第43話
(どうして?)
どうしてそこまでしてくれるのだろうか?
美紗子の頭にはそんな事が過ぎった。
紙夜里ちゃんなら兎も角、この子とはそれ程面識がある訳ではない。
紙夜里ちゃんの為? 私が紙夜里ちゃんの友達だから?
この子はそこまで紙夜里ちゃんの事が好きなのか?
きっとこの前思った通りの子だったんだ。
みっちゃんって言ったかな?
やっぱりみっちゃんは、水口さん達が言っていた様な子なんかじゃないんだ。とても優しい子なんだ。
それにしてもここまでしてくれるのは……もしかして、二人は私の今の状況をある程度知っているのかも知れない。クラスで無視されているのが、他のクラスにまで伝わっているのかも。
(だから紙夜里ちゃんは、さっきあんな事を訊いたのか…)
美紗子はみっちゃんに申し訳ないとは思いながらも、背に腹は代えられず、また断る理由も見つからないので、深々と頭を下げながら、
「ありがとう。みっちゃん」
と、言った。
「いいさ。じゃあ私はスリッパ履くから。気にしないで履いて。昨日洗って来たから臭くもないし、ネームの所名前も、擦れて読み辛くなってるから、人のを借りたなんてのも分からないと思う」
みっちゃんは、美紗子に名前で呼ばれ、お礼を言われたのが照れ臭かったのか、恥ずかしそうに首の後ろを掻きながら、早口で言った。
それを見て、紙夜里も微笑みながら口を開く。
「そうそう。履きなよ美紗ちゃん。それにあんまり深くお辞儀をし続けていると、ランドセルの蓋が開いて、中の物が出ちゃうよ」
そんな紙夜里の言葉に、美紗子は思わず「へっ?」っと、声を漏らすと急いで顔を上げた。
美紗子の視界に入った二人の顔は、優しく微笑んでいる。
それは何だかとても、貴重な瞬間に美紗子には思えた。
当たり前である時間の愛おしさを。
美紗子がみっちゃんの上履きを履くと、言われていた様に、少し緩かった。
「やっぱり緩いか?」
「でも大丈夫。少しだから。それに、キツイよりは良いから」
みっちゃんの言葉に美紗子はそう言うと、何とはなく紙夜里の足元を見た。
紙夜里はこの中で一番背が低く、足も細い。
(きっと紙夜里ちゃんの上履きだったら、足がギュウギュウで、相当痛いだろうな)
そんな事を思うと、美紗子の顔には笑みが零れた。
それに気付き、安心した表情になる紙夜里とみっちゃん。
それから直ぐに、みっちゃんがタイミングを計って口を開いた。
「じゃあ、そろそろ先に行きな」
美紗子はその言葉に、また現実に戻された様な気がして、表情に陰りが差した。
「大丈夫だよ美紗ちゃん。上履き履いてるんだから。何処も変な所ないよ。私達と一緒に登校する所、副委員長とかに見られない方がいいでしょ?」
紙夜里の言葉は確かにその通りだった。特にみっちゃんと一緒にいる所は。
美紗子は不安そうな瞳で、暫く二人の顔を眺めると、意を決した様に口を開いた。
「そうだね。うん。じゃあ私、こっちから行くよ。こっちからなら、殆ど誰にも会わないし」
美紗子はそう言うと、小さく二人に向けて、胸の辺りで手を振った。
きっと自分が去った後に、二人で話す事もあるのだろう。
美紗子はちょっとだけ二人と違うクラスだった事を後悔した。
(以前は紙夜里ちゃんが、私と違うクラスだった事を凄い嫌がっていたけれども)
そんな事を思い出すのも、きっと自分のクラスが怖く感じるからなんだろうと思いながら、美紗子は反転して、二人に背を向ける様に職員室側からの道を歩き出した。
「行っちゃった」
美紗子が職員室、校長室、保健室と通り過ぎ、階段のある突き当りまで行って、角を曲がり姿が見えなくなるのを見届けてから、みっちゃんはポツリと言った。
「良かったの? 上履き」
その言葉に呼応してか、まだ美紗子の去った廊下を見ながら、紙夜里はみっちゃんに尋ねた。
「うん。いいんだ。それより、私達も行こう」
みっちゃんはそう答えると、スリッパ入れの箱から、自分の履く分だけを出して、それを履くと、今来た昇降口の方を向いて、歩き出そうとした。
その様子を冷めた様な目で眺めながら、紙夜里も並んで歩き出した。
「私、今日のお昼休みは、美紗ちゃんと過ごすから」
ツンとした、少しキツイ言い方で言う紙夜里。
「いいよ。お昼休みは私も用事あるんだ」
「そう…」
みっちゃんの意外な答えに、一瞬言葉が浮かばない紙夜里。
しかしそれから直ぐ、また口を開いた。
「放課後も、多分美紗ちゃんと帰る」
相変わらず冷たい声で言う紙夜里にみっちゃんは少し寂しげな表情を見せた。
「帰りは…私も一緒に帰りたいな」
紙夜里にはその声が、聞こえたのか聞こえなかったのか、無言で廊下の角を曲がり、階段を上り始めた。
紙夜里が黙っているので、みっちゃんも黙って隣で階段を上る。
暫くして階段を数段上がった所で、紙夜里が話し始めた。
「上履きは、あったの?」
「あった」
やはり気付いていたのかと思いながら、みっちゃんはそう言った。
「それでお昼休みは何の用事があるの?」
紙夜里のその言葉を聞いた瞬間、みっちゃんは紙夜里がおおよそ気付いている事を確信した。
「ちょっと、あんまりにも汚い物があって。外の水道で洗おうかなと思って」
「そういう事なの…」
みっちゃんの言葉にそれだけ言うと、紙夜里は丁度階段の踊り場にかかった所で、足を止めた。
慌ててみっちゃんも立ち止まると、紙夜里がみっちゃんの方を向いた。
「それでもね、みっちゃん。それでも私の中の順位は変わらないから。一番好きなのはやっぱり美紗ちゃんだから」
憐れむ様な目で見ながら紙夜里は言った。
「分かってる。そういう事を望んでる訳じゃないから」
「ふーん」
みっちゃんの言葉にそう声を出すと、紙夜里は再び階段を上りながら、話を続けた。
「でも、努力しているのは分かるよ。今日もスカートだし。何が目的は知らないけど、いいよ、帰り。美紗ちゃんと私の後ろを黙って付いて来るなら、一緒に帰っても。もしかしたら、その頃には上履きも乾いているかも知れないし」
急にまた歩き出した紙夜里に、後を付ける形になったみっちゃんは、階段を先に上りながらそう言う紙夜里の口元が、後方斜め下から見ていて、笑っていて、白い歯が見えたような気がした。
だからみっちゃんは嬉しくて、
「ありがとう!」
と、明るく言った。
その頃四組では、根本が教室に入って来る美紗子を心待ちにして待っていた。
金曜に目撃した美紗子と紙夜里の姿が、根本を急がせていたからだ。
そして話は、土曜日の根本に戻る。
つづく
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