第19話
チャイムが鳴り、日直が「起立!」と言う声が聞こえて、初めて美紗子は五時限目の授業が終わった事に気付き、慌てて席を立った。
周りの皆んなに合わせて急いで礼をする。
先生が教壇を降りて教室の出入り口へと向かう。
五時限目が終了して、美紗子が心密かに待ちわびていた休み時間になった。
昼休みの話だと、此処で紙夜里が四組に顔を出す筈である。
美紗子は教室の前の出入り口の方を暫く眺めていた。
するとゆっくりと、紙夜里が顔を出し、中を覗き始めた。
それから紙夜里の顔の直ぐ横に、みっちゃんの顔も現れた。
紙夜里の顔を見つけた瞬間、思わず手を振ろうとした美紗子は、みっちゃんの顔で我に返った。
(この場合、私は関係ない、繋がっていない様に見せた方がいいんだろうな。やっぱり)
挙げかけた手を美紗子は降ろすと、静かに席を立ち、後ろの方の、仲の良い悠那の席の方へと歩き出した。
悠那にまではまだ、先程授業中に回っていた手紙は届いていなかった。このグループにはクラスの女子が騒ぎ始めている話は伝わって来ていなかったのである。
美紗子は微笑みながら悠那の席の前に立ち、そこに集まる他の数人の女子の輪に混ざった。
そしてその中には、美紗子の脇にいつの間にか並び立ち、中嶋美智子の姿もあった。
四組の教室を覗く紙夜里とみっちゃんは、そのうち副委員長の水口と視線があった。
「「あっ!」」
どちらからともなく声が出ると、睨む様な顔で水口は席を立ち、教室の入り口、紙夜里とみっちゃんの方へと歩き出した。
「何の用?」
側まで来て、紙夜里の事は眼中にも無い様に、みっちゃんの顔をひたすら睨みながら水口は言った。
「ふん。丁度いい。山崎幸一ってどこ?」
水口の態度にみっちゃんも睨みながらそう言った。
「山崎君?」
言いながら水口は嫌な予感がした。
(何故山崎幸一なのか? 山崎君は美紗子と繋がっている。もしやこの子は何か知っているのでは?)
「紙夜里がその幸一君に用事があるんだ。紙夜里は大人しい性格だから、一人で違うクラスに行って話をする事が出来ない。だから付いて来た。悪いか?」
みっちゃんは自分が知っているという事を隠す様に話した。
(美紗子があの日、山崎君といたかも知れないという事を、この子が何か確証を持って知っているのなら、必ず私を馬鹿にする筈だ。やはり美紗子の件は何も知らないという事か…)
「ふーん。山崎君は…」
みっちゃんの話から、知らないと判断した水口はそう言いながら幸一の方を眺めた。
その視線に気付き、自分の席に座っていた幸一も、そちらの方を眺める。
視線から紙夜里とみっちゃんも幸一を識別した。
そのうちみっちゃんが幸一の方へ、おいでおいでと手招きをしだしたので、幸一は席を立ち、そちらへと向かう事にした。
四組の教室の前の出入り口の所に幸一が着くと、みっちゃんが急に水口の手を引っ張って、廊下の方に連れ出した。
「何!?」
突然の事に驚いて声を出す水口。
「邪魔するなよ」
冷静な声で、相変わらず水口の手を引っ張り、二人からなるべく遠ざけようとするみっちゃん。
水口とみっちゃんがある程度離れると、紙夜里は下を向いたまま、両手をギュッと握り締めたまま、僅かに口を開いた。
「美紗ちゃんの事で…話が…あるの」
それは蚊の鳴く様な小さな声で、途切れ途切れの言葉だった。
「……」
幸一は突然来たこの子が、急に美紗子の名を出したので、一体何を言いたいのか全く分らず、黙っていた。
すると突然握り締めていた右手を、紙夜里は幸一の手に当てて来た。そして握っていた手を開く。
中に握っていた紙の感触が幸一の手に伝わり、幸一は知らずにその紙を握った。
「読んで」
相変わらず下を向き、目線を合わせないまま紙夜里はそう言うと、すぐさま後ろを振り返り、廊下を二組の方へと歩き出した。
それに気付いたみっちゃんが慌てて水口の手を離し、紙夜里の後を追う。
「上手く行ったの?」
追いついたみっちゃんが紙夜里に尋ねる。
紙夜里はそれに頷いて返した。
突然手から手へと渡された紙は、クラスの誰も気付く者はいなかった。
だから素知らぬ振りで、幸一はそのまま男子トイレへと向かった。
それから、みっちゃんに手を離されて、廊下に置き去りにされた水口は、何が起こったのかも分からずに、暫くそこに立ち尽くしていた。
五年の男子トイレに入ると、幸一は直ぐに周りを確認した。
小便器の列の真ん中に男子が一人いた。
それを見て幸一は、少し恥ずかしかったが大の方の個室へと向かい入った。
三つあるうちの一番端の窓側だ。
ドアを閉めて、握っていた手を開く。
掌の上では、クシャクシャになった二つ折りの紙が、圧力から開放されて少しだけ広がる様に動いた。
ガサガサ
紙の擦れる音を少しだけ響かせ、幸一は紙を開いた。
-今日の放課後、図書室の奥のテーブルで待っていますー
橋本 紙夜里
紙に書かれていたのはそれだけだった。
しかし幸一はその一文から重要な事を知る事が出来た。
(待ち合わせ場所が奥くのテーブルって事は、美紗ちゃんがあの子にあの場所の事を話したに違いない。だとしたらこれは、美紗ちゃん本人から頼まれた事なのか?)
幸一は最近の美紗子の不穏な態度に疑問を感じていたし、昼休みの太一の事も。
(全ての疑問が解ける…)
幸一は紙夜里の指定通りに従おうと思った。
全ての授業が終わり、放課後になると、美紗子は相変わらず幸一の方を見る事もなく、そそくさと帰り支度をして、教室を後にした。
幸一はゆっくりと帰り支度をして、美紗子が帰るのを待っていた。
そして美紗子が教室から出て行くのを見ると、急いでランドセルを背負い、手提げバッグを持つと立ち上がり、同じく教室から出て行き、図書室を目指した。
図書室へと向かう道すがら幸一は、もしかしたらそこに美紗子もいるかも知れない。さっきの子は二人をこっそり会わせる為に先程の紙をよこしたのかも知れない。等と考えては、直ぐにその考えを打ち捨てた。
もし同じ所へ向かっているのであれば見える筈である美紗子の後姿が、幾ら廊下を歩いても、決して遥か先を見渡しても、見えなかったからだ。
(やはりあの子だけなのかな?)
ほとんど知らない女の子とこれから図書室で二人きりで会う。
より現実味のあるこちらのパターンを考えた時、幸一は少し緊張を覚えた。
美紗子とは実際良く話をしていたが、他の女子とはそれ程深く話をした事はなかったからだ。
そもそも本来は男子とドッヂボールやサッカーをしている方が、今の幸一にはまだ楽しかったのだ。女子を見て可愛いと思う気持ちはあっても、例えば美紗子との場合、話していてとにかく楽しくて、見ていて確かに可愛かったけれど、恋愛感情というものが湧く事はまだなかった。ただ、仲の良い友達として優しくしてあげたかっただけだった。
だから馴れていない他の女子とこれからわざわざ会って話すというのは、考えると相当面倒で、緊張する事だった。
そんな事を考えながら歩いていると、幸一は図書室の前に着いた。
図書室の入り口の引き戸の前には、紙夜里に頼まれたのか、みっちゃんが壁にもたれながら立っていた。
「君は入らないの?」
先程紙夜里と一緒にいた子だと直ぐに気付いた幸一は、話しかけた。
「此処で待っていてと言われた」
如何にも不満そうに仏頂面をして、みっちゃんは答えた。
「そう」
何と言えば良いのか分らず幸一はそれだけ言う。
「いいから。紙夜里が待ってる。早く入って」
みっちゃんのその言葉に幸一は今度は無言で頷き、そして図書室の引き戸を引いた。
つづく
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