第37話
「面白がっているんだろうな」
太一は端的に答えた。
それから、「事の発端はお前だろう」と言わんばかりに、幸一の方を責める様な眼差しで見つめ続けたまま、更に言葉を続けた。
「今までの冷やかしの延長線上さ。ただ今度は、美紗子が陰で男子と会っている男好きというイメージになってしまった。そういうのを嫌がる女子とその友達なんかが、根本の言葉に乗って、美紗子を無視し始めている」
「そんなぁ」
どうしてそうなるんだと言う気持ちが湧き上がると同時に、何となく女子と言うものはそういうものかも知れないなという納得出来る気持ちの狭間で、幸一はそれ以上言葉が出なかった。
「なっちまったもんはしょうがないさ。例えばお前が今更女子の中に入って、美紗子に対する誤解を解いたり、言い訳をして回った所で、火に油を注ぐだけさ。余計状況は悪くなる。そんな事はお前にも分るだろ?」
「……」
もうこうなっては、幸一が美紗子に関るのは逆効果だという事は、幸一にも直ぐに理解出来る事だった。だから幸一は黙って、太一の次の言葉を待った。
「だから、前にも言ったけれど、お前は美紗子には関るな。例え美紗子が無視されていても、美紗子がお前に助けを求めるような眼差しを送って来ても、お前は決して美紗子の方を見るな。クラスの女子を侮るな。あいつらはお前が思っている以上にお前と美紗子を観察して来る。弱みを見せたら直ぐに付け込まれる。美紗子が、徐々にエスカレートして行く酷い虐めに合う姿は見たくはないだろう。無視程度のうちで、やり過ごすんだ。俺も今の美紗子には関らない。男子は誰も美紗子に関わらない方が美紗子の為に良いと思うからだ。何もネタがなくなれば、何れ無視も終るさ。根本が、無理矢理引っ張り出して来たり、暴力的・直接的な虐めに変わってきさえしなければ」
「そうか…美紗ちゃん、無視されているのか…」
太一の話を聞くうちに、少しずつ幸一にも美紗子の現状が実感として伝わって来た。
「今更何を言ってる。トイレで話した時から、俺はこうなる事を言っていただろう。フン、兎に角お前は、美紗子と決して目を合わせるな。どんなに可哀想でも話し掛けるな。それは奴らの、根本の思う壺だ。只の暇潰しの遊びなら何れ終る。それから根本に関してはもう少し俺も調べてみるよ。美紗子と何か接点があるのか」
「そうか…そうだな。ありがとう」
意外な幸一のお礼の言葉に、太一は少し驚いた表情をすると、軽く微笑んだ。
「いいさ、美紗子の事だ。じゃあ、そろそろ教室に行こうぜ」
そう言うと太一は幸一の方へと歩いて行き、通り過ぎて校舎の角から出る所まで来ると、まだその場所に立ったまま動かずに、振り返り太一の方を見ている幸一に向かって手招きをした。
それを受けて校舎の陰、暗い所から明るい正面に向けて歩き出す幸一。
まだ二人は、美紗子のキスの噂話を知らなかった。
前日の下校の風景。
根本に言いたい事だけ告げて、その場を後にした紙夜里とみっちゃん。
みっちゃんは、紙夜里が根本に、「美紗ちゃんがキスをしている所を見た」と言っている時から今まで、一言も口を開けないでいた。
明らかに紙夜里が酷い事、悪い事をしているのに止められない自分。
そんな自分が何事もなかった様に、他所の事は話すというのは許せなかった。
(見て見ぬ振りをすると言う事は、こんなにも苦しい事なのか)
みっちゃんは紙夜里の隣を歩きながら、苦しんでいた。
「ねえ?」
そんな時、こちらも根本と別れてからずっと黙っていた紙夜里が口を開いた。
「偽物の幸せと、本物だけれど何もない平坦な日々。どっちが良いと思う?」
「?」
突然話しかけて来た紙夜里の言葉が、全くその場にそぐわない、意味不明の言葉だったので、みっちゃんは急には言葉が出なかった。
「偽物は、いつかはそれを剥がされる、不安の中での幸せだよね。でも一時の幸せは味わえる。何もない日々は、それが現実として延々として続くだけ。どんなに望んでも、望む幸せは、至福の一時は永遠に訪れない。だから私も根本さんも、嘘を付いても、偽物でも一時の幸せを求める。それは一度、至福の時を味わった事があるからかも知れない。あの時よ、もう一度。と。きっとそれは、みっちゃんには分らないよね~」
淡々と語る紙夜里の言葉に、みっちゃんは首を大きく横に振り、しかし口には出さなかった。
本当はその気持ちはみっちゃんにも分っていた。
紙夜里が美紗子の方しか見ていない事が、辛い程にはっきり分るからだ。
(でもそれを、やってしまう人と、出来ない人がいるんだよ。紙夜里)
その日は美紗子にとって、授業中が一番落ち着く時間になっていた。
そしてそれは、これからもだろうと思うと、少し悲しい気持ちになった。
何度かこっそり覗いた隣の幸一の姿は、いつも通りで、しかし一度もこちらを見る素振りはなかった。
(どうせもうバレてるんだから、もういいのに)
次の休み時間には、こちらから話しかけようか。
もう前みたいに普通に話してもいいんだよ。
今日の放課後図書室に行かない?
今読んでいる本はね…
頭の中でくるくると回る妄想の中の幸一は、「ああ、そうなんだ」と微笑んでいた。
だから授業中は嫌な事からは逃げ出して、楽しい事だけを考えていたかった。
そして休み時間が怖かった。
無視されていると気付きながらも、はっきりとした無視に合う事もそれ程なく、朝から何とはなく無事に過ごして来た学校も、既に五時限目前の休み時間になっていた。
今日の美紗子は、休み時間も自分の席に座って、大人しくしていた。
それを遠巻きに眺めながら、根本のグループは、朝のキスの話で盛り上がっている。
幸一は美紗子が席から動かないので、自分が席を離れ、仲の良い五十嵐達の所へと向かった。
美紗子の友達の悠那は、後ろの席からそんな美紗子を数人の友達と眺めていた。
「どうしたんだろ? 美紗ちゃん」
心配そうな声で悠那が呟いた。
「どうしたんだろうね?」
「ホント、今日は一日中一人でいるね」
悠那と同じく、まだ事情を知らない二人の友達がそれに続いて言う。
唯一事情を知る中嶋美智子はそんな三人の様子を伺いながら、言おうか言うまいか、暫く無言で考えていた。
すると悠那が居ても立ってもいられなくなったのか、突然手を上げて、
「美紗ちゃ~ん!」
と、叫びながら、手をおいでおいでと動かした。
声に驚いて振り向いた美紗子に、満面の笑顔の悠那の顔が見えた。
(悠那ちゃんはまだ知らなかったんだ)
それを知っただけでも、美紗子にとっては充分救われる瞬間だった。
朝の美智子の様子から、悠那達も噂を知って、対応に困っているのではと、美紗子は考えていたのだった。
誘われるがままに席を立ち、悠那達グループの方へと向かう美紗子。
歩きながらその中に美智子がいる事を確認する。
(悠那ちゃんに迷惑を掛ける訳にはいかない。先ずは中嶋さんに話を聞きたい)
そう決意した美紗子は、悠那達の所まで来ると直ぐに美智子の手を取って、両手で包みながら言った。
「ねえ、中嶋さん、今日一緒に帰ろう?」
その様子を根本達は面白くないといった顔で、眺めていた。
「え、え」
困惑する美智子。
「ずるーい! 中嶋さんだけ。私も一緒に帰る~」
直ぐに悠那が割って入り、美紗子の手の上に自分の手をのせながら言った。
「えっ、え」
今度は美紗子が困惑する番だった。
更に悠那はその手を美紗子の腰に回して抱きしめた。
悠那の顔が美紗子の耳元に来る。
「何かあるんでしょ?」
小さな声で、美紗子以外の誰にも聞こえない様に、悠那は囁いた。
その瞬間、心配事に強張っていた心が、温かい陽射しに当てられたかの如く、和らぐのを感じた美紗子は、ちょっとだけ目に涙を浮かべて、
「ありがとう」
と、悠那に言った。
「じゃあ、決まりだね。中嶋さんもだからね♪」
悠那は満面の笑顔で美紗子から美智子の方まで見ながら、そう言った。
「え、…ええ」
美智子は歯切れの悪い感じで、仕方なくも承諾すると、皆んなに気付かれない様に、根本達の方を一瞬眺めた。
つづく
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