野太一に向かって小声で呟いた。
「たいした事ねーよ」
それに対して太一はちょっとムッとした顔で答える。
「ふーん」
颯太は今度は隣の太一の顔を見て、値踏みでもする様にそう言った。
「なんだよ!?」
その余裕のある態度にちょっとムカついて、太一も横を向いて颯太に丁度そう言った時だった。
バシッ!
太一の目の前で颯太に当たったボールは、跳ねて地面へと落ちた。
「あ、当たっちゃった」
白々しい口調で言う颯太。
「なんだよ、お前! ワザとだろ」
呆気に取られた太一が叫んだ。
「えへへへへへへ」
ワザとらしく笑いながら、颯太はコートの外へ出ようと歩き出す。
二組のもう一人の男子が転がっていたボールを拾いに来ながら颯太に呆れた様に声を掛けた。
「お前、そろそろ野沢さんが帰って来るからワザとだろ? マジかよ~ ズルい奴~」
「むはははは」
それに対して颯太は堂々と、ワザとらしく大袈裟に笑って見せて、それから太一の方を向いて言った。
「お前も俺くらいだったら、もっと気楽なのにな」
「は~?」
太一は意味が分らず首を傾げた。
ボールを拾った二組の男子は、太一の側に来た。
「さっきの野沢さんって?」
気になっていた太一は思わず尋ねた。
「野沢奈々。同じクラスの女子さ。そろそろ補習、居残り勉強終って、此処を通って帰って来る筈なんだ。アイツ、それまでの時間潰しでドッヂボールしてやがった。信じらんねー」
「はあ? 何それ、颯太の彼女?」
太一は思わず呆れた声で更に尋ねた。
「彼女? ぷっ! ははははは」
思わず笑い出す二組の男子。
「ないない! 友達ではあるけれど、それはない! 野沢さん偶に颯太に追い掛けられて逃げてるもん」
「何だそりゃ」
「アイツ、皆んなに自分から言って回ってるけど。颯太がとにかく野沢さんを好きなんだって」
「そりゃあ、その野沢さんは、いい迷惑だな」
「まあな。おかげで他の奴は誰も野沢さんには手を出せない感じだからな。ははは」
「それは酷い」
そう言いながら太一はコートの外に出ている颯太の方を眺めた。
颯太はニヤニヤと笑いながら、太一と目が合うと口を開いた。
「お前もこの手使っていいぞ~!」
颯太の大きな声は、幸一達のコートの方にまで聞こえた。
「ボール投げないで、何やってんだあいつら」
思わず五十嵐がぼやいた。
「何だよアイツ! こっちの話聞こえてたのかよ!」
二組の男子は驚いてそう言うと、持っていたボールを見て、思い出したかの様に突然ボールを投げた。
バシッ!
「えっ?」
思わず気を抜いていた五十嵐は全然取る事が出来なくて、簡単にボールに当たってしまった。
「太一以外は幸一狙いじゃないみたいだな」
トボトボとコートの外へと歩いて行く五十嵐と交差する様にボールを拾いに行きながら、谷口は五十嵐と幸一に向かって言った。
コート上では互いに幸一と谷口、太一と二組の男子一人と、二対二の状態になっていた。
ボールを拾った谷口は二組の男子へ目掛けて投げる。
二組の男子はそれを一瞬落としそうになりながらも、慌てて再度ボールを掴んで免れた。
そのまま彼が投げたボールを今度は幸一が正面で受け止めて、そして幸一は谷口と同様、二組の男子をまたも狙って投げた。
これもまた、彼は危うくも何とか落とさず掴んだ。
幸一と谷口の作戦はこうだった。
二人とも二組の男子を狙って投げる。太一には投げない。
これでまず太一から幸一への集中攻撃は出来なくなるからだ。
更に二組の男子はどちらかを集中的に狙うという事はないので、一人がひたすらやり続ける事はなく、その逆に彼はひたすらボールを受け続けなくてはならない。それはいずれボールを落とすであろう確率が上るという事だったし、既に危なっかしい状態が続いていた。
イライラした表情で立ち尽くしている太一を横目に、谷口は自分の作戦に満足し、余裕の笑みを浮かべてドッヂボールを楽しんでいた。
暫くすると、二組の男子は相当疲れた様で、肩で息をしながら、足元もふらつきはじめていた。
この辺で終わりかな? っと思いながら谷口は力一杯ボールを投げる。
ボールは低め、相手の足元へと真っ直ぐに飛んだ。
取り辛い場所だ。
(決まった!)
谷口はそう思った。
しかしその時、それまでイライラしながら突っ立っている事しか出来なかった太一が、横からスライディングする様に二組の男子の足元へ突っ込んで来た。
「「あっ!」」
思わず幸一と谷口は声を上げた。
ボールには伸ばした太一の指先が触れる。
しかし、触れた指先はボールを捉える事が出来ず、弾かれてしまった。
太一の指先に弾かれたボールがコロコロと、二組の男子の脇を転がって行く。
幸一と谷口は思わず唖然としてその光景を眺めていた。
それに気付いた二組の男子は慌ててボールを掴むと、一心不乱に前に投げた。
どちらを狙ったという訳でもないそのボールは、頭からスライディングした格好で地面に腕を伸ばして倒れている太一を呆然と眺めていた、谷口の体に当たって跳ねた。
「あっ…」
何が起こったのかも分からず小さく声を出す谷口。
これにより谷口と太一はアウトで、コートを出る事になった。
残ったのは幸一と二組の男子だったが、その後の決着は思った通り簡単に決まった。
そもそも集中攻撃を受け続けていた二組の男子は、既に相当疲れており、幸一との投げ合いは三巡目で取り損ない、終った。
試合が終って、幸一がコートの外の谷口と五十嵐、丸山の方に軽く手を上げながら周りを眺めると、北村颯太と遠野太一はいなかった。
「颯太君は女の子が通ったら、急いでランドセルと手提げを持って、走って追っかけて行ったよ」
何故なのか分らないといった風な、少し気の抜けた感じで五十嵐は言った。
それから続けて、
「太一は当たって外に出た後、服についた汚れを手でバタバタして落としたと思ったら、ボーッとした顔で、そのまま帰っちゃったよ。地面に頭でもぶつけたのかな?」
と、言った。
こうして美紗子にとっても、幸一にとっても、この日は終ろうとしていた。
つづく
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