第85話 美紗子が泣いた日その⑰ 二時限目
二時限目の授業は、四組も二組も、何事も無かったかの様に静かに進んでいた。
それは四組の場合だと、根本が自分のグループの女子に四時限目の計画と、先程の階段での出来事を口止めした事で保たれていた。
また二組の場合では、授業に遅れて教室に入って来たみっちゃんが、先に来ていた先生に『具合の悪くなった橋本紙夜里さんを保健室に連れて行っていて遅れました』とだけ伝えて、階段から落ちた話はしなかったので、誰も何も知る事はなく、みっちゃんが自分の席に座るとそれは、普段通りの二組の授業の風景となったのだった。
こうしていつも通り過ぎて行く勉強の時間。
ただ根本とみっちゃんの頭の中だけは、今受けている授業とは別に活発に動いていた。
仲間達に口止めしてから先、この時にはもう根本は授業中にノートの切れ端で連絡を取り合う事もしてはいなかった。
ただ一人、頭を机の上の教科書やノートを見る様に下げたまま、ひたすら四時限目に向けての作戦を練っていた。
それは如何に自然に美紗子を問い詰め、追い詰め、虐める方向に持っていけるかの自分の中での想定問答であり、根本にとってはこれ程頭を使った事はないという位の集中力の高さだった。
では何故そんなにまで集中して、これから先の美紗子を虐める算段を考えていたのか。
その答えは単純だった。
楽しかったのだ。
根本かおりは自分では気付ていないけれど、少し変わっていた。
彼女を虐める兄姉はその部分に気付き、実の妹でこれから一生続く関係なのだと思う事で余計に疎ましくなり虐めていた。
クラスから今まで浮いていたのも彼女のその発想と口によるものだ。
世の中には場の空気を重んじる所がある。
思い付いた事を何も考えずに話し出す根本は、その事が引き起こす周りの感情の起伏など欠片も考えていなかったし、例え何度かその事で注意された事があったとしても、直ぐに忘れてしまい、まともに覚えてさえもいなかった。
いや、もしかしたら覚えてはいるのかも知れない。しかしだとしてもやはりそれは無意味なのだ。
彼女、根本かおりの対話の最大の特徴は話してからその内容を考えるというパターンが多々見受けられる事だからだ。
だからその場に相応しくない事、その事で人を傷付ける様な事も平気でポロッと言い出す事が多かった。
そしてそれは普段クラスでは遠巻きにして、『空気の読めない人』として放置しておけば良い問題だったのだが、家族は別だった。妹のおかしさは、兄や姉にとって致命的だ。自分の事なら直しようもある、他人の事なら関らなければ良いと考える中で、身内のおかしな部分というのは最も受け入れるのに時間の掛かる部分の一つなのかも知れない。
だから兄姉は妹を忌み嫌い、憎んだ。
そしてそうやって兄姉から虐められる中で彼女は多くの事を学び、更に独特の価値観・思考を身に付けて行く事になった。
その中の一つが彼女なりのこのセカイの成り立ちだろう。
根本は、永遠にプラスだけが増え続ける世の中など存在しないと思っていた。
以前テレビでお金についての番組を見たからだ。
その番組の内容は、お金には限りがあり、限度数が決まっているのだから、誰かが沢山持っていれば、何処かの誰かは相反して少なくなるという話だった。
その番組の発想は根本にとって衝撃的だった。
『これはなにも、お金に限った話だけではないんじゃないか?』
根本にはその話が、世の中全てに当て嵌まると思えたのだ。
だからこそただ美紗子を虐めるだけではなくて、クラスでのその位置から引き摺り落し、最下層へと転落させようと思ったのだ。
『美紗子が落ちて自分が上る♪』
クラスで注目を浴びる人気者にも限度数がある。誰かが落ちて初めてそこに枠が一つ空く。
『クラスでの地位が上れば、自ずとその空気は兄や姉にも伝わって行く筈だ。そうなれば今までの様な虐めも出来なくなるだろう。それどころか一目置く様になるかも知れない。うふふふふ』
だから根本は、『美紗子を虐める』という事を色々想像して考える事が、一番楽しかった。
その頃二組の教室では。
『あ~あ、根本をぶん殴って、「もう倉橋さんを虐めるなよ!」って言ったぐらいじゃ駄目かな? 紙夜里、きっとそれぐらいじゃ納得しないよな~。完膚なきまでって…どうしたらいいんだよぉ~』
みっちゃんはまだ、自分の倫理観と紙夜里の言葉との間で悩んでいた。
『もういっそ、倉橋さんを虐める前に次の休み時間にでも一発ぶん殴って釘さしとく? ん? でもそうすると私が虐めてるみたいになっちゃうか? そもそもアイツ、はっきりとした尻尾出さないんだよな~あ~段々面倒臭くなって来た~! 頭が痛いや。次の休み時間も、保健室に行こうかな♪』
つづく
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