第41話
週末が終わり月曜になると、再び学校が始まる。
幼少期から何かしらの組織に名を連ねて、惰性で続く習慣は、何の疑問も持たずに子供たちを学校へと足運ばさせ続ける。
そして美紗子も、何の疑問も持たずその繰り返しが当然の事の様に、今日も登校班に混ざり小学校の門を潜った。
校庭の隅を自分の学年の校舎・昇降口へと向かう。
途中数人のクラスの女子に会ったが、何も話し掛けられなかったし、こちらからも何も話さなかった。
彼女達は様々だった。
明らかに無視しているのを、態度や表情で表す子。
困った様な顔をして、気まずそうに顔を背ける子。
どちらにしても美紗子は、その度に意識させられた。
ー自分が無視されている事をー
そして中には嫌々やっている人もいるのだから、恨んではいけないと、一所懸命自分に言い聞かせようとするのだった。
昇降口に辿り着いた時、美紗子の周りに同じクラスの女子は一人もいなかった。
美紗子の姿を見かけると、皆んな足早に、美紗子より先に昇降口を目指したからだ。また、美紗子より後ろにいた者は、わざと足を止めたり、ゆっくりと歩いて、美紗子が下駄箱で上履きに履き替えて、去って行くのを待っていた。
それは端から見ても、異様だったのかも知れない。
他所のクラスの子達が、訝いぶかしげに美紗子の事を眺めながら去って行く。
「あの子もしかして無視されてない?」
「しっ、聞こえたらまずいよ。あーゆーのには関らない関らない」
下駄箱の前に立つ美紗子の後ろを通る他所のクラスの女子の声が、美紗子の耳にも入って来た。
無視されているという事実よりも、そういう風に入って来る声の方が、美紗子を悲しい気分にさせていた。
考えてもどうしようもない事だから、考えない・気にしないでいようと思っていた心に、
(ああそうなんだ。やっぱり私は無視されているんだ)
と、その言葉達はじわじわと心に染みを広げて行った。
だから登校班で学校に来た時に比べると、今はかなり心細くなって来ていた。
ガタッ
それでも教室には行かなければと、美紗子は無表情で下駄箱を開けた。
(あれ?)
そこには金曜日に持って帰るのを忘れた、ある筈の上履きがなかった。
(何で? どうして?)
余りにも意外な出来事に美紗子は、パニックになりながら、下駄箱を間違えていないか確認したり、下駄箱の棚の上、天板の上に置かれていないかと、背伸びして眺めてみたり、何処かその辺に落ちていないかと、周りをぐるりと見渡したりとした。
しかし、どこにも見当たらなかった。
現状クラスの女子に無視されている美紗子としては、この状況を誰かに相談する事も出来ない。
わなわなと震えだす体。
(今日はもう、こういう事もされる様になったの?)
それはもう、美紗子の想定の外の出来事だった。
無視からの流れで考えると、これは虐めの可能性が高い。
そう思うと後はもう、不安で一杯になって来た。
小刻みに震える足で、それでも此処にずっと止まる事もまた、誰かの反感を買うのではないか? と、もう必要以上に心配になり、ハイソックスのまま廊下へと上った。
そのままそこで、どうしようかと職員室や校長室の並ぶ廊下を眺めると、来客用のスリッパの大量に入った箱がある事に気付いた。
正直それだって目立つ。馬鹿にされたり、悪口の格好の的になったりする可能性は高いだろう。
それでも上履きを履かず、ハイソックスのまま授業を受けて、一日学校にいるよりは、随分とマシに思えた。
何より美紗子は、ハイソックスで一日過ごす事が、相当にみすぼらしく感じたのだった。
廊下の隅に置かれた来賓用のスリッパの入った箱の側まで来ると、美紗子はその中へとそっと手を伸ばした。
「おはよう♪ 美紗ちゃん」
その時だった。
突然後ろから声を掛けられて、驚いて振り向いた先にいたのは、
紙夜里とみっちゃんだった。
普段上の階に上る上級生たち、即ちこちらの棟だと五年生らは、昇降口から廊下に上がると直ぐに右の調理室の前を通り階段へと向かう。
児童心理というものか、職員室や校長室の並ぶ左側から階段を利用するものは殆どいなかった。
だから、職員室近くのスリッパ入れの箱の前にいる、美紗子と紙夜里とみっちゃんを、何事かと振り返り眺める生徒は居たとしても、近くまで寄ってくる者はいなかった。
ハイソックスで廊下に佇む自分が恥ずかしかったのか、美紗子は咄嗟に左足を右足の後ろに隠す様にした。無論、そんな事をしても無意味なのだが、それでも何故か、そうしないではいられなかった。
「上履き、どうかしたのか?」
尋ねて来たのはみっちゃんの方だった。
そう尋ねながら、みっちゃんはまさかと思い、隣にいる紙夜里の方を見た。
紙夜里は唇をギュッと噛み締めて、怒っている様に見える。
(ああ、そうだよな…)
みっちゃんは自分の想像が外れた事にホッと胸を撫で下ろした。
(紙夜里は今、ずっと私といたんだ。それに大好きな倉橋さんの事を、自分の手でそんな事をする筈がない。幾ら自分だけを頼る様にしたいと言っても、こんな事をして、バレれば全てが水の泡だ。つまりこれは紙夜里じゃないし。紙夜里にとっても想定外な事なのかも知れない)
「上履きが、ないの? なかったの?」
心配そうな声で、今にも不安で泣き出しそうな表情を美紗子に見せながら、紙夜里は言った。
「うん…置いて行った筈なんだけど。でも、勘違いかも知れないし」
例えばそれが虐めだったとしたら、親しい友達にはそんな姿は見せたくなかったし、虐められているとは思われたくなかった。
それは人間関係を変える。
今までの様に対等には話せなくなって行く。
そんな思いが美紗子の中にはあった。
だから悠那や美智子にも、自力でなんとかするから、当分関らなくていいと言ったのだった。
どんなに今まで通りのつもりでも、『かわいそう』という気持ちは声のトーンや表情に出る。自分自身も相手に対してきっと下手に出る様になるだろう。
そんな事を思うと、「虐められた」「誰かに上履きを隠された」等という言葉は、到底紙夜里にいえる筈がなかった。
「それでスリッパを?」
「探したのか?」
紙夜里とみっちゃんが立て続けに訊いて来た。
「一応、下駄箱の周りは」
「誰かが間違って履いて行ったのかも知れない」
美紗子の言葉に、もう殆どこれは虐めだと思いながらも、その事に触れない美紗子に考慮して、みっちゃんは違う可能性を口にした。
「みっちゃん…」
その言葉に美紗子ではなく紙夜里が反応した。
紙夜里はそうみっちゃんの名を呟くと、腕の辺りの服を掴み、何かを懇願する様に、みっちゃんの顔を仰ぎ見た。
そしてそれが、何を求めての行動かは、みっちゃんには容易に理解出来た。
「私、もうちょっと広い範囲で、下駄箱の周り探して来てやるよ。上履きには名前書いてあるんだろう」
そう言うとみっちゃんは後ろを振り返り、今来た道を早足で戻り始めた。
「あ、あの」
突然の事に思わず美紗子は声を出す。
「大丈夫。みっちゃんならもしあれば、必ず見つけ出して来るから」
不安な表情でみっちゃんの背中を見送る美紗子に、紙夜里はそう優しく声をかけた。
「だから、ここで二人でちょっとだけ待っていよう」
美紗子は紙夜里の言葉に、小さく頷いた。
(それにしても…)
美紗子と、みっちゃんの帰りを待ちながら、紙夜里はずっと根本の事を考えていた。
(全く。なんでこうも使えない奴らばかりなんだ。あ~! 腹が立つ。やり過ぎて美紗ちゃんの心を壊す様な事があったらどうするんだ。私は今のままの美紗ちゃんが欲しいんだ。私の事を一番の仲良しだと思ってくれて、私だけを頼ってくれる美紗ちゃん。それが望みなんだ。心を病んで、誰の事も受け入れない様になったらどうする。私の事すら拒絶する様な美紗ちゃんになったらどうする。全く意味がないじゃないか。クソッ! 根本の奴め。間違いなくあいつの仕業だ)
その頃、下駄箱から範囲を広げ、校舎の外に出て来たみっちゃんは、美紗子の上履きを意外にも簡単に発見していた。
(やっぱりな。持ち去って隠し持っているのは大変だからな。きっと屋外に出して、こういう事だろうと思った。手っ取り早い虐めのパターンだ)
そんな事を考えながらみっちゃんの見つめる先には、泥だらけの美紗子の上履きがあった。
校舎脇の側溝の蓋のない部分に、丁寧にも上履きで泥水をすくった跡まで残して。
だから上履きの中には、まだ泥水も残っていた。
(どうしたものか…)
側溝の側にしゃがんで、その汚れた上履きを眺めながら、みっちゃんは少しだけ思案した。
つづく
いつも読んで頂いて、有難うございます。
ブックマーク・評価・感想など頂けると励みになります。





