第30話
「うわっ、何だよアイツ」
「へ?」
太一の方を見ていた五十嵐の言葉に、思わず幸一は何事かと声を漏らした。
「あれ、あれ」
五十嵐が小さく太一の方を、気付かれない様に指差して言う。
「太一の奴、お前の方を見て笑ってないか? 気持ち悪り~」
そう言われて幸一がそちらを振り向くと、確かに太一は笑っていた。と、言うよりは、微笑んでいた。
それは幸一から見ても、気持ち悪い光景だった。
(アイツ、何考えているんだ?)
困惑した表情で幸一はそう思った。
(こんな感じかな?)
太一は颯太の言葉を思い出して、笑顔を作る練習をしていた。
幸一に朝、情報収集は任せろと言った手前、午後からは女子の間に入り、何かしら話を聞き出さなければならない。普段女子とも気さくに話している幸一なら簡単に出来る事を、わざわざ自分が引き受けたのだ。それなりの所を見せなかればならないし、幸一に直接調べられては拙い事も実はあった。
一つには、美紗子に関する事で主導権を握る為に、幸一より先手先手で動きたかった。自分が情報を握り、幸一には適当な情報を流して、なるべく美紗子に何が起こっているのか分からなくして、遠ざけたかった。要するに、美紗子が困った事になった時、それを救うのが自分でありたかったのだ。
それからもう一つ、黒板に相合傘を書いたのは、自分だったからだ。
今朝一番にクラスに来た太一は、急いで昨日考えた作戦を実行に移した。
昨日トイレで幸一と話した後に思い付いた事。
相合傘を書く事だ。
誰にも見られていなかったとは思うが、万が一に越した事はない。
幸一があちこちの女子に色々尋ねて回り、もし自分を見ていた人が現れたら……即美紗子に伝わり、自分は破滅だろう。そう太一は確信していた。
しかし上手く行けば、美紗子は女子から孤立する。
そうすれば幸一は、火に油を注ぐ様に、美紗子の側には本当に行けなくなる。
幸一に限らず、女子から無視とかされている子に話し掛ける男子もそうそういないだろう。
『自分のものに出来ないんなら、誰のものにもしたくないな』
以前太一が、颯太に恋愛相談をした時に、颯太が言った言葉だ。
どうやら自分が好きな奈々という子の事を想って、ポロッと出た言葉らしかったが、太一の中では稲妻が走った様な衝撃的な言葉だった。
(なるほど。ちゃんと自分が女子と気さくに話せる様になるまで、そうすればいい。美紗子の時間を止めれば…)
自分に自信があれば、こんな考えも起きなかっただろう。太一は自信がなかった。ズルい事をしているという認識もあった。しかしそれは甘い誘惑で、バレなければ、バレずに時が経ってしまえば。それは無かった事と同じ事になる。そう思っていた。
その為にはやはり午後には女子に尋ねて回らないと、太一は朝黒板を見た生徒達の反応が鈍かった点も気になっていた。
二組の北村颯太は、同じクラスで幼馴染の野沢奈々に昔から強く恋していた。
その想いの強さが、ポロッとそういう言葉を吐かせたのかも知れないが、少なくとも彼は、そういうズルはしなかったし、そういう事は嫌っていた。
太一は履き違えたのだった。
幸一が受けたボールは向かいの谷口へ、谷口は五十嵐へと投げた。
五十嵐はニヤニヤ笑っている太一へと、「キモッ!」と叫び声を挙げながら投げる。
膝下にわざと取り辛く投げたボールを、太一は一瞬笑うのを止めて、確実に受ける。
そしてまたニヤニヤした顔に戻り、幸一へ向かって投げた。
「キモッ!」
それを見ていた五十嵐は再度叫んだ。
「俺にもボール回せよ~」
全体に向かって言う丸山。
まだ続いている校庭での光景。
その頃、四組の教室の出入り口には、紙夜里が来ていた。
放課後一緒に帰ろうと、美紗子を誘う為だ。
美紗子が駄目な場合、みっちゃんと帰るつもりなので、事前に確認しに来たのだ。
教壇側の前の戸口から覗いて美紗子を探していた紙夜里は、程なく後ろの方の席に集まっている四~五人の女子のグループの中に、美紗子を見つけた。
美紗子は悠那の席に、悠那と二人で椅子を半分個ずつにして、お尻をくっ付け合わせて座っていた。更にそれを囲む様に三人程の女子が立って話している。
周りの皆んなの顔をみながら楽しそうに笑っている美紗子。
紙夜里は一瞬唇を噛み締めて、睨む様にそれを眺めた。
それから戸口から首を引っ込めると、廊下を教室の後ろの戸口へと向かう。
こちらからだと近いので、声を掛けても届くと思ったからだ。
後ろの戸口から紙夜里が顔を出すと、直ぐ近くに美紗子と悠那の並んだ背中が見えた。
「美紗ちゃ~ん」
クラスの話し声に掻き消されそうな、か細い声で呼ぶ。
背を向けている美紗子には気付かれなかったが、立ってそのグループに混ざっていた中嶋美智子が気付いた。彼女はあの日の放課後、美紗子を探したクラスメイトの一人だった為、紙夜里にも会っていて、その顔を覚えていた。
「あれ、あの子」
ポロッと口から出た言葉に美紗子が反応した。
あの日の帰り、美智子が美紗子の事を待っていた時から、少しだけ美紗子は気に掛ける様にしていたからだ。
美智子の見つめる先へと、体を捻って振り向く美紗子。
振り向いた美紗子の顔が見えると、紙夜里はパーッと明るい表情をして、小さく手を振った。
「紙夜里ちゃん」
美紗子は紙夜里の名を呟くと、立ち上がり、
「ちょっとごめんね」
と、周りに言って、足早に紙夜里の方へと向かった。
「どうしたの?」
昨日の夜、幸一との密会を尾行していたのが分り、当分は気まずくて近寄って来ないかと思っていたので、美紗子はちょっと紙夜里の姿に驚いていた。
「今日も一緒に帰れる?」
最上級の笑顔で尋ねる紙夜里。
「え、今日?」
わざわざ四組まで自分に会いに来たのだから、もっと最近の流れからだと重要な用事かと思っていた美紗子は、紙夜里のその言葉がちょっと意外で、面食らって、思わず聞き返した。
「そう!」
期待度MAXの声で即答する紙夜里。
しかし美紗子には、予定が入っていた。
苦笑いをしながら、紙夜里の顔色を伺う様に話す美紗子。
「ごめんね。今日は悠那達と帰る約束しちゃったの。だから、今日は無理。ごめん。また誘って」
本心からの言葉だった。
「あ、そうなんだ…ここの所美紗ちゃんと話す機会が一杯あったから、また前みたいに一緒に帰れるかもって、思っちゃった。そうだよね、お互いにクラスが別々になって、クラスの友達とか居るもんね。うん、じゃあ、また誘う」
そう言いながら最後を笑顔で閉めるのが、紙夜里には精一杯だった。
「紙夜里ちゃん…」
紙夜里の言葉に、何となく断った事への罪悪感の様なものを感じて、美紗子はつい呟いた。
しかし、その声に反応する事もなく、紙夜里は直ぐに自分の教室に向かって足早に歩き出していた。
紙夜里が二組の教室の前まで戻ると、みっちゃんが走ってやって来た。
「何処行ってたんだよ? 最近直ぐ居なくなるな~」
「ちょっと」
みっちゃんの問いに仏頂面で答える。
「ところでさー、今日は一緒に帰れそうか?」
紙夜里の機嫌を伺う様に、ニコニコしながらみっちゃんは尋ねた。
「ん? 今日は大丈夫。ところで」
何かを思い出したのか、紙夜里は答えた後に更に言葉を続けた。
「ところでさ、この前教えた美紗ちゃんが男子と図書室で会っていた話。四組の誰かに教えた? 話した?」
「そんな事する訳ないだろ。紙夜里から聞いた事は内緒だし、その約束を守る為には誰にも言わないのが一番だし。紙夜里は親友だから私に教えたんだろ? だから、紙夜里の友達が困るような事、ちょっと面白くない事があったとしても、私が言う訳ないじゃん!」
みっちゃんは自信満々、胸を張って、堂々と答えた。
つづく
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