第73話 美紗子が泣いた日その⑤ 紙夜里がいない…
人はいつ何処で会えなくなるのかは、分からないものだから。
この日の朝、みっちゃんが教室から廊下へ飛び出して行ったのも、頷ける行動だった。
みっちゃんは廊下を端の階段の所まで勢い良く走り抜けると、壁に手を当ててそのまま角を曲がり、階段を一段飛ばしで、勢いも落さずに駆け下りて行った。
理由は単純なものだった。
紙夜里が来ないのだ。
先生が朝の朝礼に来るまでには、まだ五分程時間があった頃。
五年二組の自分の席に座りながら、みっちゃんはそわそわして、教室のいつも紙夜里が入って来る後ろの入り口を眺めていた。
その不安そうな表情と、そわそわした感じは、クラスの女子達にも伝わったのだろう。
程なく仲の良い女子が二人つるんで、みっちゃんの側へとやって来た。
「なーに、みっちゃん。そわそわして」
「紙夜里が来ないから?」
二人ともニヤニヤして、困った様なみっちゃんの表情を楽しみながら話かける。
「なんでもないよ」
視線を正面の二人に向けながらも、横目でチラチラと入り口を意識しながら言い返すみっちゃん。
「そお? 最近みっちゃん、紙夜里ばっかり可愛がって、いつも一緒にいるから。なかなか来ない紙夜里の事心配しているのかと思った」
「そんな事ない」
視線を合わせずに直ぐに言い返す。
「ふーん。紙夜里の事が気になる訳じゃないんだ」
「じゃあ、教えなくてもいいよね?」
相変わらずみっちゃんの様子を伺いながら、ニヤニヤして言う二人。
「えっ、何を?」
思わずその言葉に引っ掛かり二人の方に視線を向けて訊き返すみっちゃん。
「ほら~♪ やっぱり気になるんじゃん」
「いいから何の話?」
友達のうちの一人の言葉など、関係無いかの様に、今度は少し強い口調でみっちゃんは更に訊き返した。
「うわ~、コワ。いつものみっちゃんだ」
「あのね。私、紙夜里の登校班と途中から一緒だったんだけど、紙夜里いなかったよ。だから今日は休みなんじゃないの?」
「なっ…」
ニヤニヤしながら話す二人の顔を見比べながら、みっちゃんは言葉が出なかった。
昨日の今日である。
色々な事が走馬灯の様にみっちゃんの脳裏に蘇った。
『引っ越したくない!』と珍しく本音を叫んでいた紙夜里。
『美紗ちゃんを守って』とも言っていた。
それは、どこかいつもと違っていた紙夜里だった。
(もしそれが、お別れの挨拶だったとしたら…)
ガタッ!
「「あ、みっちゃん!」」
二人が声を揃えてみっちゃんの名を呼ぶ頃にはもう、みっちゃんは勢い良く椅子を後ろに下げると、立ち上がって走り出していた。
教室を飛び出し、廊下を駆け抜けて、階段を一段飛ばしで駆け下りる。
(そんな筈はない! そんな筈はない! あれがサヨナラの挨拶だったなんて!)
どうしても納得のいかない気持ちが、みっちゃんを激しく突き動かしていた。
(でも、だからあれ程までに倉橋さんと二人で帰りたがっていたのか? 紙夜里にはもう時間がないと分かっていたのか? そんなの、そんなの…まだ、私はサヨナラを言ってないのに!)
色々な想いがみっちゃんの頭や体を駆け抜ける。
少し涙の滲んで来た瞳を、着ていたパーカーの袖で拭きながら、みっちゃんは1階まで下りて来るとそのまま、先生の目も気にせずに、勢い良く昇降口の下駄箱に駆け込んだ。
「紙夜里…」
下駄箱の角に手を掛けて、そこで立ち止まったみっちゃんが目にしたのは、一人昇降口の前で傘を畳んでいた紙夜里だった。
「何?」
睨む様な目でみっちゃんを横目に見ながら尋ねる紙夜里。
「いや、あの、あんまり来るのが遅いから。その」
その目に見据えられ、シドロモドロに話すみっちゃん。
「もう小五なんだけど。まさか何処かの母親じゃあるまいし、心配して見に来たなんて言わないよね」
「へっ?」
言葉も出ず立っているみっちゃんには目もくれず、紙夜里は靴を脱ぐと下駄箱の前のスノコへと上った。そしてしゃがむと靴を手に持つ。
「朝、お腹の具合が悪くて、登校班には先に行って貰ったの。まだ少し痛いのだけれど、大分良くなったから来たの」
みっちゃんの方は見ずに、独り言の様にそう言いながら、紙夜里は下駄箱から自分の上履きを出すと、それまで履いて来た靴を代わりにしまった。
「あ、ああ、そうなんだ」
何処か力のない声で、そう答えるみっちゃん。
その声は聞こえているのか、相変わらずみっちゃんの方を見ないまま、取り出した上履きを履くと、紙夜里はフラフラとみっちゃんの脇を通り過ぎながら、一言呟いた。
「美紗ちゃんが心配だから、来ないとね」
その言葉に、なるほどという気持ちと、やはり倉橋さんなのかという寂しさが、一瞬みっちゃんの体を駆け抜ける。
それから廊下に上がり、フラフラと一人で行ってしまおうとする紙夜里の後姿を眺めているうちに、少しずつみっちゃんの中では、安堵の気持ちが広がって行った。
(そうだよね。昨日の今日ではあまりにも急過ぎる。飛んだ早合点だった…そうか、良かった♪)
そんな事を思い、優しい眼差しで紙夜里の後姿を眺めていると、みっちゃんはフッと、ある事に気付いたのだった。
だから少し明るい声で、はにかみながら尋ねてみた。
「もしかして、生理?」
「ばっ…」
真っ赤な顔をして直ぐに振り返った紙夜里は、何かを言いたげに声を漏らした。
それから大きな声でみっちゃんに向かって、
「馬鹿ぁ~!」
と、凄い怒った顔で怒鳴った。
つづく
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