第60話
正直今の根本は、美紗子の事なんかはどうでも良かった。
チマチマと次はどうやって虐めるか、馬鹿にしてやろうか等と考える必要性も感じなかった。
まさに「暴力」が、根本の中のストレスを全て吹き飛ばした感じだった。
何の不安も感じず湧き上がる満足感と爽快感。
何度となく紙夜里のみぞおちに決まる自分の回し蹴りを思い出しては、ほくそ笑む。
(だからお兄ちゃんは、私を蹴ったり殴ったりするのか……)
根本は今なら自分の兄・姉が、何故蹴ったり殴ったり、直ぐ自分に対して暴力を振るうのか、分かる様な気がした。
(ウザい奴、ムカつく奴を殴ったり蹴ったりするのは楽しい♪)
そう思いながらニヤニヤとまたも蹴った時の感触を思い出す。
六時限目中ずっとそんな感じだった根本は、授業中自分の周りから回って来た手紙等は、ノートの上に置きっ放しで、開きさえもしなかった。
それは後ろの席の太一に対しても同じだった。
何度太一が後ろから根本の背中をツンツンしようが、決して振り向く事はなかった。
そして太一が自分の用件を書いた手紙を片手に握り、半ばイライラしながら根本を突いている間にも、根本の仲間から太一を経由する様に、やはり先程の休み時間についての質問の手紙が次々と届いて来ていた。
太一の机の上に徐々に溜まって行く小さく折り畳まれた根本宛の手紙を横目に見ながら、太一は余計に苛立ちを強め、先生の目を盗んでは根本の背中を突き続けたが、結局授業終了まで、根本が振り返る事はなかった。
(畜生! どーなってるんだ! 今日はもう一日!)
太一は心の中でそう叫んだ。
その日の授業が全て終り、先生が教室を後にして放課後になると、まるでそれを見計らったかの様に、四組の教室にはみっちゃんの姿があった。
「迎えに来た」
美紗子の席の目の前まで来たみっちゃんは、根本の席を警戒する様にチラッとそちらを眺めながら、そう言った。
「君は」
そのみっちゃんの言葉に美紗子より先に反応したのは、まだ隣の席にいた幸一の方だった。
「やあ、今日は倉橋さんと帰る約束をしているんだ」
幸一の方に軽く片手を挙げて、みっちゃんはそう答えた。
それを聞き、みっちゃんと美紗子を交互に眺める幸一。
「直ぐに帰るの? あの…僕もその…倉橋さんに、用事があるんだ」
美紗子の顔も、みっちゃんの顔も、まともに見る事もなく、視点を彷徨わせながら幸一がそう言うと、次の瞬間驚いた表情で隣の幸一を眺めた美紗子の頬が、少しずつ赤みを帯びた。
「ほお」
それに気付いたみっちゃんは小さく声を漏す。
美紗子の表情は、嬉しくもあり、困った様でもあった。
だからみっちゃんはすかさず口を開いた。
「ごめん。紙夜里が廊下で待っているんだ。君の話は明日でもいいんだろう? それに倉橋さんを早く教室から出してあげたいし…そうだ倉橋さん! 例の物も見つかったんだ!」
「えっ? そうなの? 良かった♪ で、何処にあったの?」
みっちゃんが上履きの話を出して来た事で、思わず美紗子は幸一からみっちゃんの方に顔を向けて、ついそちらの話に乗っかった。
「誰かが間違えて履いて、途中で気付いたのかも知れない。綺麗な状態で、下駄箱に戻っていたよ。だから何も、心配する様な事はなかったんだよ」
みっちゃんは美紗子の問いに、笑ってそう答えた。
「そうなんだ。今日は色々あって、私てっきりそれは
「上履きは関係なかったみたいだね。大丈夫大丈夫」
一つ安心したのか、笑顔で話す美紗子の言葉をみっちゃんはわざと遮った。
『虐め』と言う言葉を、美紗子の口から出したくなかったからだ。
幸一はそんな二人の対話を意味も分からず眺めていた。
それは自分の知らない所で、既に何かが動き始めている事を予見させる様な話だったし、美紗子とみっちゃんがこんなにも話の出来る関係だというのも、幸一の知らない事だった。
何か困っている事があるんじゃないのだろうか?
美紗ちゃんは僕に何か話したい事があるんじゃないのだろうか?
僕がどう接する事が、本当は美紗ちゃんにとって一番良いんだろうか?
六時限目の間、ずっと幸一の考えていた事だった。
それは先程の五十嵐の言葉の影響を少なからず受けたからかも知れない。
それを更に授業中、恋愛というフィルターを外した上で幸一は考えてみた。
(好きという恋愛感情はまだ分からないけれど、失いたくないとは思った。今は友達として、側にいて欲しいとは感じる。もうこれからずっと、二度と口を利く事もない様な関係になるというのは嫌だ)
それが幸一の現時点での結論だった。
しかし、目の前のみっちゃんと美紗子の対話の中から置いてけぼりをくらっている今の自分の現状を見ると、今は少なからず疎外感も、感じていた。
(今必要としているのは、もう僕じゃないのかも知れない…)
だから、二人の対話に小さな声で割って入り、
「いいよ。僕の方は明日でも」
と、微笑んで幸一は言った。
五十嵐の弾いたショパンのエチュード第3番 ホ長調 Op.1が、頭の中で僅かに響いていた。
幸一は授業中に、映画等で良く使われるその曲の別名を思い出していた。
『別れの曲』
『だからさっき俺が弾いた曲の様にならない様に、お前を応援したい。いや、倉橋さんの方かな?』
そう言った五十嵐の言葉と共に。
つづく
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