第46話
カポッ カポッ
やはりみっちゃんの上履きは少し緩い様で、美紗子が階段を上がる為に足を上げる度、踵の方で上履きが少し垂れ下がり、変な音をさせていた。
(これじゃあ、目立っちゃうな~)
ちょっと困った顔でそう思うと、美紗子は二階と三階の間の踊り場で足を止めた。
そしてゆっくりと足を上げてみる。
カポッ
それまで美紗子の白のハイソックスと、上履きの底が触れていたのが、足を上げた途端隙間が出来て音がした。
「ハーッ」
思わず溜息が漏れる。
どうしたものかと思案しながら美紗子は足を床につけたまま、前へ横へと滑らせる様に動かしてみた。当たり前だが音はしない。
それから今度は少しだけ足を浮かせて、直ぐに床につけた。
これも音はしなかった。
(階段は足を大きく上げるから余計なのかも知れない。廊下や教室ではあまり足を上げない様にして歩けば大丈夫かなぁ)
美紗子はそんな事を考えながら、残りの階段を上り始めた。
カポッカポッ、音を立てながら階段を上り切ると、そこはもう五年の教室の廊下だった。
四組の教室の前では、男子が数人プロレスごっこをして遊んでいる。
美紗子はもういっそ、家に帰ってしまおうかとも思ったが、何とか気持ちを奮い立たせ、前へと足を出した。なるべく床を滑らす様に。
五組の前の廊下を足を滑らせる様にして歩く。
徐々に近付く教室に、顔が強張っていくのが分かった。
「おはよう」
その時プロレスごっこをしていた男子の一人が声を掛けて来た。
「あ、おはよう」
強張った表情のまま、ぎこちなく挨拶を返す美紗子。
相手は幸一の友達の五十嵐だった。
美紗子に声を掛けたのが嬉しいのか、少し頬を赤くしている。
一緒にいてプロレスごっこをしていたのも、幸一の友達の丸山と谷口だった。
良く幸一と一緒にいるのを見かけていた男子達だったので、思わず教室の前で立ち止まって、美紗子は幸一を探す様に廊下をキョロキョロと眺めた。
ドン!
その時教室から出て来た誰かとぶつかったのか、背中から前のめりに美紗子の体が大きく揺れた。
「きゃっ!」
「あ、ごめん」
思わず声を出すと同時に、聞こえて来た聞き覚えのある声に、美紗子は声の方を振り返った。
山崎幸一だった。
幸一は、美紗子の体の横を、スッと一瞬で通り過ぎて行った。
美紗子が思わず顔を綻ばせて眺めた幸一の顔は、美紗子から視線を外した、無表情の顔だった。
「いいのか?」
仲の良い友達の元に向かった幸一に、誰かが小声で言ったのが聞こえた。
「ん? 何の事?」
何の話か分からないといった素振りをする幸一に、美紗子は何故だかいたたまれなくなって、その場を後にするかの様に教室の中へと入った。
幾ら当面はお互いに関わらない様にしようという話をしたとはいえ、何だかとても酷い扱いの様な気がしたからだ。
「来た!」
フラフラと教室に入って来た美紗子が見えて、根本の周りの女子の一人が声をあげた。
「どう?」
他の生徒や机・椅子が邪魔で、なかなか美紗子の足元が確認出来ず、誰かが尋ねる。
根本もじっと席に座りながら、美紗子の足元を確認しようと懸命に目を走らせていた。
「あっ、ちょっと」
そのうち誰かが声を出した。
「履いてるよ。上履き。履いてるよ!」
その瞬間、根本は眩暈に襲われた。
それは有り得ない事だった。考えられない事だった。
だから根本の中の何かがプチンと切れたみたいに、根本の体は支える力を失い、椅子ごと後方へと倒れ始め、
「あ、ちょっと! 根本さん!」
「かおりちゃん!」
周りの子達の声が聞こえる中、根本自身にとっては多分それはスローモーションの映像で、ゆっくりと、ゆっくりと、
ガシャン!
椅子ごと床に倒れた。
それはあまりの出来事で、根本かおりは気絶した。
根本かおりが椅子ごと倒れた音が教室中に響くと、クラスにいた生徒は一斉にそちらを向いた。
「根本さん!」
「かおりさん!」
周りにいた女子の数人が囲む様にして立ちながら叫ぶ。
そして当然美紗子も、遠巻きに何事かとそれを眺めた。
教室にいた生徒達がザワザワと騒ぎながら、倒れた根本の周りに集まって来る。
「どうしたの?」
「なに? なに?」
口々に声が飛ぶが、誰も近付いて触れようとする者はいない。
そのうち覗いて見ていた女子の一人が、「死んだの?」と、言った瞬間、ハッと何事かに気付いたのか、元々根本の側にいた女子の一人が、
「私、先生呼んで来る!」
と言って、その場を離れ、教室の出入り口へと向かおうとした。
周りに集まっていた人達を掻き分ける様にして前へ進む。
そんな中、最も後ろの方から、やはり倒れている根本を眺めている美紗子に気付いた。
思わず彼女は美紗子の方へと近づいた。
「あんたの所為だから!」
睨み付け、凄みを利かせて、彼女は美紗子に向かってそう言うと、直ぐに通り過ぎ、出入り口を潜り、廊下へと出て行った。
(私の所為?)
突然言われた言葉に、正直美紗子は何の事か分からなかった。
ただ自分の上履きがないのは、この前の中嶋美智子の話から推測するに、根本が絡んでいる可能性がとても高い。だからこれはきっと、虐めなのだと思っていた矢先に、根本が倒れた。つまり何処かで繋がっているという事だろうか? もしかすると、今この学校では、自分では理解出来ない様な不可思議な現象が起こっているのかも知れない。
そう思いながら周りを眺めると、根本の騒動で集まって来ていた女子が、今度は自分の方を見て、ヒソヒソと何やら話をしている様な気が、美紗子はして来るのだった。
美紗子はゆっくりと後退りをすると、何事もなかったかの様に、自分の席の方へと戻った。
『あんたの所為だから!』
先程言われた言葉だけが頭の中を駆け巡っていた。
周りにいた女子の何人かには、あの声も聞こえただろう。
きっとそこからまた、自分についてのある事ない事の噂話が始まるのだ。
席に戻った所で美紗子は、不安からの心細さで、思わず悠那を探した。
最初に振り返り見た、後ろの悠那の席には、悠那はいなかった。
改めて回りを見渡す。
すると何の事はない、悠那も倒れた根本を見に、集まっている生徒の輪の中に混ざって立っていた。いつも一緒にいるメンバーも、相変わらずそこにいた。
そして美智子も。
何やら悠那の隣に立ち、話しているのが見えた。
美智子の話に悠那も笑って何か話している。
(前はあそこは、私の場所だったんだよな…)
二人が仲良くなって行くのが嫌な訳ではないが、美紗子は、見なきゃ良かったと思った。
それから数分後、女子生徒に連れられて来た先生によって、根本は抱きかかえられ、保健室へと運ばれた。
これで朝の珍事はお開きとなり、生徒達はそれぞれ自分の席や友達の席へと散り散りになった。
しかし、だからと言って何事もない日常に戻る訳ではない。
今はクラス中、倒れた根本の話題で持ちきりとなっていた。
「何があったの?」
「どうしたの?」
事情を何も知らない生徒達は、口々にどうして急に根本が倒れたのかを話題にしていた。
そして根本の周りに集まっていた女子は、上履きの話には触れずに、「倉橋さんが入って来たら、途端に倒れた」「倉橋さんの呪い」「美紗子さんが何かしたのかも」「男好きの呪い」等と口々にまたも噂話を始めていた。
一部の人しか知らない上履きの話は、自分達にとってどう転ぶか分からないネタなので、今はしない方が良いというのが、彼女達の暗黙の中での共通認識だったらしい。
美紗子は自分の席に着くと、顔を机にうつ伏せて、独りぼっち、周りで複数の人達が話している自分の噂も、根本の噂も、耳に入って来なければいいな~と、思っていた。
足を宙に浮かせて、緩い上履きをブラブラさせながら。
つづく
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