第52話
五時限目が終ると、二組の紙夜里は直ぐ教室を出て、下駄箱へと足早に向かった。
それを見届けてからみっちゃんは、「はぁ~」と、一つ溜息をついて、ゆっくりと自分の席から立ち上がった。
正直今回の紙夜里の計画は、気乗りがしなかった。
(なんでこんな遠回りな事をするんだろう。面倒臭い。悪い奴ならぶん殴ればいいじゃないか。だからあんな奴にキスの話なんかもしなければ良かったのに。倉橋さんの一番になりたいからって、馬鹿じゃないか。紙夜里の奴…)
そんな事を考えていると、ちょっと拗ねた表情になりながら、みっちゃんは教室の出入り口へと向かって、ゆっくりと歩き出した。
その頃、五年四組では、根本とその友達の数人が、美紗子の席を不自然に取り囲む様に立っていた。
幸一は相変わらず美紗子を避ける様に教室を出て行って、既にいなかった。
美紗子は何となく居心地の悪い状態で、立ち上がる事も出来ず、机から持って来ていた小説の文庫本を取り出すと、読む振りをした。
関りたくなかったからだ。
この状況には、後ろの席から見ていた悠那も気付いていた。
だから、何かあれば飛び出してやろうと、注視してみていたのだけれど、程なく側にやって来た美智子によって止められる事となった。
「下手をすると、余計美紗ちゃんが酷い目に合うかも知れないから。冷静にね。冷静に」
目を細め、心配そうに言う美智子に、悠那はコクリと頷いて、一度下を向いて冷静さを取り戻して、再び美紗子の席の方を眺めた。
「本当にさ、偶にいるんだよね~。皆んなに迷惑掛けといて、全然気付かない奴。普通だったら皆んなの見ている前で、水口さんに土下座とかするもんだよね~。『ごめんなさい、私が悪かったです。もう二度と男男騒いで、男子の事ばかり追っ掛け回したりしません』とかさ~。無神経にも程があるよ。良くこの教室に居られるよ」
側に立つ友達の誰かにでも話す様に、近くの美紗子に聞こえる様に、これ見よがしに話す根本。
それを聞いて、更に美紗子の表情を眺めながら笑い出す根本の友達たち。
聞こえない振りをして、開いた文庫本のページを眺めながらも、話の内容が自分のこの前の事を言っているんだと直ぐに気づくと、美紗子は自分が男好きの様に言われているのが何だか悲しかった。
美智子から話には聞いていたが、直接そういう風に言われているのを聞いたのは、初めてだったからだ。
だから、無表情で聞こえない振りでいようとしていても、それは微妙に体に表れ、本を持つ手がわなわなと僅かに震えた。
そしてそれを見てまた笑い出す根本の友達たちと、その反応に好感触を掴んで微笑みながら、続けてまた話し出す根本。
「それからさ~、そのエロ女。男子とチューもしてるらしいよ。所構わず。いつでもどこでも。ホントどうしようもないエロ女らしくてさー、男子に抱きついて、こう舌を出して相手の口に入れる厭らしいチューの仕方するんだって。変態だよねそいつ。引くわ~」
「「「 あははははは 」」」
そんな根本の話にまた笑い出す友達たち。
今度の話は先程より声も大き目で、話の内容は教室にいた他の生徒達にも聞こえる程だった。
(そんな事はしてない。そんな事はしてない)
顔を真っ赤にして、最早手だけではなく、足もガクガクと震わせながら、やってもいないデタラメな噂を大きな声でわざと皆んなに聞こえる様に言うやり方に、美紗子は怒りと悲しみを感じていた。
そしてそんな美紗子の感情を露にした姿に更に面白がり喜んだ根本達は、高笑いした。
これが根本の美紗子絡みの面白い事だった。
根本は自分の周りの連中の顔を眺めた。
皆んな一様に笑っている。
その姿はどう見ても今のこの瞬間を楽しんでいるという風で、根本はこれで上履きの件は帳消しに出来ると確信した。
それから、高低差の優位性という事も、この時根本は初めて気付いた。
椅子に座り、上を仰ぎ見ようとしない美紗子は、上から見ると、小さく怯えている様に見えた。
見えるのは無防備に晒された頭部のみ。
『小さくて弱い生き物』
きっとこの感覚は、自分だけではなくて、今こうして一緒に美紗子を虐めている友達たちも感じているに違いないと根本は思った。
優位性が優越感へと変わる。
独りぼっちの弱い生き物は、どんなに虐めてもこっちに歯向かっては来ないという自信が生まれて来た。
だから続けて、更に何か美紗子を貶める様な事を言おうとした瞬間だった。
「根本かおりはいる?」
後ろから突然名前を呼ばれた声に、根本は思わず驚き、慌てて後ろを振り向いた。
そこにはムッとした表情の、みっちゃんが立っていた。
つづく
いつも読んで頂いて、有難うございます。
ブックマーク・評価・感想など頂けると励みになります。





