第6話
「みっちゃんって言う紙夜里さんの友達があんまり煩いから、私のを貸してあげた」
水口はいつの間にか腕組みをしながら、美紗子に向かってそう言った。
「そお…」
これでこの場から一度離れて、ゆっくり考え様としていた美紗子の思惑は、全てお釈迦になってしまった。
そんな美紗子の言葉と表情を見て、更に水口が口を開く。
「どうしたの? 助かったんだから喜ぶかと思ったら、困った様な声を出して」
美紗子の声のトーンに、水口は不信感を感じたのだった。
「ん? うんん、そんな事ないよ。じゃあ私は急いで返しに行かなくてもいいのね。助かりました。さすが副委員長、有難うございます♪」
美紗子はそんな水口の言葉に、精一杯の愛嬌を込めて、そう言い返した。
これだけ言われて、それでも不信感を露に根掘り葉掘りは聞いて来ないだろうという美紗子なりの計算からだ。
どう考えてもこの状況で、幸一といた事が分ってしまうのは非常に不味いと感じていた。
「別にいいのよ。済んだ事だし、副委員長だし。ただ」
「ただ?」
水口の言葉を繰り返しながら、美紗子は徐々に震えそうになっている自分を感じた。
(不味い! こんな所で急に震え出したら、何か隠してるって気付かれちゃう)
そこで美紗子は、足を気付かれない様にゆっくりと静かに内股にして、内腿が触れるのを感じると、全身に力を入れた。力んで震えを抑えようと思ったのだ。
「ただそのみっちゃんって子がね。美紗子の事を、男子にモテると思って調子に乗ってるって言うのよ」
「モテる?」
自分では一度もそんな事を考えた事がないので、思わず美紗子は繰り返した。
「そう。だからね、これだけ確認。美紗子、男子と何処かで会っていたなんて事はないよね? さっきの言葉、信じて良いんだよね? これはもうクラスの問題だし、私も副委員長としての責任があるから」
水口は、少しばかり困惑の表情をしてそう言った。
信じたい気持ちと、信じ切れない気持ちが混在しているかの様に。
美紗子はそんな水口の顔を少しの間じっと見て、それから他の三人の顔も順番にゆっくりと眺めた。皆んな一様に何処か心配そうな顔をしている。先程の中嶋美智子ですらそうだった。
その間の暫くの沈黙の後、美紗子ははにかみながら、口を開いた。
「そんな、男子となんて。ある訳ないじゃない」
少し恥ずかしそうに、はにかんで言うというのは、自分なりに上手に演技出来ていると思った。
「そうよね」
即座に中嶋が安堵の表情で反応する。
釣られて他の二人も表情が和らいでいく。
「そう…よね」
最後に水口もそう言い、次第に顔も綻ばせた。
しかし直ぐに今度は、「まったくあのみっちゃんって子は! ホントムカつく!」と、凄く不機嫌な顔をした。
そんな水口の言葉を聞いて、美紗子は少しホッとした。
「じゃあ私、帰っちゃったかも知れないけど、一応紙夜里ちゃんトコ行って来るね」
そう言うと、早足で教室を出た。
教室を出た美紗子は、とりあえず廊下の水道の所に行き、深く一息深呼吸をすると蛇口を弱く捻った。
チョロチョロと弱く水が蛇口から流れ始める。
持っていた手提げバッグを下ろし、両手でその水を受けると、美紗子は顔を下げて、洗い始めた。
少し生ぬるい水だったが、先程までの重苦しい感覚から、目と頭を覚まさせるのには十分だった。
水色のワンピースのポケットからハンカチを出して濡れた顔を拭く。
これで気持ちを入れ替えて二組に向かえると、美紗子は思えた。
間の三組の前を通りながら、急いで幸一の事を考えた。
(この事を早く幸一君に伝えなきゃ!)
強くそう思いながらも、今会って伝える事の危険性も強く感じていた。
(今此処で、誰かに二人でいる所を見られたらいけない。私だけじゃなく、きっと幸一君も今まで以上の冷やかしを受けるに違いない。でも、会わなければ。この事を伝え無かった事で、万が一幸一君が二人で図書室にいた事を誰かに話すとも限らない。早く何か良い方法を考えなくちゃ)
現状どうする事も出来ず悶々とした気持ちを抱えながら、美紗子の足は、二組の教室の前まで辿り着いた。
開け放たれた入り口から中を覗き込む。
中はガランとしていた。
水口の言葉通り、紙夜里達は既に帰っていて、教室には誰も残っていなかった。
(紙夜里ちゃんには、とにかく明日謝ろう…)
そう思いながら体を反転させて、廊下の方を向いた。
今度は自分のクラスに戻る。
果たして何人残っているのか? 皆んな帰ってしまったか?
誰かが自分を待って、残っているかもと思うと、また美紗子は気が重くなって来た。
足取りも重く、ゆっくりと三組の前を通り過ぎ、自分のクラスへと向かう。
教室から話し声は聞こえて来ない。
皆んな帰っていればいいと願いながら、美紗子は教室の後ろの入り口から、中を覗きこんだ。
「美紗ちゃん」
覗き込んだ美紗子と目が合ってそう言ったのは、ランドセルを背負い、机に腰を掛けて、宙に浮いた足をブラブラさせていた中嶋美智子だった。
「みんなは?」
見て分ってはいるのだが、それでも口をついて出た。
「どうしようか? って皆んなで言っていたんだけど。私が待つからいいよって言ったら、皆んな帰ったよ」
何処となく嬉しそうに美智子はそう言った。
「そう。ありがとう」
美紗子も微笑んでそう言って返したが、内心は穏やかではなかった。
もし誰もいなければ、図書室にまだ居るかも知れない幸一の元へ向かおうかと思っていたからだ。
幸一にこの事を伝えるチャンスを、一つ逸したと思った。
「どうしたの?」
入り口の側で微笑んだまま動かない美紗子に思わず美智子が声を掛けた。
「えっ、うんん、何でもないよ。じゃあ、帰ろう」
考え事をしていた美紗子は慌てて笑顔のままそう言った。
「うん!」
美智子は嬉しそうに答えると、ピョンと机から降りて、同じく机に置いてあった手提げバッグを手に取り、美紗子の側へと小走りで向かった。
美紗子の横に並んだ美智子は、ややふくよかな分だけ、美紗子より頭が拳骨一個分程出ていた。
「私さー、美紗ちゃんとこうやって帰ってみたかったんだー」
嬉しそうに美智子が言った。
つづく
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