第53話
教室の後ろの出入り口の所から、体を半分中に入れてみっちゃんは立っていた。
直ぐ側の席の悠那と隣にいた美智子も振り返る。
「この人二組の人だよ」
小声で美智子は悠那にそう伝えると、自分もその場にいたあの放課後の出来事を思い出し始めた。
二組と聞いて訝しげな表情をする悠那。
「じゃあ、元はと言えばこいつの所為なの? 美紗ちゃんがこんな事になったのは」
目はみっちゃんを捉えたまま、悠那も小さな声で美智子に尋ねた。
「それは…言えばそもそもは美紗ちゃんが借りた物を返すのを忘れた事が悪かったって事にまで遡るんだけど…そうだ、確かこの人、みっちゃんって呼ばれてた人」
悠那に話しながら、美智子は思い出した勢いでつい名前の所だけ声がやや大きくなった。
自分の名前が呼ばれたのに気付いたみっちゃんは美智子の方に目を向ける。
「あなた、前に会ったね。ふーん」
みっちゃんはそう言うと、美智子が思わず肩に手を載せている悠那と、二人を交互に眺めた。
それから再度、今度ははっきりと美智子に向かって「根本かおりはどこ?」と、尋ねた。
蛇に睨まれた蛙の様にオドオドする美智子に対して、睨み返したまま、悠那が顔を美紗子の席の方に向ける。
それを見てみっちゃんもそちらを眺める。
そして美紗子の席の側で、その様子を眺めていた根本と目が合った。
「なんだ、倉橋さんを虐めている所か。丁度いい」
そう呟くと、みっちゃんはニヤリと唇の隅を上げて、そちらへ向かおうと悠那達の脇を通ろうとして、フッと何かを思い付き、立ち止まった。
「ところでアンタ達は、何で倉橋さんを助けようとしないんだ? 友達なんだろ?」
美智子と悠那の方を振り向いて尋ねる。
「なっ!?」
悠那は言葉に詰まった。
美智子はオドオドしながら、みっちゃんの鋭い目線から足元の方へ目を逸らした。
「フーン」
その様子を見てみっちゃんは詰まらなさそうな顔をすると、再び前を向き、根本の方へと歩き出した。
根本は自分の方に近付いて来るみっちゃんの、先ずは足元を確認した。
美紗子に上履きを貸したのは紙夜里だとは思うが、万が一という事もある。
それに、下校中に話し掛けられ、キスの話を教わった時、確かに紙夜里の隣にいた子だ。
根本は注意深くみっちゃんを足元から頭まで眺めた。
みっちゃんは、上履きを履いていた。
二組の教室を出る寸前、フッとスリッパである事に気付き、側にいた女子から借りて来たのだった。
美紗子の上履きをあの様にしたのが根本ならば、上履きで教室に入った美紗子を見て必ず驚くだろう。そしてその後に、『きっと誰かに借りたに違いない』と根本が考える事は、みっちゃんには容易に想像が出来た。
それは自分がかつて、虐められる側にも、虐める側にも、なった事があるという経験からだった。
二人の間の距離が、一メートルを切った辺りの所で、みっちゃんは立ち止まると口を開いた。
「話があるんだ。ちょっと出ないか?」
ゆっくりと落ち着いた声で、余裕たっぷりに話す。
根本はその雰囲気に、一瞬たじろいだが、直ぐに周りを意識してか、微笑みながら返した。
「今は忙しいんだ。後にしてくれない?」
「そうなの? じゃあ今此処で話す?」
根本の言葉に直ぐにみっちゃんはそう言うと、スタスタと根本との距離を詰める様に歩き出し、瞬時に根本の顔の側に自分の顔を近づけて、誰にも聞こえない様に小声で更に言った。
「上履きの話なんだけど?」
ドキッ!
その言葉には流石の根本も、一瞬で顔色が青ざめた。
(何処まで知っているのか知らないが、美紗子も友達もいる、今此処で言われるのは不味い)
直ぐにそんな考えが頭を駆け巡った。
根本は美紗子を囲む様に立っている友達たちの顔を一通り眺めた。
それから観念した様に、周りの友達たちへ向かって話し始めた。
「皆んなごめんね。ちょっと用事が出来ちゃった。その代り何か新しい、面白い情報を仕入れて来るから。それで許して」
両方の掌を合わせて、謝る格好をしながら皆んなに向かってそう話すと、今度は真剣な表情でみっちゃんの方を向いて、「じゃあ、行こう」と、根本は言った。
その間美紗子は、顔を上げて二人の様子を眺めていた。
何故ならば、僅かにだがみっちゃんの声で、『上履き』という言葉が、美紗子には聞こえたからだった。
満足そうな顔をして、根本を連れ立って、教室から出ようとしていたみっちゃんは、とある人物に気付いて足を止めた。
それから根本を置き去りに、教室の中程、水口の座っている席に向かって歩き出す。
「何にもしないんだね。副委員長」
側まで行くと、椅子に座り、教科書を開いている水口を見下ろしながら、なるべく意地悪そうにみっちゃんはわざと言った。
水口はそんなみっちゃんを無視する様に、机の上の教科書の方を見たまま、ポツリと一言だけ言い返した。
「関わらない事にしているんだ。美紗子とは。そう決めたんだ」
みっちゃんにはその言葉の意味が、全く分からなかったが、ただ、凄く意固地に見えた。
だから、
「ふーん。馬鹿みたい」
と、相変わらず下を向いている水口に言った。
それから直ぐに根本の元に戻ると、連れ立って教室から出て行った。
つづく
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