第79話 美紗子が泣いた日その⑪ みっちゃんの好きなもの
片方の手をみっちゃんに掴まれ、なんとか立ち上がった紙夜里は、もう片方の手を膝に当て、まだ少し体のあちらこちらが痛いのか、中腰で幾らか苦しそうな表情をしていた。
「大丈夫か?」
心配そうに声をかけるみっちゃん。
その声に、見上げる様に顔を上げた紙夜里の表情は、無表情だった。
「大丈夫だから。さっさとプリントを置きに行こう」
冷静な、冷めた声。
(怒ってるのかな? 私が紙夜里の側に寄った所為で階段から落ちた事を。それとも、私がその事に触れない事の方か?)
紙夜里のその無表情な顔を眺めるみっちゃんの瞳が揺れる。
なんとも言えない気まずさで、直視出来なかったからだ。
「あの…」
その時近くで見ていた下級生の一人が、プリントを持って側に寄って来た。
「これ」
そう言いながらみっちゃんの方に向かって、プリントを持った両手を伸ばす。
「あ、ああ、有難う」
片手を紙夜里の手から腕の方に移し変えて支えながら、もう片方の手でプリントを貰うと、みっちゃんはそう言った。
紙夜里はその様子を黙って見ていたかと思うと、みっちゃんの手を振り払う様に一度腕を振り、それから誰にも興味がないかの様にフラフラと一人歩き始めた。
ただその時一言、みっちゃんに、「相変わらず女子には人気だね。みっちゃん」と、だけ呟いて。
「おい、そんな事」
慌てて声を出すみっちゃん。
それから側にいた下級生と、その後ろにいる他の子達にも一礼すると、みっちゃんは一人で更に一階へと階段の手すりに掴まりながら下りて行こうとする紙夜里の後を追った。
(やっぱり怒ってる。あー、面倒臭いなー。あの時謝っちゃえば良かったなー。ホントに気まずい空気は苦手だ…失敗したな~)
そんな事を考えながら紙夜里の側に来たみっちゃんは、再度痛々しいく見える紙夜里の腕を掴んで支えようとしたのだが、それも簡単に振り払われてしまった。
結局は黙々と手すりに掴まりながら階段を下りる紙夜里の横を、黙ってプリントを持って歩くしかないみっちゃん。
二人の沈黙は、二階から一階へと向かう階段の踊り場まで続いた。
そしてそこまで来た時、一向に何も話そうとしないみっちゃんに痺れを切らしたのか、先に口を開いたのは紙夜里の方だった。
「私、服を払うの忘れたけれど、汚れていない?」
「えっ?」
それまでずっと、紙夜里が階段から落ちた事について言おうかどうしようか迷っていたみっちゃんには、紙夜里のその言葉は意外で、思わず声を漏らした。
紙夜里はその間の抜けた声に、キリッと横を睨むと立ち止まり、再度尋ねる。
「服、汚れてない?」
「あ、ああ、ちょっと待って」
慌てて紙夜里の周りをくるっと回って、服装をチェックするみっちゃん。
「汚れてる」
言いながらみっちゃんは、うつ伏せ寝になった所為で白い埃があちらこちらに付いたカーディガンと、その中のブラウスを軽く手でパタパタと叩いてあげた。そしてスカートも。
紙夜里はその間、やって貰える事を当然の事の様にじっと立っている。
みっちゃんも何も疑問を感じず、前が終ると今度は後ろに回り、肩の所からパタパタと埃を叩いて落し始めた。
そうしてみっちゃんの埃落しも、後は紙夜里のお尻の辺りくらいを残すだけとなった時だった。それまで黙ってされるがままだった紙夜里が口を開いた。
「みっちゃんさっき、私が階段から落ちる時、パンツ見たでしょ?」
その言葉に、それまでの流れで紙夜里のお尻の辺りのスカートを叩こうとしていたみっちゃんの手は止まる。
「ご、ごめん…つい、見えちゃったんだ…」
(そんな事に気付いているなら、当然自分が落ちた原因にも気付いているはずだ。これは前フリなのか? 謝るんなら今か?)
後ろにしょんぼりした顔で立つみっちゃんの方を振り返る事もなく、前を向いたまま、みっちゃんのその言葉に対して、紙夜里は相変わらずの冷静な口調で続けた。
「前に、あの根本って奴のパンツも見てたよね。みっちゃん」
「……」
(根本の名前! 違う。これはパンツの話じゃない。パンツに格好を付けて、やっぱり階段から落ちた事を怒っているんだ。私が謝らないから…)
「何でそんなにパンツが好きなの?」
「ごめん! 私が悪かった! だから謝るから、機嫌直してくれよ」
みっちゃんの懇願する様な声に逆に驚いたのか、紙夜里は引き攣つった表情で今度は慌てて振り返った。
「みっちゃん、そんなにパンツが好きだったの?」
「えっ?」
みっちゃんは、何かが違う様な気がした。
つづく
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