第26話
美紗子は自分から催促した事への恥ずかしさと、受け入れて貰えたという事の嬉しさとで、唇をキュッと噤んだまま、やはり頬を紅らめ、ゆっっくりとぎこちなく手を伸ばした。
幸一の指先に触れると、そこを自分の指を滑らせる様にし、感触を確認するかの様にしながら、 少しずつ掌の方に向かう。そうやって、全てを記憶に刻むかの様にして、美紗子は自分の掌を、幸一の掌と重ね合わせた。
ギュッ!
その瞬間、美紗子が柔らかく重ねた掌を幸一が強く握り締めた。
「帰ろう」
幸一は微笑みながらそう言って、美紗子の手を軽く引っ張りながら、歩き出そうとした。
美紗子は、ドキドキとした鼓動が止まらなかった。
自分が意識しているのが、はっきりと自分でも分った。
だから幸一に引っ張られても、直ぐに反応出来ずに思わず躓きそうになっても、声一つ上げられなかった。
幸一と手を繋いで歩く。
今までだって手を重ね合わせたり、何かの拍子に体が触れ合う事はあった。
しかしその都度に、今の様な感情はなかった。
今までの「好き」と、今の「好き」は違う。
二日間話が出来なかった事が、それまで当たり前だと思っていた事への想いを募らせ、美紗子の中の想いをよりはっきりとした輪郭の、強いものへとした。
だから今の幸一と手を繋いで歩く美紗子は、全身に鳥肌が立つ様な不思議な温かさを感じて、ボーッとして歩いていた。
幸一が隣で何かを語りかけているのも聞こえずにボーッと。
幸一の住むマンションと、美紗子の家の方向は、途中までは同じ道だった。
幸一のマンションは、国道沿いにあったが、美紗子の家はそのマンションに辿り着く三百メートル程前に、国道を右折して新興住宅地の方へ入って行く。
幸一は美紗子を家の方まで送るべきか、分かれ道の所でバイバイするべきか、悩んでいた。
今歩いている旧道沿いは、点在する街灯から外れると結構暗く、前を歩いて来る人がいてもなかなか気付けない位だった。
そんな所を美紗子が一人で歩いて来たのも驚きだったが、その道をまた一人で帰らせるのも幸一自身しのびなかった。
もう少し行って国道に出れば、今よりも街灯の数も増え、車の往来も増えるので、相当明るくなる。コンビニやガソリンスタンド等の明かりも増える。しかし、それから右折して美紗子の家へと向かう住宅地の道は、また街灯の数が極端に減り、夜は正直寂しい道だった。
(そもそも美紗子は親に何と言って家を出て来たのだろう?)
そんな素朴な疑問が幸一の脳裏に浮かんだ。
幸一は正面を見たまま、隣を歩く美紗子の事を目だけを動かしてチラリと眺めた。
手を繋いで歩き出してから、一言も発していない美紗子、やはり幸一と同じ様に正面を見て歩いている。
「どうする? 家まで送って行く?」
前を見ながら幸一は、気になっていた事をそれとなく口に出す。
しかし美紗子からの言葉は返って来なかった。
何か考え事をしているのか、心此処に有らずの様な状態に感じて、幸一もそれだけで口を噤んで、暫くは話しかけようとはしなかった。
そんな感じなので、二人はとりたてて周囲を気にしながら歩いている訳でもなかった。
この密会を仕組んでくれた紙夜里が、四メートル程後ろを歩いている事も、知る由はなかった。
繋がれた手が前に出ると、車道側を歩く幸一の左足も前に出る。
そして内側を歩く美紗子の右足もやはり前に出る。
黙々と歩く二人の繋がれた手の振りは弱く、決して幸せそうな二人には、後ろから見ている紙夜里には見えなかった。
国道に出て、もう少しで分かれ道になるので、幸一は再度尋ねた。
「もう少しで、帰り道が違くなるけど、どーする?」
今度は送ろうか? とは言わなかった。
優しさからそう尋ねて、二度も無視をされたら、流石に幸一も心臓に悪いと思ったからだ。
ほんのりと頬を上気させて、今まで何か楽しい事でも考えていたのか、想像していたのか、美紗子は嬉しそうな顔で今度は幸一の方を振り返った。
「ごめんなさい。聞いていなかった。なぁに?」
まだ何処か心此処に有らずなおぼろげな口調で話す美紗子。
「あはっ、そう。何か考え事していた? そろそろ道が分かれるから、どうしようかと思って」
「あー、幸一君は? 幸一君はどうしたい?」
何やら夢見心地の様な虚ろな瞳で美紗子は言った。
だから幸一は、その言葉で歩くのを止め、立ち止まった。
先程から繋いでいる美紗子の手が、とても温かいのも、気になっていた。
幸一が立ち止まった事で同じく足を止めた美紗子の方に体を向けると幸一は、繋いでいない方の手を上げて、美紗子の前髪を掻き上げる様におでこに手を当てた。
「なっ!?」
突然の事に思わず声を上げる美紗子。
繋いだ手の温度も更に上った。
「頬が紅くて、手も温かいし、ボーッとしている様だから、熱があるのかと思って。風邪でもひいた? やっぱりちょっと、熱っぽい様な気がする」
「へ? ちょっと、あの」
幸一の勘違いに美紗子は更に自分の体の中をカーッと熱が上るのが分った。
「ち、違うよ。これは…風邪じゃないよ…」
大きくした瞳をうるうるさせながら、赤面のまま幸一の顔を見つめてそう言った美紗子は、体中火照り、微塵たりとも動く事が出来なくなった。
「そお?」
美紗子のおでこに当てた手を離しながら幸一は訊いた。
「そ、そう」
手を離されて、赤面した顔を隠す様に俯いてから、美紗子は動揺した声で言った。
二人が立ち止まったのを、紙夜里は四メートル離れた電柱の陰に隠れ、ちょこんと顔だけ出して眺めていた。
何事が起こったのか、此処からでは声も聞こえず、知る事も出来なかった。
ただ、何やら気になる動きをしている様に感じて、もう少し距離を縮めようか等と考えあぐねいていた。
「だ、大丈夫だから」
まだ体の火照りもおさまらず、心臓もドキドキしたまま、美紗子はそう言うと、やっと動く様になった体で、幸一に心配を掛けない為か、歩き出そうとした。
「あっ」
その美紗子の行動に幸一は思わず声を漏らす。
まだ気持ちの落ち着いていない美紗子が歩こうとした方向が、繋いだ手とは反対方向だったからだ。
急な事に反転し切れなかった幸一は、自分の体に自分の腕が横切りながら絡まり、そのままフラついた拍子に、繋がっている美紗子の事も大きく引っ張る事となった。
「あっ!」
思わず声を漏らす美紗子。
「ご、ごめ
繋いでいない方の手で、自分の体に当たって来た美紗子の体を支えながら、幸一は謝ろうと声を出し掛けた瞬間。はっとして声が出なくなった。
幸一に引っ張られてぶつかった拍子に、まだボーッとしていて無警戒だった美紗子の顔は、幸一の頬に当たっていた。
その薄く柔らかい、まだ幼い唇は、幸一の頬に接吻していた。
「あーーー!!」
そして四メートル後ろから、甲高い叫び声が聞こえた。
つづく
本作は、ラブコメではないです。多分。(笑)
読んで頂いて、有難うございます。
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