第31話
「はぁ~」
紙夜里はガッカリした様に力なく溜息を付いた。
それから、ニコニコしているみっちゃんを一瞥すると、口を開いた。
「今日は早速スカート履いて来たんだね。似合ってるよ」
「あ、気付いてくれてた! ありがとう! 紙夜里に言われてさ、急いで家に帰ってから探して見たんだ。そしたらウチに三枚しかなくて、スカート。良かった~似合っていたんなら」
「うん、似合ってる」
喜んで更にご機嫌なみっちゃんを他所に、紙夜里は何処か詰まらなさそうに言った。
「ところでさぁ、まだ時間大丈夫だよね? 屋上のドアの所に行かない?」
教室の前の廊下で立ち話をしていた紙夜里は、みっちゃんの後ろへと続く廊下、その先の階段の方を見ながら、そう言った。
「え、あそこ?」
「そう」
紙夜里の言葉にみっちゃんは一瞬戸惑った。
そこは紙夜里が四組の美紗子と会っていた場所だ。
此処ではなくて、わざわざそこで話をしたいというのは、何か周りに聞かれたくない話に違いなかった。人には言えない内緒の話。そう思うと、みっちゃんの気持ちは重かった。
隠し事は嫌だった。
みっちゃんは、友達の順位付けとか、クラス内の自分の順位とか、そんな事は結構気にしていたけれど、裏でコソコソ何かを画策する様な事は嫌いだった。
だから本当は、紙夜里が『美紗子が図書室で男子に会っている』と言った時も、それを言いふらして貰いたがっているのは気付いていたのだが、そうはしなかったのだ。
今度もまた、そんな話じゃないのかと思うと、何とかはぐらかしたい気持ちになった。
しかし、紙夜里は『そう』と言うと、みっちゃんの顔も見ず脇を通り過ぎ、廊下を端の階段の方に向かって既に歩き出していた。
「ちょっと」
仕方なく、嫌々ながらもみっちゃんは後を付いて行った。
廻り階段の踊り場の所を過ぎて、更に上ると、屋上扉のはめ込みの網入りガラスから漏れてくる陽射しが、階段最上段の辺りを照らしていた。
鉄筋コンクリートで閉ざされた空間でも、少しの採光があれば、意外と全体に明るい昼間の空間になるのだなと、閉ざされた空間に初めて上って来たみっちゃんは思った。
「意外に明るいんだね。もっと暗いと思ってた」
「うん。でも行き止まりだから、空気は悪いよ。ちょっと埃っぽい」
階段の上振り向かず、みっちゃんの前を上がりながら、紙夜里は言った。
屋上への扉がある最上階に上ると、紙夜里は扉に背を向ける様に立ち、みっちゃんと向かい合う形をとった。
「最近さぁ、本当に最近、紙夜里、急に変わったよね。前から倉橋さんの事好きだったのは分るけど、こんなにべったりじゃなかったよね。二組で打ち解けて、皆んなと上手くやっていると思っていたんだけどな。私とも」
最初に口を開いたのはみっちゃんの方だった。
嫌な話なら聞きたくないという気持ちと、ここ数日気になっていた事を訊くなら今しかないという思いだった。
「そのことなの」
それに答える様に、しんみりと、紙夜里が言った。
「実はね、私…」
紙夜里は訥々と、みっちゃんの目を見ながら話し始めた。
「実は…引っ越す事になるかも知れないの」
「いつ?」
その事自体はあまりみっちゃんは驚かなかった。
紙夜里自身の言葉が、『かも知れない』で、仮定の話だと思ったからだ。
「まだハッキリしないけれど、五年の終わり頃には多分。そうすれば六年は最初から違う学校で、区切りが良いでしょ」
「それは紙夜里の考え? それとも親の?」
紙夜里の答えに違和感を感じたみっちゃんは、即座に尋ねた。
どうも全ては紙夜里の憶測の様に見えて、それを餌に自分を何かに利用しようとしているのではないかとみっちゃんは勘繰っていた。
「あー、これは私の考え。親はまだちゃんとは言って来ないけど、間違いなく離婚して、私は引っ越す事になると思う」
「離婚!?」
その言葉が非常にリアルで、思わずみっちゃんは叫んだ。
「そう」
ぶらっと下げていた手を、胸の所で組んで、薄く微笑みながら紙夜里は言った。
「信じて貰うには、きっとそこからちゃんと言わなければならないんだよね」
みっちゃんの態度に、『引っ越す』という事が現実的ではないと受け取られていると感じた紙夜里は、そう言って、更に続けて話した。
「ちょっと前からなんだけどね、単身赴任しているウチのお父さんが、風俗の女の人を好きになっちゃってね。その人は仕事を辞めて。今ウチのお父さんと二人で、赴任先のアパートで暮らしているんだけど。昨日も夜中に電話が来て。ウチのお父さんからお母さん宛てで、「早く離婚届にサインしろ」とか、「そんな女殺してやる」とか、襖一つ隔てただけの隣の部屋でお母さん電話してるから、全部筒抜けで内容が分って。妹はもう寝ていたから聞こえなかったと思うけど、あの内容だと、間違いなく離婚すると思う」
「……」
思っていたよりも、紙夜里の話は重く信憑性があって、だからみっちゃんは何も言えなくなってしまった。
紙夜里の話は更に続く。
「親が離婚した場合、私や妹がどちらに行くのか? どうなるのか? とか、まるで分らないんだけど、兎に角この学校から転校する可能性は凄く高くて、昨日も寝るまでの間ずっと考えていたんだけど。やっぱり私は美紗ちゃんが一番好き。いつまで一緒に居られるか分らないけど、少しでも一緒に居たいの。下校とか、毎日でも一緒に帰りたいの。それは、二組のクラスや、みっちゃんが嫌いだからという事ではないんだよ。クラスの皆んなも、みっちゃんも好き。でも美紗ちゃんは、美紗ちゃんだけは特別なの。それも今では親が不倫して離婚騒ぎになって、私は自分が奈落の底に落ちた様な気分で。薄汚れた、穢れた様な…それに比べて美紗ちゃんは、まるでテレビに出ている芸能人の様。いつも男女共に人気があって、今の私には高嶺の花なの。そんな私が美紗ちゃんと以前の様に仲良く話したり、一緒に下校したり、親友と呼べる様な…そう、アンとダイアナの様に」
「ダイアナ?」
自分に酔っているかの様に話す紙夜里の言葉に、意味不明の単語が出て来て、みっちゃんは思わず繰り返した。
「だからね。美紗ちゃんを私と同じ所まで落とすしかないじゃない。私しか頼る相手がいない所まで、引きずり降ろすしかないじゃない。お願い。もう手伝ってなんかくれなくていい。見て見ぬふりをして。私と美紗ちゃんの間に関らないで」
つづく
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