第72話 美紗子が泣いた日その④ ~悠那と美智子
教室のある三階までの階段を上りながら、悠那は考えていた。
『同じクラスでも、仲良しでも、いざという時助けてくれないんなら、意味がないでしょ』
『何も言わないの? 言えないの? そりゃそうだよね。あなた達では助けてはあげられない。でも私なら出来る。倉橋さんを守ってやることも出来る』
昨日の放課後、みっちゃんという子に言われた言葉だ。
この言葉を言われてから一夜明けた今まで、私の気持ちはずっとこの言葉に縛られている。
ー何も楽しい事が考えられない。
-TVを観ても、勉強をしても、本を読んでも、気になってしまう言葉。
私だって美紗ちゃんは特別だ。
もしクラスの中で、誰か一人友達を選ぶとすれば、私はやはり美紗ちゃんを選ぶだろう。
そしてきっと美紗ちゃんも私を選ぶ筈だ。
なんて言うか、私達は相性が合う。洋服の話や、髪型の話、お化粧の話だって、きっと美紗ちゃん程私と話が合う子はいないだろう。
だから…だからそんな美紗ちゃんが、馬鹿みたいな理由で虐められたりするのは絶対に許せないし。助け出して、また仲の良い皆んなで集まって楽しくお話とかしていたいと思ったんだ。
それなのに、いざという時、私の体は動かなかった。
怖かったのか?
あんな今まで目立たなかった根本さんなんかが、私は怖かったのか?
『同じクラスでも、仲良しでも、いざと言う時助けてくれないんなら、意味がないでしょ』
また頭に響くあの言葉。
自分の口先ばかりで何も出来ない姿を、暴かれた様な言葉。
気持ちは変わらないけれど、何も出来ない、出来なかった事は事実だ。
だからこの言葉達が私を縛り付ける。
どんなに助けたい、救いたいという気持ちや、友達だという想いがあっても、形にならないものは無意味だと私を嘲笑う。
あのみっちゃんという子は…
あの子は、怖くないのだろうか?
自分が虐めの対象になり、酷い目にあうかも知れないのに、それなのに彼女は堂々としていた。
今度彼女に会ったら、全てを認めて、美紗ちゃんを助けてくれて、『ありがとう』というべきなのか?
そして私は、今度こそ自分の体を動かして、美紗ちゃんを助ける事が出来るだろうか?
何にしてもそうしなければ、きっとずっと、重い気持ちの儘なんだ…
フラフラと俯き、何やら考え事でもしている感じで階段を上る悠那を、中嶋美智子が後ろから見つけたのは、もう三階に辿り着く手前での事だった。
美智子もまた、昨日のみっちゃんの言葉には打ちのめされていた一人だったので、眼前の覇気のない悠那の姿には、直ぐに思い当たる事があった。
だから一瞬、言葉をかける事に躊躇いを感じ、少し考えた。
(やっぱり悠那ちゃんは美紗ちゃんの事が相当好きなんだ。だからあんなにも昨日の言葉に落ち込んでいる。私も、あのみっちゃんって子の言葉にはショックを受けたけれど、でも心の何処かで理解出来た。それは、私には美紗ちゃんを救い出せる様な力がない事を重々承知していたからだ。どんなに憧れた、大好きな子の事でも、無理なものは無理だ。多分こう冷静に自分を分析出来るだけ私の想いはきっと、悠那ちゃんに比べると遥かに軽いものなのかも知れない。あんなにも憧れて、友達になりたくて、美紗ちゃんや悠那ちゃんのグループに入りたがっていた筈なのに。私は今、美紗ちゃんが離れて行く中で、悠那ちゃんの隣にいる事が増えている。そしてそれを何処かで心地良く思っている。このまま美紗ちゃんがどうにかなって、この場所が自分の指定席になれば良いとまでは思わないけれど。それでも自分の非力さは知っているから、静観しようとは思っている。唯一つ、悠那ちゃんまでも何処かに行ってしまわない様に、彼女にまで火の粉が及ばない様に、助言して、警告はしていかなくては。力のない私に出来る事は、せめて美紗ちゃんだけで全てを終わらせる事だ。根本さんが何をしようが、あのみっちゃんって子がどうしようが、私達には関係がない。全てが終わり美紗ちゃんが戻って来る様な事があれば、それを優しく受け入れれば良いだけの事。だからそれまでは、私に出来る事は、悠那ちゃんの隣にいて、悠那ちゃんとそのグループを守る事。それだけだ)
俯きながら階段を上り切り、角を曲がり廊下に出る悠那に、考え事をしていた美智子は、姿が見えなくなりかけてから気付いて、慌てて階段を駆け上った。
声をかけなければと思ったからだ。
勢い階段を上り切り、角を曲がれば悠那がいると思い、美智子が声を出した時だった。
「悠 」 「美紗 」
同時に悠那の口から出た声。
美智子が悠那に声をかけようとした瞬間、同時に悠那はずっと先の四組の前で、教室に入って行く美紗子を見つけたのだった。
つい僅かに手を前に出しながら、声をかけようとした悠那の声は、後ろから自分を呼ぶ美智子の声と重なり、途切れてしまった。
(やっぱり私は、これから先もあと一歩、前に出られないのかも知れない。その時はごめんね。美紗ちゃん)
今までの自分と、途絶えた声を重ねて、悠那は何かを悟ったかの様にそう思うと、笑顔で後ろを振り返った。
「おはよう♪」
その時既に、廊下に美紗子の姿はなかった。
つづく
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