第7話
靴を履き替えて校舎を出ると、目の前の校庭を迂回するように校門へと向かう。
半分埋められた車のタイヤが、色とりどりの色を塗られて並べられ、点在する樹木と共に校庭と通路の境を作っていた。
美智子の話を聞きながら、美紗子は顔を校庭の方に向けて眺めていた。
この季節の午後四時過ぎ程度では、空はまだ青く明るい。誰かがまだ校庭で遊んでいても良さそうな雰囲気なのだが、今日は誰の姿も見えなかった。
校庭越しに校舎を眺め、それから最近改修して高さの高くなった小学校の敷地を囲むフェンスに目をやる。不思議と今日は自分達以外の下校する生徒を見かけない。
(幸一君はもう、帰ったかな?)
美紗子は校舎の外に出てから、美智子と帰っている場合ではないというヤキモキした思いから、徐々にザワザワとした不安な気持ちに変わって来ていた。
普段色々な本を読む中から美紗子は、良い事の予感が当たる確立は極稀だけど、嫌な予感が当たる確立は高いと思っていた。
良い事の予感は、願望だ。そうあって欲しいと思う願い。
悪い方の予感は、現実だ。起こり得る嫌な出来事への自分の中で想定出来る、許容出来る範囲の悪い出来事への予想。そう、予感と言うより予想だ。
だから、「ああ、やっぱり」と思う事の方が多い。
現実的に有り得る事だから。
そして今も、校舎を出てからずっと、そんな不安な気持ちが胸を締め付けていた。
「聞いてる?」
校門の辺りまで来た所で、ずっと何処か遠くを眺めている様な美紗子の視線に気付いた美智子が尋ねた。
「聞いてるよ」
何処かへ行っていた自分の心を慌てて呼び戻しながら、美智子の方を振り向いて、美紗子は笑顔で返した。
確かに美紗子は美智子の方を殆ど向かず、何を話しても反応していなかった。
(こういう所からでも、綻びは出て来るのかも知れない)
自分の異変に美智子が気付く事からでも、事態は思わぬ方向へ流れる事はある。
集中しきれない気持ちのまま、それでも気持ちを切り替えて、美智子の前では普通に見せなくては。美紗子は咄嗟にそう思った。
その頃幸一は、一人別に下校途中だった。
図書室で美紗子が突然用事があると言って出て行ってから間もなく、幸一も図書室を後にした。
ランドセルを背負い、自分の手提げバッグの中に読みかけの美紗子から借りた本を入れて、それから隣にポツンと置いていかれた『銀河鉄道の夜』を手に取り、パラパラと中を眺めた。
所々に差し込まれた挿絵は、以前自分が見た映画のカムパネルラやジョバンニとは違くて、人間の男の子だった。
「本当の幸いとは一体なんだろう…」
うろ覚えの一説を呟きながら幸一は、この本もまた自分の手提げバッグに入れた。
そうして図書室、校舎、校門と出て来た幸一は、自宅の側まで来た所で、普段遊んでいる五十嵐・丸山・谷口が市営の公園で遊んでいるのを見かけた。
同じクラスの遠野太一が、他のクラスの男子四人と組んで、五十嵐達とドッヂボールをしている所だった。
「おー! 幸一!」
脇の道路を一人歩く幸一に気付いた五十嵐が、手を上げながら幸一を呼んだ。
「あー」
五十嵐に呼ばれた幸一は、軽く手を上げながら公園の中に入って行き、五十嵐の方へと向かった。
「何? ドッヂボール?」
「そう。四対三なんだ。お前も混ざれよ」
幸一の質問に五十嵐は笑いながら答えて、運動靴で地面に引いたドッヂボールのラインの外の一角を指差し、そこに荷物を置く様に促した。確かにそこには皆んなの分のランドセル七個と、手提げバッグ等が置かれていた。
「うん」
頷くと幸一は小走りでそこへ向かい、手提げバッグを置き、ランドセルを降ろした。
そしてまた小走りで五十嵐の側へと向かう。
「太一が二組の方に混ざってんだ。こっちは丸山がやられたから、俺と谷口とお前だけだ」
「了解。で、なんで太一は二組と?」
「あいつと並んで立ってる奴、二組の北村颯太。あいつと太一が仲良いらしいよ。二年の頃同じクラスだったらしくて」
「ふーん」
気になって訊いては見たものの、大して興味もなく、幸一はそう言うと腰を少し屈め、ボールを受ける準備をした。
この場合のドッヂボールは、全員がコートの中に入り、当てられた者は外に出る。どちらかのグループが全員当てられて外に出たらそのグループの負けで試合終了となるルールだった。
始まって直ぐ、ボールを持っていた太一はまず幸一の足元をを狙って投げた。
バシッ!
地面すれすれに手を置き、幸一は掬い上げる様にそのボールを拾った。
「ナイス!」
側にいた五十嵐が声を出す。
受けた幸一はそこからラインギリギリまで助走をつけて、二組の顔も知らない男子に向かって投げつける。
ボールの飛んで来た二組の男子は、それを胸で受け止め様としたが、胸に当たったボールが弾み、抱えようとした手から外へと零れてしまった。
「何やってんだよ!」
同じ二組の颯太が、当たってコートの外に出る友達に向かって叫んだ。
「ドンマイドンマイ!」
颯太の言葉に反して、当たった二組の男子に向かって太一はそう言うと、コート内の地面に転がっているボールを取りに行った。
再びボールを持った太一は、思いっきり助走をつけて、再び幸一を狙ってボールを投げた。
「なっ!?」
再度狙われた事に驚いた幸一は、思わず声を出す。
バシッ!
しかし今度も飛んで来たボールを幸一は難なく受け止めた。ボールが丁度お腹の真ん中に飛んで来た事もラッキーだった。
それを見ていた五十嵐と谷口が幸一の側に集まって来る。
「何かお前、狙われてるな」
「太一と何かあったか?」
谷口と五十嵐が口々に言う。
「いや、普段話しすら滅多にしないよ。あいつ、遊ぶグループ違うし」
「だよな~。俺達もあんまり遊ばないもんなー。今日だって、珍しく二組とドッヂボールしようとしていたらアイツが来て。さっきの颯太って奴と話してたと思ったら、あっちに混じっていたんだよな~」
幸一の言葉に不思議そうに五十嵐は話した。
それを聞いていた谷口も口を出す。
「幸一、何か恨みでも買ってるんじゃないのか? ま、とにかく太一は要注意だな」
「恨まれる事もないと思うけどね」
谷口の言葉に幸一はそう言いながら、並んで立つ敵陣の太一と颯太の方を見た。
二人は何やら薄ら笑いを浮かべている様に見えた。
つづく
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