第24話
此処の小学校の前には、旧道が走っている。
もう何十年も前に国道は、街中を迂回して新しく作られていて、商店も何件かそちらに移転した。
なので、学校の前の通りに立ち並ぶ店の殆どは昔からの小さな店で、それもまばらに点在している様な状態だった。所々の空いている土地は、駐車場や何年も経って廃屋と化した空き家等になっていた。
旧道沿いに等間隔で立ち並び、薄ぼんやりとあかりを灯す街灯。
あちこち虫食いの様に奥からの明かりが店先を照らす商店。
車で通り過ぎる分には気にもならないのかも知れないが、もう完全な漆黒の闇と化したこの時期の午後六時では、この道を学校に戻る事は相当に寂しい気分がするものだと、幸一は感じていた。
(本当に美紗ちゃんは来るんだろうか?)
時間的に激しく横の車道を車は行き来しているが、どうにも自分の歩いている歩道側は薄暗く、物寂しい感じがするので、幸一は本当にこんな所に美紗子が来るのか心配になって、返す為にブックカバーを付けて来た本を、ギュッと一瞬強く握った。
少しずつ校門側の街灯で、校門周辺が見え始める。
幸一は目を細め、数十メートル離れた校門の辺りを凝視する。
時間は午後五時五十三分。
本当は十分前には着いている予定だったのだが、美紗子に返す本に、ブックカバーを付けるのに手間取ってしまった。家にあった模様の入った包み紙から、センスの良さそうなのを選んで、自分で作ったのだ。恋愛感情にはまだ程遠かったが、愛情はあった。
幸一は、美紗子に優しくしたいと思う気持ちは沢山あった。
-愛は敗れても親切は勝つー
作家のカート・ヴォネガットの言葉だ。
幸一は以前親が観ていたこの作家の映画化作品『スローターハウス5』を途中から一緒に観て、興味を持った。それで試しに買って読んでみた『ジェイルバード』にこの言葉が出て来たのだ。
小説の内容は、ニクソンという大統領が絡んだ汚職事件に関する所から、あちこち色々飛ぶので、まだ小学生の幸一には殆ど良く分らなかった。
しかし、この言葉だけは妙にしっくり来て、幸一が最も気にかけている好きな言葉となっていた。
校門の下を上から三角形に照らす街灯の明かりは、薄ぼんやりとした白い霧の様だった。
歩きながらそこを凝視し続ける幸一は、初めはゆらゆらと揺れる一本の棒の様なものが立っている様に見えたものが、近付くにつれて徐々に輪郭のはっきりとした形を成して行き、いつしかそれが美紗子である事に気付いた。
その瞬間走り出す。
美紗子は既に来ていたのだ。
タッ! タッ! タッ!
「ハァ ハァ ハァ…」
全速力、息を切らせて走る。
少しずつ近付いて来る幸一に、最初は辺りを見回していた美紗子もそのうち気付いて、十メートルを切った辺りの所で幸一に向かって大きく手を振った。
幸一も「ハァ ハァ ハァ」苦しそうに息をしながら片手を挙げる。
美紗子の元に着くと幸一は肩で息をして、本を持ったまま両手を膝に付き、苦しそうに呼吸を整えていた。
その間美紗子は毎日会ってはいる筈の幸一の事を、とても懐かしい気持ちで眺めていた。
それだから、二人の間には暫くの沈黙があった。
「ハァー、スゥー、ハァー」
呼吸も大分楽になって来た頃、幸一はまだ膝に手を当て、腰を曲げたまま、顔だけを上げた。
「随分。久し振りな気がする」
まだ汗だくな顔で、幸一は微笑みながら言った。
「私も」
そう幸一の言葉に答えながら、自分でも分らないまま、何故なのか美紗子の瞳からは一筋、涙が流れた。
「でも、まだ本当は、話さなくなってから二日しか経っていない」
幸一はそう言いうと、膝から手を離し、背筋を伸ばして、美紗子に向かって微笑んで見せた。
「橋本さんから、話を聞いたよ」
紙夜里の事である。
「うん」
大きく頷きながら、美紗子は体が震えてくるのを感じた。どうにも我慢出来ない衝動が走っていた。
「泣いて、いるの?」
街灯の下、そう幸一が美紗子の顔を伺う様に尋ねた時だった。
話を半ばで幸一は止めなければいけなくなった。
美紗子が突然幸一に抱きついて来たからだ。
女の子独特の、甘い、石鹸の様な匂いが幸一を包み、幸一はただ呆然と直立不動のままにそこに立ち尽くしてしまった。
美紗子は幸一の肩に腕を回し、そのまま幸一の肩に顔を押し当てていた。
僅かに聞こえるすすり泣き。
「もう何ヶ月も会っていなかったみたい…会いたかったぁ、話したかったぁ」
まだ泣き止まないのか、美紗子の涙声が幸一の肩の所から、幸一の体へと響く。
それは、幸一の心を優しい気持ちで満たす声で、思わず垂れ下がっていた両の手を前へと出すと、幸一は美紗子の体へと回した。
それから、夕方会った紙夜里の言葉を思い出していた。
ー美紗ちゃんは、あなたの事が好きなのよー
その言葉が、今は確信に変わっていた。
(小学生で、”愛”とかそんな感情があるのかは分らないけれど。もしあるのならば、きっと美紗ちゃんの今の想いは、”愛”と言うものなのかも知れないな。だとしたら、やっぱり僕はいい加減な気持ちで接してはいけないんだ。僕にはまだ、そういう気持ちが分らない。僕にあるのは、今はまだ友達として大好きだという想いだけだ。それはきっと、美紗ちゃんを傷付ける事になる。特にさっき聞いた話から察する状況だと…きっと僕に出来る事は、こうする事なんだ)
自分の中の決意を再確認すると、幸一はゆっくりと美紗子の背中に回していた両手を一度離して、今度は手を美紗子の脇を掴むように添えると、これまたゆっくりと、美紗子の体を自分の体から引き離した。
その事に違和感を感じながらも、美紗子も素直に離れる。
「どうしたの?」
幸一から離されてそう尋ねた美紗子の顔には、涙の跡はあっても、もう泣いてはいなかった。
「これ」
キョトンとした顔の美紗子に幸一は言いながら、本を持った手を前に出した。
「美紗ちゃんがあの日忘れて行った『銀河鉄道の夜』だよ」
「ああ、色々あり過ぎて私、そんな事も忘れていた」
美紗子はそう言うと幸一の差し出した手から本を受け取り、目の前に持ち、そのカバーを眺めた。
「これは、幸一君?」
再び目線を幸一に戻し、カバーに触れて尋ねる。
「そう。そのまんま返すんじゃアレかなと思って。ウチにあった包装紙にイイ柄があったから、そんなので悪いんだけど」
カバーについて触れられて、少し嬉しくなった幸一は、ちょっとだけ頬を染めて恥ずかしそうにそう答えた。
「ありがとう~♪ とっても可愛い。大事にするね」
幸一の優しさに美紗子は、胸の辺りが暖かくなるのを感じて、更に幸一を好きになって行っているのに気付いた。
「うん。それから、話を聞いたから、美紗ちゃんが僕を避けていた理由も全部分ったよ。元々僕達は良く冷やかされていたから、その判断は正しかったと思う」
「怒っていない? 嫌ったりしてない?」
どうやら幸一の話が本題に入り始めたので、美紗子は気になっていた事を尋ねた。
「まさか!? 最初はどうしたんだろうって思ったけど。そんな、怒ったり嫌いになったりする訳ないじゃないか。美紗ちゃんは僕の大事な友達なんだから」
つづく
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