第3話
「最近あんまり美紗子と一緒にいないんじゃないか?」
昼休み。クラスの男子数人と校庭でドッヂボールをしていた幸一は、突然隣にいた五十嵐に、そう声を掛けられた。
「普通には話してるよ。前程熱中して本の話とかしなくなっただけ」
言いながら、幸一は飛んで来たボールを胸で受けた。
今やっているドッヂボール? は、五人程の友達で円の形になり、誰彼構わず投げて、取れなければアウトというものだった。
幸一は受けたボールをフェイントで隣の五十嵐に投げた。
「おっ!」
驚きながらも腰を屈め、膝辺りを狙われたボールを五十嵐は両手で受け止めた。
「へへへ」
思わず幸一の方を見て笑みを溢す五十嵐。
「その方が良いよ。お前気付いてなかったと思うけど、皆んながお前と美紗子の事冷やかすのって。二人で話ばっかりしてて、付き合い悪くなったからってのもあるんだぜ」
「そうなの?」
「そうなの!」
幸一の質問に答えながら、五十嵐はお返しとばかりに幸一の方に向けてボールを投げた。
「おっ!」
慌てて幸一はボールを受け止める。
「へへへへ」
「はははは」
幸一の方を見て笑っている五十嵐に、思わず幸一も可笑しくなって、笑い出した。
「おーい! 何二人だけでやってんだよ! こっちにもよこせよ!」
幸一の向かい側にいる丸山が、ボールが来ない事を不満気に文句を言った。
「あ、ゴメンゴメン」
その言葉に反応して幸一が慌てて丸山の方にボールを投げる。
しかしそれは大きく逸れて、丸山と隣の谷口の間を飛んで、転がって行った。
「何やってんだよ~!」
言いながら丸山はボールを取りに後ろに走って行った。
「ごめーん!」
笑いながら幸一は、丸山に聞こえる様に大きな声でそう言った。
そして五十嵐は、丸山がボールを拾いに行くのを見ながら、また話しかけて来た。
「それからさ、美紗子って結構男子に人気あるんだぜ」
「え?」
美紗子の名に思わず幸一は声を出す。
「なんか、芸能人みたいな華があるじゃん。垢抜けてるって言うの? 他のクラスも含めて、何人かはマジで狙っているのいるから。あんまり仲良いと、お前、狙われるぞ」
「何で? まだ僕らは小学生だろ? 何でそうなるの」
「は~。お前、小説や映画には詳しくて、物知りだけど。まだまだおこちゃまだな~」
五十嵐は溜息を付きながら呆れた様にそう言った。
その頃教室では美紗子が、数人の女子と机を囲み話をしていた。
「幸一君は大人しいし、優しいからいいよね。話してて楽しいのも分るよ」
「そんなでも」
仲良しの一人の悠那の言葉に美紗子は満更でもない顔でそう言った。
「それに比べて、アレ見て」
そう言って悠那が顎で示した先には、教室の隅で四人程でプロレスごっこをして遊んでいる男子の姿があった。床に寝転び、技をかけたり、かけられたり。
その中には遠野太一もいた。
「うん。ちょっとね」
美紗子は小声で周りの女子にだけ聞こえる様に言った。
女子達の間で小さな笑いが起こった。
それから少しして、そこにいた女子の一人、美咲が教室の前の時計を見て口を開いた。
「ところで次、音楽だよ。少し早いけど、音楽室行ってる?」
「あ! 私、教科書忘れた!」
美咲の言葉の直後、急に思い出した美紗子が声をあげた。
そしてそれから数分経った今、美紗子は一つ教室を挟んだ、二組の入り口の前に立ち、中を覗いていた。
「どうするの?」
先程音楽の教科書を忘れた事に気付いた美紗子に、悠那が尋ねて来た言葉だ。
「他所のクラスの友達に借りてくる」
美紗子はそう言って教室から出て行き、今、二組の入り口の前にいるのだった。
三・四年の時同じクラスで仲の良かった友達、橋本紙夜里がこのクラスにいたからだ。
大人しくて本好きだった彼女は直ぐに美紗子と仲良くなって、今もチョコチョコ本の貸し借り等をしている関係だった。
中を覗くと思いの外簡単に紙夜里を見つける事が出来た。
友達数人と教壇の前で立ち話をしている。
美紗子は念力ではないが、こっちに気付いて! とばかりに紙夜里に視線を送った。
一人で他所のクラスの中にドンドン入って行って、話しかける度胸はなかったからだ。
そしてその美紗子のやり方は間違ってはいなかった。
程なく紙夜里は美紗子の視線に気付いて、友人達に軽く何かを話してから、小走りに美紗子の側にやって来た。
「なーに?」
微かに聞こえる様な小さな声で、おっとりした感じで紙夜里が言った。
「ごめん。次の時間音楽なんだけど、教科書忘れたの」
両掌を合わせ、拝む様に言う美紗子。
「あー、教科書?」
「うん。多分リコーダーやるから。教科書、譜面ないと…」
「あー。ちょっと待てて」
合点がいった様に紙夜里はそう答えると、また小走りで、今度は自分の机の方に走り出した。
机の中を覗いて、色々出しては引っ込めて、音楽の教科書を見つけ出す。
紙夜里は目をキラキラさせて、その教科書を片手で高く掲げると、美紗子の方に向けた。
それを見てうんうん頷く美紗子。
更にそれを見て、紙夜里は美紗子の所までもう一度小走りに向かった。
「これ?」
「そうそう!」
「今日の放課後には返してね。明日の三時限目が音楽で、リコーダーのテストがあるから。夜、練習したいし」
「了解しました!」
満面の笑みで、美紗子は紙夜里に敬礼する振りをしながらそう言って、教科書を受け取った。
その後の授業は何事もなく、放課後を迎えた。
美紗子は授業終了と同時にランドセルを背負い、手提げバッグを持って、教室を抜け出して、図書室を目指した。
今日は本を貸す事になっていたので、幸一との放課後の約束をしていた。
幸一は男友達と少し話をしたりして時間を潰してから図書館へ向かう。
直ぐに一緒に出ないのは、冷やかされない為だ。
先に着いた美紗子は、いつも通り一番奥のテーブルへと向かった。
一番奥のテーブルは半分本棚に隠れて見えなくなっている。ところがテーブルからは本棚の本の上の空洞部分から、図書室に入って来る人は見えるという場所だった。
それはまるで美紗子にとっては秘密基地の様で。
この席に座るといつも心がドキドキして、色々な他所の事は、考えが何処かに飛んで行ってしまう様な心境だった。
そして幸一が来るまでの間にと、手提げバッグから読みかけの『銀河鉄道の夜』を取り出し、テーブルの上に置いた。
十五分程遅れて図書室に入って来た幸一は、既に何度も美紗子と会っている一番奥のテーブルへと、迷う事無くゆっくりと、歩いて行った。
一番奥の本棚の角から、隠れているテーブルの部分を覗く。
美紗子が頬杖を付きながら、真剣な顔で文庫本を読んでいるのが見えた。
幸一には気付いていない様だ。
幸一はちょっと悪戯っ子の表情になり、静かにテーブルを迂回して、ゆっくりと美紗子の隣に近づくと、耳元に顔を寄せた。
「今日は何を読んでるの?」
静かな図書室の中で、静寂を壊さぬ様に幸一は囁いた。
「ひっ!」
しかしその静寂は、美紗子が驚き発した声で破られた。
思わず出たちょっと甲高い声に慌てて美紗子は口元に手を当てて、それから今度は小さな声で幸一に話しかけた。
「驚いた。何時からいたの? 此処から来るのを見ていたつもりだったのに。気付かなかった」
その言葉を聞いて幸一はしてやったりと、笑みを溢した。
「今来た所だけど。そんなに夢中になって読んでたら、気付かないよ。フフ」
言いながら小さく笑い声をあげる幸一に、美紗子は少し口を尖がらせ、
「もう」
と、拗ねた表情をして見せた。
「フフ、そんなに面白い本だったの?」
「丁度いい所だったの」
まだ少し笑いながら尋ねて来た幸一に、美紗子はそう答えると、開いていたページに指を挟んで押さえ、本を閉じて、表紙を幸一に見せる様にした。
「『銀河鉄道の夜』か。これもアニメ映画になっているよね。うちの父さんがサントラのCD持っていたよ。細野晴臣さんのCDで。昔、その人の組んでいたユニットのY.M.Oっていうのが好きだったとかで。家で偶に流していたけど、賛美歌の様な曲や、不思議なカチカチッいう時計の様な音や、オルゴールの音、何か全体的に不思議な幻想的な曲だったな」
「へー、やっぱり幸一君は物知りね。賛美歌や幻想的な曲…合っていそう。私も聴いてみたいな」
「今度父さんに言って借りてあげるよ」
そう言いながら幸一は美紗子の隣の席に腰を降ろした。
「ありがとう。私もね、約束の本持って来たんだよ」
そう言うと美紗子は隣の空いている方の席に乗せて置いた手提げバッグの中を探し始めた。
その頃、美紗子と幸一のクラスに、二組の女子数人が泣いている紙夜里を連れてやって来ていた。
「倉橋美紗子さんいる?」
その中の一人が教室の中の誰に向かってというのではなく、声を出した。
まだ教室に残っていた数人の男子と女子が声の方を一斉に向いた。
「美紗ちゃん、いないよ。もう帰ったんじゃないかな?」
女子の中の一人が答える。
「帰った!?」
その言葉に二組の女子の一人が突然大きな声をあげた。
「な、なーに?」
何事かと残っていた女子達が二組の女子達のいる教室の入り口付近に集まり始めた。
「この子、紙夜里が倉橋さんに音楽の教科書を貸して、放課後には返して貰う約束をしてたんだって。何時までも教室で待っていても返しに来ないから。段々不安になって来て、この子大人しいから。自分の机に座って待っていたらしいんだけど、泣き出しちゃって。それで私達がどーしたの? って聞いて。ねー、だから倉橋さん何処?」
「えーだってねー」
「結構前からいなかったんじゃないかな」
「もう帰ったんだと思う。忘れたのかな? 紙夜里さんも、もっと早く来れば良かったのに」
クラスの女子が、二組の女子の話に口々に言葉を発した。
「明日、リコーダーテストなの。だから、教科書返してって言ったんだけど…」
それを聞いて、まだ少し泣きながらも精一杯、言葉を伝えようとする紙夜里。
「信じて待ってたんだよ紙夜里は。だからこっちに来るの遅くなったんだ。悪い? 貸した紙夜里が悪いの?」
更に二組の女子の中でも少し気の強そうな子が、機嫌を悪くしたのか、怒鳴る様な感じでそう言った。
つづく