第36話
話しかけて貰いたくないのがありありと分る返答に、美紗子は少し困惑して、立ち上がりながら「あはっ」と笑顔で声を出すと、美智子の前を通り過ぎ、自分の席の方へと向かって歩き出した。
背中には何となく美智子の視線を感じたが、もう一度振り返り話し掛ける等といった神経は、流石に美紗子にはなかった。
それどころか、これは結構なショックだった。
自分を憧れの様な目で見つめていた美智子でさえも、今は、話すのを躊躇う程なのか。
これはもしかすると悠那達でさえも、今までの様に気軽には話せない状況なのかも知れない。
(クラスの女子全員に無視されている?)
もしそうなら、流石にこのクラスでは生きては行けない。
美紗子は今になって事の重大さに気付き始めた。
(何が悪かったんだろう。どうすればいいんだ?)
自分の席の前まで来た美紗子は、椅子を引き、そこに腰を掛けながら考えた。
その頃幸一は、昇降口の所で太一に捕まっていた。
「なんだよ」
下駄箱から上履きを出そうとした腕を太一に掴まれた幸一は、そちらの方を向きそう言った。
今朝は機嫌が悪かったのだ。
「昨日の話、色々調べた。お前昨日訊きに来なかっただろう。ちょっと来い」
睨み付けている幸一の様子などお構いなく、太一は冷静にそう言うと、力任せに幸一の腕を引っ張り、校舎から外の校庭の方に向かって歩き出した。
「あっ、ちょっと。…おい、美紗ちゃんの事か?」
腕を引っ張られ、よろめきながらそう幸一は尋ねると、仕様がなく引っ張られるままに付いて歩いた。
太一は無言で、幸一の問いには答えなかった。
校庭に出ると太一は、校舎沿いに横に歩き、校舎の隅まで来ると、角を曲がり建物の陰に入った。
「こんなとこまで…」
随分と事が大袈裟な様な気がして、幸一は思わず呟く。
「誰かに聞かれたら不味いからな」
それまで背を向けて黙っていた太一がようやく口を開くと、幸一の方を真面目な顔で振り返った。
「先ず昨日のあの黒板の犯人だけど、あれはクラスの女子の、根本だ」
太一は嘘を付いた。
「だからね、キスしてるのを見た人がいるのよ。それも只のチューじゃなくて、お互いの舌をこう、絡ませていたんだって」
根本はそう言うと、自分の右手と左手の人差し指を絡ませて、動かして見せた。
「「「 えっ~!! 」」」
根本の周りに集まっていた八人程の女子が一斉に声をあげる。
「ちょっと凄いでしょ? 有り得ないよね~」
皆んなの驚いた顔を見て、満足気に話す根本。
しかしその話も、半分は嘘だった。
「凄いって言うか。何か引いちゃう~」
「ちょっと、倉橋さんには付いて行けないわ」
「美紗子ちゃんって、そんな子だったんだ~」
「気持ち悪~!」
根本の話に口々に感想を漏らす女子達。
「倉橋さんって、男大好きらしいからね」
気分が良くなり更に調子に乗って言う根本。
「「 えー! そうなの!? 」」
その言葉に反応してまた騒ぐ数人の女子。
「そのうち小学生で妊娠しちゃったりして♪」
更に調子に乗る根本。
「「「 あはははは 」」」
その言葉には、八人の女子が一斉に笑い声をあげた。
そしてその騒ぎ声は、それどころではなく考え事をしていた美紗子の耳には、届かなかった。
根本にとって、美紗子は宝の山だった。
美紗子の噂話に乗せて、適当に悪口を言っているだけで、クラスの数人の女子は既に根本の周りに集まる様になっていた。
(ちょろい)
そう思いながら、根本は昨日の紙夜里の言葉を思い出す。
『いつも一人で帰っているの?』
言われたくない言葉だった。
酷い言葉だと思った。
しかしその言葉を発した紙夜里の言葉で、今日はもう朝から人気者だ。
帰りだって今日は皆んなきっと、私の話を聞きたい筈だ。
(今日はひとりじゃない。そして倉橋美紗子の噂話や悪口を言ってさえいれば、これからもずっと…)
根本は自分の周りに集まり、口々に美紗子の事を話し合っている女子達の表情を眺めた。
美紗子のキスの話を、真剣に話す人、笑いながら話す人、気持ち悪そうに話す人。
三者三様の顔に、根本は満足気に微笑んだ。
『私、美紗ちゃんが同じクラスの山崎君とキスしているのを見たの。夜だった。小学生が夜出歩いて、そんな事していていいのかなぁって、ちょっと美紗ちゃんの事が心配になったの。きっとその山崎君って子が悪い子なんだと思うけど。根本さん、同じクラスの人だから、一応伝えておいた方が良いかと思って。私美紗ちゃんの友達で、心配だから。あ、でも、私から聞いたなんて事は絶対に誰にも言っちゃ駄目だよ。そんな事したら、根本さんクラスに居られなくなるから。あはっ』
昨日の下校時、二組の紙夜里が根本に教えてくれた話。
最後の脅しは意味不明だったが、この話は超が付く程美味しかった。
根本はこのキスネタだけで、まだ数日は皆んなで盛り上がれると踏んだ。
校舎脇。
「何で根本が!?」
幸一は腑に落ちないといった表情で太一の顔を見た。
「簡単だ。根本が副委員長の水口を問いただして、色々聞き出していた。お前と美紗子は、放課後図書室で会っていたんだろう。やっぱり付き合っていたんじゃないか!」
「ち、違う! あれは一緒に本を読んだり、話しをしていただけだ。美紗ちゃんが、本の話とかがしたいって言っていたから。じゃあ図書室で、偶に話そうかってなって。そもそもクラスで話していると皆んなが冷やかすから…」
突然の太一の怒鳴り声に驚いて、言い訳を言う幸一。
「じゃあ、付き合っているというのとは違うのか?」
「だから前にも言ったろ。僕らはまだ小学生だよ。何で直ぐに付き合う付き合わないって発想になるかな~。そういうんじゃないよ」
幸一の言い方に納得でもしたのか、太一は少しだけ安堵の表情を見せて、
「お前がガキで良かった」
と、言った。
それから太一は直ぐにまた表情を硬くして、続けて話し始めた。
「それで美紗子が、友達から借りた教科書を返すのを忘れて図書室にお前といる間、クラスの女子数人が美紗子を探していたそうだ」
この後も続く太一の話は、以前図書室で紙夜里から聞いた話と同じだった。
だから幸一は、太一が説明を終えると直ぐに質問した。
「それで何で根本さんなんだ? 根本さんは美紗ちゃんに恨みでもあるのか?」
と。
つづく
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