第56話
「そう、あくまでも白を切るの」
そう言う紙夜里の目は一瞬鋭く根本を射抜いたが、直ぐに唇の隅を軽く上げて、「フッ」と声を漏らすと、微笑した。
「知らないと言う事をしつこく追求しても、時間の無駄だになりそうね。じゃあ遣り方を変える。私はほぼほぼ満足しているのよ。今の状況で。だからもう此処で、倉橋さんには構わないで貰いたい。あなたにキスの話を教えたのは私の間違いだった。それは謝る。使い方も知らなかったみたいだしね」
「ん」
紙夜里の言い方が癪に触ったのか、根本は睨んだまま一瞬威嚇する様に声を漏らした。
それを見て紙夜里は更に満足そうに微笑む。
「だからね、取引をしましょう。私はある程度自分の願いを成就した。だから今度はあなたの望みを一つ叶えるのを、お手伝いする。その代わりもう倉橋美紗子には手を出さない。どお? この条件は」
身構えながら黙って聞いていた根本は、紙夜里の話が終ると直ぐに噛み付く様に口を開いた。
「それは無理! 私の願いは美紗子を踏み台にする事だから。彼女を食い尽くす事で、私の周りに人が集まる。これを止める事は出来ないし、邪魔もさせない。あなたから教わったキスの話だってちゃんと有効活用してみせる。彼女を苦しませる為にね」
「自分は苦しくないのか?」
根本の話に口を挟む様に、二人から一歩退いた位置にいたみっちゃんが、それを聞いて口を出した。
思わずそちらを眺める根本。
「人を傷つけたり、貶める様な事をして、自分の気持ちは、苦しくならないのか?」
みっちゃんは再度問いかけた。
それは根本に限らず、紙夜里に向けての問いでもあった。
「自分さえ良ければいいから」
何を馬鹿な事を言っているんだとばかりに、根本は軽くそう言うと、体をみっちゃんの方に向けて、更に話し始めた。
「人間極論は先ず自分でしょう。現に普段誰も私の事なんか気にもかけないし、ウチの兄や姉に至っては、私を嘘つき扱いする。それがどう。私が美紗子の噂話をし出した途端、クラスの皆んなが集まって来て。悪口なんて言うと皆んなクスクス笑い出すのよ。美紗子を虐めた分だけ、私には友達が出来て、グループが出来るのよ。そんな楽しい事止められる? 何とも思っていない人に、罪の意識なんて感じない。だから幾らでも出来るし、こんなの所詮、軽いおふざけでしょ」
「楽しい? 楽しいのか? 虐められる側はそうは思わないだろう」
根本の言葉に胸糞が悪くなるのを感じて、みっちゃんは履き捨てるようにそう言い返した。
その様子を、紙夜里は黙って冷静な面持ちで静観していた。
根本の考えにも、理解出来る部分はあったからだ。
「美紗子の気持ちなんて、私には関係ないでしょ。私じゃないんだから。馬鹿じゃないの」
言いながら笑う根本に、ここで紙夜里が口を出した。
「どーでもいいけど、『美紗子美紗子』って呼び捨てにするのは止めて」
ムッとした顔で、それだけを言った。
それに反応して根本は今度は紙夜里の方を振り返る。
「は、何? あんな女、どー呼ぼうが勝手じゃない。あなた、美紗子の事が好きなんでしょう。教室にも来ていたもんね。それなのに私に美紗子のキスの話を教えて。何考えてるの? 私をやっぱり嵌めようとしているの? 何か狙いがあるんでしょう。だとしたら、あなたは私に何か言う資格はないね。同じ穴の狢だもん。私を嵌めようとしていないなら…あなたもしや…そう、あなたも美紗子を嵌めようとしていたのね。それで私を利用した」
そう根本が言った時だった。
突然紙夜里は前傾姿勢をとると、数歩前に出て、根本の腕を掴む様に両腕を伸ばした。
「なっ!」
根本は後ろに後退りするが、時既に遅し、紙夜里の手は根本の上腕筋をしっかりと捕まえた。
「紙夜里!」
慌ててそう叫ぶとみっちゃんは後ろから二人の間に入ろうと飛び出して来る。
その一瞬、紙夜里は自分の名前が呼ばれた方に目が行き、根本の服の腕の部分を掴んでいた指の力が落ちた。
スルスルと紙夜里の手から抜け出す根本。
視線を戻した先の根本が、「クスリ」っと、紙夜里には笑っているように見えた。
そして次の瞬間根本は、体をくるりと回しながら足を上げた。
たなびく根本のスカートに、思わずみっちゃんは根本のチラリと見えたパンツに目が行く。
ドン!
突然の音に驚いたみっちゃんがパンツから足先へと急いで視線を移すと、そこには紙夜里がお腹を押さえて、苦悶の表情で倒れていた。
それは至近距離からの根本の回し蹴りだった。
(なるほど、これは気持ちがいい!)
いつも兄に蹴られる方の立場で気付かなかったが、人を殴ったり蹴ったりする事は、意外とスカッとして気持ちがいいものだと、この時根本は初めて感じた。
そのままの興奮状態の中、倒れている紙夜里を見下ろしながら、根本は叫んだ。
「馬~鹿! あんた達何かにやられたりしないんだよ! 美紗子は私の物だ。好きな様にさせてもらうよ!」
言うと同時に階段を駆け下りて行く根本。
「まて!」
一瞬面食らっていたみっちゃんがそう言うと、直ぐ様逃げて行く根本を追う様に階段を下り始めた。
「まって」
それを見た紙夜里が、お腹を押さえてまだ倒れたまま、しかししっかりとした口調で、そうみっちゃんに声を掛けた。
紙夜里の声に階段途中で足を止め振り返るみっちゃん。
「でも」
「大丈夫。今日はもう何も出来ないよ。後一時限で放課後だから。放課後になれば、私達が美紗ちゃんと一緒に帰る。あいつには何も出来ない」
紙夜里の声を聞きながら、みっちゃんは下りて来た階段を再び上がり、心配そうな顔で、紙夜里の側へと戻った。
紙夜里は床の上にちょこんと正座する様な格好で、相変わらずお腹を手で押さえていた。
「大丈夫か? 立てるか?」
心配そうに座り込んでいる紙夜里に手を出しながら、みっちゃんは言った。
「みっちゃん。私が蹴られた瞬間。あいつのパンツ見てたでしょ?」
睨む様な顔で紙夜里はそう言うと、みっちゃんの手に掴まって、立ち上がり始めた。
その頃急いで階段を駆け下りた根本かおりは、何とも言い難い高揚感の中にいた。
心の中で鬱積していた何かが、綺麗さっぱり取り除かれたかの様だった。
(誰かを虐めるのは楽しい♪ 誰かを蹴るのは気持ちイイ♪ 突き抜ける様な気分だ♪)
根本は自分の中に自信が湧いて来るのを感じた。
自分がクラスを支配出来るのではないかとさえ思えた。
それはきっと、人間の原初から受け継がれて来た感情ではないかと思えるくらい、根本の中で馴染んで行く感情だった。
つづく
明けましておめでとうございます。
なんと、お正月ににけ様より、お年玉FAを頂きましたので、こちらで貼らせて頂きます♪
美麗・紙夜里ちゃんです♪ 有難うございます~!
いつも読んで頂いて、有難うございます。
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