第62話
根本はじっと眺めていた。
そして笑いが止まらない程、愉快な気持ちになった。
廊下側の美紗子の席に集まる人々。
美紗子も悠那も、既に程度は知っている。あいつ等はやり返しては来ない。やられるがままだ。
それからみっちゃんという二組の女子も、そのボスの様に見えた紙夜里があの程度なら、きっとたいした事はないだろう。
その証拠にみっちゃんは、先程からこちらをチョコチョコ見ている。相当意識しているのだ。
詰まる所、もはや美紗子をどうしようが、助ける事なんて誰も出来ないと言う事だ。
(フフフ、ちょっと前まで誰も私の事なんか、空気の様にしか思っていなかったのに。今や皆んなが私の行動を注視している。ちょっと美紗子の行動を調べて、噂を流しただけなのに。面白がって乗っかって来る奴ら。美紗子を守ろうとする奴ら。心配はしていても怖くて手も出せない奴ら。フフ、面白い♪ 何だろう? この湧いてくる様な自信は。今すぐ甚振なくても、いつでも甚振れる余裕が、こうして眺めているだけでも愉快な気持ちにさせて行く。暴力? そうだ、暴力を覚えた事で、私は更に大きく自信を付けたんだ。上から目線であいつ等の方を眺めながら、余裕でいられるのは、いざと言う時には私には暴力があるという自信だ。フフフ、今日はもう十分満足したから、虐めないでやるよ。でも、家に帰りまたあの兄ちゃんや姉ちゃんに虐められて、ストレスが溜まったら…その時には美紗子、あんたには私の受けた虐めの十倍、二十倍をぶつけてやる。幾ら泣いて可哀想ぶったって、誰も助けてはくれないんだから。もうこのクラスの間は、あんたは私の最高のオモチャなんだ♪)
話がついたのか、美紗子を連れ立って教室を出て行くみっちゃんをニヤニヤ眺めながら、根本はそんな事を考えていた。
そして美紗子が出て行くの見届けていたかの様に、ゾロゾロと数人の女子が根本の側に集まって来た。
「一体どうしたの?」
「授業中手紙回したんだけど」
「私も、でも幾ら待っても帰って来なかったけど」
「今来てたのさっきの二組の子でしょ? さっき、あの後何があったの?」
「もう倉橋さんの事は虐めないの?」
口々に根本に向かって話しかける女子達。
根本は正直ウザかった。
紙夜里を回し蹴りで倒してから、根本は自信がみなぎっていた。
前の様に自分の周りに人が集まるというだけでは、もうそれ程嬉しさは感じなくなっていた。
(自分達だけでは何も出来ない奴らが、調子に乗って。今の私は、もうあなた達とは違うんだよ)
自分が、自分の周りに集まる女子達より偉い様な気がして来て、根本は見下す様な気持ちになっていた。
しかし、それでも表面上は取り繕う。
「虐めるよ♪ それに関しては考えがあるんだ。それと、さっきの呼び出された時の話も聞きたいんでしょ? いいよ、教えてあげる。じゃあ皆んなで一緒に帰ろう」
そう言うと根本は椅子を後ろに下げて立ち上がった。
ウザくて面倒臭いから、合わせるのだ。
みっちゃんが美紗子を連れ立って歩き始めると、それをじっと見ている太一の方を眺めながら、五十嵐は幸一の側に早足でやって来た。
太一に幸一が掴まる前に、自分が連れ出そうと思ったからだ。
「よお、何か喋った?」
幸一が美紗子と何やら話しているのを見ていた五十嵐は、ニヤニヤしながら尋ねた。
「何も」
詰まらなさそうな表情でポツリと言う幸一。
「何だよそれ?」
明らかに何か話していた様に見えたのに、幸一の返答が想定外だったので、五十嵐は心配そうな顔でそう言った。
悠那は去って行くみっちゃんの背中をきつく睨んでいた。
多分正論なんだろうという事を言われて、とてつもなく悔しかったからだ。
(私が美紗ちゃんを助けて、アイツをギャフンと言わせてやりたい)
そんな事を考えている悠那の側に、後ろに並んでいた三人の中から美智子が一人、ゆっくりと近付いて来た。
そして後ろから、悠那の硬く握り締められた左手をそっと自分の右手で触れて、それから包み込んだ。
「悠那ちゃん、帰ろう」
そう言う美智子の表情は、誰に向けたものなのか、やはり不安そうだった。
美紗子がみっちゃんと教室を去ると、太一は「ちっ!」と舌打ちをして、前の席で同じ様に美紗子の方を眺めていた根本かおりの方を向いた。
授業中完全に無視されていたので、今話しかけようと思ったのだ。
「ねも…
しかし名を呼ぼうとした瞬間、根本の周りに集まって来る女子達に気付いて、太一は途中で口を閉ざした。一対一なら兎も角、数人の女子に混ざって話をする事なんて、太一にはまだ到底出来ない事だった。
小五にして美紗子の事が好きで堪らず、あわよくばその体にも触れてみたいと思っている太一は、自分でも他の男子よりは幾分早熟ではないかと思っていた。そしてその早熟さが故に、必要以上に女子を意識してしまうのではと、自分なりに分析していた。
次々と根本の席を囲む女子達。
太一の机をお尻で押して、割り込む様に根本の後ろに立つ者もいる。
(だめだな、こりゃ)
根本に話を訊く事を諦めた太一は、改めて幸一の方を向き、そこで初めて五十嵐が幸一と何やら話して、席を立ち、帰ろうとしている事に気付いた。
(あいつ!)
慌てて太一も席を立つ。
このまま、何の収穫もなく今日を終える訳にはいかないと思ったからだ。
五十嵐が何やら幸一を忙しく帰らせようとしている姿を目で追いながら、慌てて太一は帰る準備をした。
四組の教室を出た後、みっちゃんは廊下を、美紗子の手を掴んだまま歩いていた。
「冷たい手だな」
顔も見ず、ボソッとそれだけ言うみっちゃん。
美紗子は何と答えれば分からず、黙っていた。
紙夜里は、校舎端の階段の所で待っていた。
みっちゃんは、紙夜里の姿が見えるとスッと、美紗子の手を掴んでいたのを離した。
そんな事でも紙夜里は嫉妬心を剝き出しにして、機嫌を悪くするだろうと思ったからだ。
(本当に面倒臭い)
そう思いながらもみっちゃんは、それでも紙夜里に惹かれていた。
みっちゃんの後ろを歩く美紗子の姿が確認出来ると、それまで詰まらなさそうに立って待っていた紙夜里の顔は、明らかに華やかな表情になった。
「美紗ちゃ~ん♪」
みっちゃんが決して呼ばれた事もない、甘く軽やかな声で呼ぶ。
「紙夜里ちゃん」
紙夜里の声に気付いた美紗子も、微笑みながらそう呼んだ。
二人の目が合うと、紙夜里は小走りにみっちゃんを通り越し、美紗子のもとへと向かった。
「本当に一緒に帰れるんだね♪ 嬉しい~♪ また美紗ちゃんと帰れるんだ~」
美紗子の両の手を掴みながら、嬉しそうにそう言って、その場で飛び跳ねる紙夜里。
それはちょっと前に、根本に回し蹴りで鳩尾を蹴られて、苦しんでいた紙夜里とは到底思えない程の幸せそうな姿だった。
思わず脇に立って二人を眺めていたみっちゃんの表情も綻ぶ。
(私は、この紙夜里の表情が見たいんだな。きっと)
「ちょっと、ちょっと紙夜里ちゃん。はしゃぎ過ぎ♪」
はしゃぐ紙夜里に驚き、困った様な声を出しながらも、美紗子もまた嬉しかった。
自分をこれ程までに思ってくれる友達がいる事を。
そして下校の風景。
つづく
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