第66話
それからの時間は、みっちゃんにとっては苦痛でしかなかった。
何処か気を遣っているのか、その話題には触れない様に、昔の懐かしい話を思い出しては語る紙夜里と、何処か違う事を考えている様で、心此処に有らずで相槌だけ打つ美紗子。
(私の所為なのか?)
再び歩き始めたそんな二人を後ろから眺めながら、みっちゃんはもう、自分が入り込む隙間はない事を自覚すると、後はもう、紙夜里がいつ、その事を言い出すのかだけを確認したくて、混ざれない寂しさと悔しさを抱えながらも、苦痛の中、後ろを付いて歩いた。
それから五分程経っただろうか。
新興住宅地への坂道を上りきり、住宅地を歩き、ついに美紗子の家の前に着いた時、みっちゃんの中では数時間も歩いた様な疲労感があった。
美紗子は先程のみっちゃんとの遣り取りを忘れたのか、それとも憶えていても顔に出さない様にしているのか、笑顔で紙夜里の方から振り返って、みっちゃんの方を見た。
「じゃあ、ウチここだから」
何事もなかった様に微笑む美紗子の顔は、やはり天使の様で、確かに男子に人気があって、紙夜里が離したがらない友達だという事も、今のみっちゃんには分かるような気がした。
「ああ」
だから少し恥ずかしくて、視線を外してそれだけを言う。
美紗子はそんなみっちゃんを、「どうしたの?」と言う様な目で見つめた。
だからみっちゃんは、困り果てて、紙夜里の方を向いた。
紙夜里はみっちゃんの視線を感じると、一瞬そちらを向いて睨み、それから美紗子の方に向き直って、口を開いた。
「美紗ちゃん、今日は有難う♪ 一杯昔の事が話せて嬉しかったよ♪」
「えっ? ああ、うん♪」
その声に慌てて紙夜里の方を振り返ると、美紗子は笑顔でそう言った。
それを見てみっちゃんは少しホッとした。
(あんな目でじっと見られたら堪ったもんじゃない)
それから紙夜里は、別れを惜しむ様に、美紗子の家の前でしきりに話しかけ、足止めしていたのだが、それだとて、そうそう延ばせるものではない。
「じゃあ、本当に、もう、入るね」
申し訳なさそうに一語一語区切りながら美紗子がそう言った時には、紙夜里ももう諦めた様子だった。
「うん。明日もまた、学校で会おうね。私休み時間にはまた迎えに行くから」
「えっ、ああ、うん。そうね」
「じゃあね」
紙夜里が言いながら手を振る。
「うん。バイバイ」
美紗子も同じく手を振る。
みっちゃんはそれを数歩後退りしながら見ていた。
(紙夜里の奴、結局言わなかったな…)
そう思うと二人から視線を外し、みっちゃんは空を仰ぎ見た。
その時だった。
「今日は本当にありがとう♪ 上履き、助かりました」
その声は、直ぐ側で聞こえて、慌ててみっちゃんは視線を戻した。
「うわっ!」
直ぐ目の前に美紗子の顔があって驚くみっちゃん。
「ふふふふ」
その驚いた表情に微笑む美紗子。
美紗子はそのまま、その場で固まっているみっちゃんの右手に触れると、握った。
「みっちゃんも、また明日ね♪」
「……」
予想外の事に思わず声の出ないみっちゃん。
「じゃあ」
そう言うと、美紗子は直ぐにその握った手を離して、小走りで紙夜里の元に行き、「またね♪」と言い、それからまた小走りで、自分の家の玄関へと上る石段まで走って行った。
その後はもう、振り返る事もなく、美紗子は家の中へと入ってしまった。
そして後に残されたみっちゃんは、紙夜里の視線が痛かった。
美紗子が家に入るのを見届けると、紙夜里は声もなく更に道を先へと歩き出した。
慌てて後を追うみっちゃん。
しかしそれに気付いた紙夜里は歩く速度を上げる。
「あっ」
思わず声を出すと、みっちゃんは真剣な顔をして、駆け出した。
直ぐに紙夜里と並ぶ。
そして暫く、二人は無言のまま並んで歩くと、ついに紙夜里が口を開いた。
「なんで付いてくるの?」
顔は正面を向いたまま、決してみっちゃんの方は見ずに。
「なんでって…」
みっちゃんに冷たく当たる紙夜里の声に、みっちゃんは言葉が浮かばなかった。
「美紗ちゃんと一緒に帰るという約束は、もう終ったでしょ」
「そうだけど…」
更に続ける紙夜里の言葉にも、みっちゃんには返す言葉がない。
「ふん。美紗ちゃんはね、誰にでも優しいの。手を握られて、『また明日ね♪』なんて言われたからって、『ありがとう♪』って言われたからって、特別な訳じゃないんだからね」
「あっ」
紙夜里のその言葉に、みっちゃんは紙夜里にも気付かれない様に小さく声を出した。
少しだけ、紙夜里の冷たい態度の正体が分かった様な気がしたからだ。
「わ、分かってるよ。そんなの分かってる」
だから少しだけ明るい声で言う。
「本当かしら」
ちょっとだけみっちゃんの方に目を向けて紙夜里は言った。
それから紙夜里は、道路から突然、住宅地の間の、歯抜けの様に売れ残っている空き地の一角に体を向けた。
「えっ?」
真っ直ぐ紙夜里の家の方に向かうものだと思っていたみっちゃんは思わず立ち止まる。
紙夜里はそんなみっちゃんの事など眼中にないかの様に、無言のまま、その目の前の空き地へと足を踏み入れた。
若干粘土質のその地面は、最近の晴天で乾いていて硬かった。
紙夜里はズンズンと、空き地の中を歩いて行く。
二メートル・三メートルと離れて行く紙夜里を呆然と眺めていたみっちゃんは、フッと我に返り、慌ててまたも追いかける為に空き地の中へと駆け出した。
「何処へいくの?」
もう並ぶという所で、みっちゃんは駆け足を止めながら尋ねた。
「内緒。全くみっちゃんは何にも分かってない」
憮然とした表情ながらも、紙夜里はみっちゃんの質問に答えた。
だからみっちゃんは、続けて尋ねた。
「何を、何を分かってないの?」
「全部。丸々全部。全てよ」
口調はきついが、質問に答えてくれているというのは、一緒にいてもいいって事なんだなと解釈したみっちゃんは、尚も空き地を真っ直ぐに突き進む紙夜里の隣を、付いて歩いた。
すると直ぐにまた、紙夜里は口を開いた。今度は独り言の様に。
「世の中には正しいとか、合理的とか、そんな事じゃないこともあるのよ」
なんの事か分からず、みっちゃんは黙って聞いていた。
「誰だって、こーした方が良い、あーした方が良いって、簡単に正しい方向を指し示してあげる事は出来るかも知れない。でも現実はそれじゃあ正解にはならない。本人も本当は薄々分かっている事を、あえてハッキリさせる事になんの意味があるの? それはただ傷口に辛子を塗る様な真似をしているだけだし。正しい正しくないじゃなく、ただ望んだ答えを言って貰いたい時だってあるでしょ。どーしようもない時には余計に。人が、必ずしも一番良いルートを望んでいるとは限らないのに」
明らかに何かを怒っている様な表情でそう言う紙夜里を見ながら、何となく先程の、自分が美紗子に対して言った事について言っているんだなと気付いたみっちゃんは、それと同時に、紙夜里自身の家庭の事も含まれているのかも知れないと思った。
(だから紙夜里には、倉橋さんの気持ちが分かるという事なのか? だから紙夜里は、倉橋さんに引っ越す事を伝えなかったのか?)
目を細め、少しだけ憐れむ様に紙夜里の顔を見ながらみっちゃんはそんな事を考えた。
紙夜里の言葉は更に続く。
「もっと、人の気持ちの分かる人間にならなきゃ駄目だね」
(お前が言うか~!)
その瞬間、みっちゃんはその前の思いを、またも全て撤回したい気持ちになった。
つづく
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