第55話
みっちゃんの後ろを付いて、根本が階段を中頃まで上ると、頂上に人の髪が見え始めた。
一段一段上るにつれ、それは徐々に頭から下、顔・首・肩と姿を見せ始める。
屋上への扉の前に佇む紙夜里だ。
みっちゃんが『話がある』と言った時から、根本には分かっていた。どうせ呼び出したのは橋本紙夜里の方だろうと。
だから階段を上り切り、紙夜里の姿全体が露になった時には、根本にはさして驚くべき事はなかった筈だった。ただ一点を覗いて。
それは紙夜里の右手の先に、ゆらゆらと揺れながらぶら下がっていた。
屋上扉の前の踊り場程のフロアスペースで、扉を背に立つ紙夜里と対峙する様に立ち止まったみっちゃんの、更に斜め後ろで立ち止まった根本の目は、瞳孔を広げ、紙夜里の右手の先を凝視していた。
「気になる?」
それに直ぐに気付き、ほくそ笑みながらそう尋ねる紙夜里の目は、ただ一点、瞳孔を広げた根本の目だけを見ていた。
「何が?」
今更ではあるが、証拠がある訳ではない。一応は白を切る根本。
しかし、紙夜里の目を直視する事は出来なかった。
「倉橋美紗子さんの上履きが、校庭脇の側溝に捨てられていたの。あなたじゃないの?」
「そんな事があったの? 全く知らなかった。でも変ね。倉橋さん、上履き履いて来ていたけど」
右手に持つ美紗子の上履きをゆらゆら揺らしながら、ゆったりと丁寧に語る紙夜里に、根本は全てがバレている事を悟りながらも、証拠がないという自信から白を突き通そうと決意していた。
更にみっちゃんばかりではなく、紙夜里も上履きを履いているという事で、美紗子の上履きのカラクリも聞き出したかった。
「そう、白を切るんだ」
そう言う紙夜里の目が一瞬鋭くなったのを見て取ると、みっちゃんは少し心配になり、一歩紙夜里の方に踏み出し、「紙夜里」と、声をかけた。
「大丈夫」
紙夜里はみっちゃんの方を見ずに、相変わらず根本の目をじっと見たまま、直ぐにそれに答えた。
「大丈夫。もう上履きの事もいい。休み時間ももう余り残っていないし。単刀直入に話をする」
それはみっちゃんにと言うよりも、根本へ向けての言葉だった。
「ちっ」
根本は周りに聞こえない様に小さく舌打ちした。
つまりは上履きのカラクリについては、分からず仕舞いになりそうな雲行きになって来たからだ。
仕切り直す様に紙夜里は一度根本から視線を外し、下を向くと、改めて根本の方を見直した。
その間にみっちゃんは静かに紙夜里と根本の中間で後退りして、二人の視界から外れる様にした。
紙夜里の事は心配だが、直接自分の事ではないので、やはり何処か面倒臭い気持ちは否めなかったからだ。
そして改めて紙夜里は話し始めた。
「倉橋さんへの虐めを止めて欲しいの」
それは可愛らしい声色で、懇願する様な感じだった。
みっちゃんは紙夜里らしい手だと思いながらも、果たしてこの根本にそれが通じるかな? と思うと思わず笑い出しそうになった。
(全くこういう所の紙夜里は可愛い)
そう思い目を細めてにやけるみっちゃんに気付いた紙夜里は、ちょっとムッとした表情をみっちゃんに向けた。
「馬鹿じゃないの? キスの話を自分から教えたくせに。それにそもそも虐めなんてしていないから。さっきの上履きの話も全く知らなかったし。何か証拠でもあるの?」
紙夜里が一瞬みっちゃんの方に目を向けた間に、根本は口を開いていた。
再び根本の方へ目を向ける紙夜里。
みっちゃんも緩んだ頬を固くして、根本の方を眺めた。
(面倒臭いけど。やっぱり虐めは駄目だ。例え誰の場合でも、それは止めさせないと)
あくまで白を切る根本にみっちゃんはそう思った。
かつて小学低学年の頃に、みっちゃんはクラスの男子に虐められた事があった。
その当時、一見男子と見間違える様な容貌と、男子以上に体育が得意だったからだ。
『男女!』 『オカマ!』
彼ら自身良く理解出来ていない言葉でも、それを遣い、罵声を浴びせられた。
それはクラス替えまでの半年程続いた。
そしてその後、そう言う事があっても、みっちゃんは今度は自分が女子を虐める事になった。
同じクラスで、いつも自分の周りにいて、しつこくて、面倒臭くて、ウザい子だった。
ちょっとした事で、直ぐに泣くのも鬱陶しかった。
関りたくないのにいつも側に来て話しかけて来た。
だから友達数人と無視をした。
空気の様に扱った。
そのうち彼女は手紙を寄越して来た。
その手紙の内容は、虐められているのに、自分が悪かったと謝っていた。
『悪い所があれば直します』
と書いてあった。
友達はそれを見て更に大笑いして、『ウザー!』と騒いで、関係ないクラスの人にまで見せて、笑い者にしていた。
この辺りから自分は嫌な気分になっていた。
虐められながら、謝る人の心境。
虐められるのは自分に問題があって、それを直しますと言う心境。
そこまでして自分と繋がろうとする彼女。
自分がかつて虐められた時には考えもしなかった発想。
全てが謎で、面倒臭いと思った。
そして唯一つ。
(虐めは人の尊厳を失わせ、頭をおかしくさせる)
という事にだけ当時、気付いた。
(だからもう、そんな面倒臭い虐めは嫌なんだ…)
みっちゃんがそう思いながら眺めた根本の目は、笑っていた。
つづく
いつも読んで頂いて、有難うございます。
ブックマーク・評価・感想など頂けると励みになります。





