第84話 美紗子が泣いた日その⑯ 困惑・思惑
みっちゃんは紙夜里の勢いに押されて、無意識のままつい「はい」と答えてしまった。
しかしそれは保健室から教室へと戻る階段の途中で、よくよく考えたら難しいという事に気付いて、だからみっちゃんは階段を上る足を止めた。
後ろを上って来た一組の生徒は、階段の途中で突然止まってしまったみっちゃんに驚いては避ける様に、その脇を早足で通り過ぎる。
「やばい! やばい! 授業始まっちゃうよ」
通り過ぎる際にそのうちの一人が発したそんな言葉も、今はみっちゃんの耳には入らない。
それ程みっちゃんは本気で紙夜里との約束について考えていたのだった。
(やっぱり私には無理だ…)
『根本かおりを完膚なきまでにぶっ潰すの』
先程の紙夜里の言葉がみっちゃんの脳裏で繰り返される。
(どんな悪い奴でも、その人の人生をぶっ潰すなんて、その後の人生に影響を及ぼすであろう程のダメージなんて、私には意識してやるなんて出来ない。それじゃああいつらと同じになってしまう)
みっちゃんの中には自分なりの倫理観・道徳観があった。
それは例えばどんな場合でも人を殺してはいけないというのと同じ感じで。今回の紙夜里の話も一人の人間をこの学校から、教室から、排除するくらいの勢いの話だった。
だからそんな事は断じて出来ないと、いつの間にかその悩みはみっちゃんの胃をギリギリと苦しめていた。
(神経性胃炎って、本当なんだな。どんどん胃の辺りが痛くなって来た)
そう思いながらみっちゃんは、殆どまだぺったんこの自分の胸に手を置くと更に、
(あ、何か心臓まで苦しくなって来たぞ。難しい、面倒臭い事は嫌いなんだよなぁ。スカッとぶん殴って、倒して終わりじゃ駄目なのかな~。あ~あ、どうしよう、気分も悪くなって来た。私も引き返して保健室で紙夜里と一緒に休もうかな~)
等と一人階段の途中で考えては時間だけが刻一刻と過ぎて行く。
そしてもはや辺りには誰もいない、静まり返った階段の中頃でみっちゃんがそんな事を考えている時、遂に授業の始まりを告げるチャイムが、教室中のスピーカーを通して、校舎中に響き渡った。
(やべっ!)
その瞬間みっちゃんの足は階段を上り教室へと向かう為に動き出す。
遅刻して先生に怒られる事はそれほど怖くはなかった。寧ろそれ以上に保健室に戻り紙夜里に睨まれる方が想像してみると怖かった。
だからみっちゃんは、根本の事は授業中にでもゆっくり考えようと思って、今は無心で教室へと向かう事にしたのだった。
その少し前の五年四組の教室の前では、授業が始まる前になんとか教室に辿り着いた根本達のグループが、根本の話に耳を傾けていた。
「いい? 教室に入ったら二度と言わないからね。今日の四時限目が本当に自習で先生がいなくなるなら、その時に私やるから。みんなは邪魔だけされない様にして、手は出さなくていいから」
「遂にやるの?」
「ホントに」
「やっぱりお昼休みのがいいんじゃない。自習って言っても授業中だから、きっと凄く目立つよ。お昼休みならある程度賑やかだし、虐めてもみんな見て見ぬ振りだろうし。こっちもふざけてたって言えるし」
根本の話に一様に声を出す仲間達。
しかし根本の腹は決まっていた。
「お昼休みはあのみっちゃんって子が来る可能性が高いでしょ。それにあの紙夜里って子も、いつまでも保健室にいるとは限らないし。美紗子を本気で守りそうなのはあの二人だけだから、かえって授業中のがいいんだよ。美紗子を幾ら虐めようがあいつらは助ける事が出来ない。それにこれは実際には虐めじゃない。男遊びをしていて、みんなに迷惑をかけた美紗子に、皆の前で謝罪して貰おうという行動な訳だから」
「なるほど♪」
「それなら理由が立つね」
「根本さん冴えてる~♪」
実際根本は、自分でも今日は冴えているし、運も良いと思っていた。
だからこそ紙夜里を怪我させた勢いで、このまま自分の考えた計画通り事を進めようと決めたのだ。
上手く行けばクラスの誰もが自分の事を一目置く事になるだろう。
きっと女子ではもはや誰も私には逆らえないクラスになる筈だ。
自分が中心のクラス。
それはずっと構って貰いたい、目立ちたいと願っていた根本かおりにとって、遂に夢を叶えられるかも知れない計画だった。
「いい? じゃあもう直ぐチャイムが鳴るから教室に入るけれど。教室に入ったら今の話は他言無用だからね。もし何処かに漏れたら、その時にはこの中の誰かがバラしたって、簡単に分かっちゃうんだからね。それじゃあ教室に入るよ」
そして2時限目開始のチャイムが鳴った。
つづく
いつも読んで下さる皆様、有難うございます~♪





