第17話
太一は幸一の方を向かず、下の方を見ながらそう言った。
よそ見をしてコントロールが狂うのは嫌だったからだ。
「そんな! まだ小学生だよ。付き合うなんて」
幸一は美紗子と付き合っているのか? という質問にとても恥ずかしくなり、顔を赤らめて叫んだ。それからハッっとなり、今度は周りを見渡した。
幸一と太一以外は、誰も男子トイレにはいなかった。
「そんなにキョロキョロしてると、便器から外れちゃうぞ」
雰囲気で察したのか、太一は相変わらず下を見たまま言った。
「んっ、だ、大丈夫」
慌てて幸一はそう言うと、下を見た。
おしっこはちゃんと的を外してはいなかった。
「じゃあ、付き合ってはいないんだな」
今度はちゃんと横を向き、幸一の方を見ながら太一は言った。
「だからまだ小学生だろ。そんな事考えた事もないよ」
おしっこを終えた幸一は、ズボンのチャックを上げながら答える。
「そうか…」
言いながら太一もおしっこを終え、チャックを上げ始める。
それから振り返ると、既に洗面台の方に向かっている幸一の方を見て話し始めた。
「俺は好きなんだ。美紗子の事が」
「えっ!?」
またも太一の言葉に驚かされた幸一は、その場で立ち止まり振り返った。
「お前はひょろっとしていて細くて、色白でちょっと女っぽい感じだから、なんて言うの。女子に受けるタイプだと思ってた。だから美紗子と付き合っているって噂を見た時も、ああ、やっぱりって思ってた。ほら、俺は骨太だから、体格はこんな感じだろ。どっから見ても文系って言うよりは体育会系だ。だからかも知れないな、惹かれるのは。俺の知らない世界の女の子なんだよ、美紗子って。都会的で知的な感じで」
「ああ、それなら僕も感じるよ。確かに話していて楽しいし、可愛いと思うよ。でもそういう恋愛みたいなのは、僕らにはまだ早いよ。中学になってからでも遅くはない。そもそもそういう気持ちにならないし」
「その間に誰かに取られたらどうする!」
幸一の話の直ぐ後に、太一が叫んだ。
「えっ?」
そんな発想のなかった幸一は、またまた太一に驚かされた。
太一は叫んだ後下を向いて、少し何かを考えている様子だった。
幸一はその間動いていいのか分らず、洗面台の前で躊躇して立ち止まっていた。
それから少しして、考えが纏まったのか、太一は顔を上げた。
「兎に角、お前も美紗子の事は好きだろ?」
「嫌いじゃないよ。仲の良い友達だと思ってる」
好きという言葉に過剰に反応して、幸一は嫌々ながらという感じで言った。
「そうか…じゃあ仲の良い友達だと思っているのなら美紗子の為だ。幸一、お前これから美紗子と関るな。美紗子と話すな」
「!?」
太一の口から出た言葉は、またも意味不明で、幸一を驚かせた。
「友達なのに関るなってなんだよ!」
突然の事に声を荒げる幸一。
「友達だろ! ただの友達だろ! 好きとかそういうんじゃないんだろ? だったら友達の為に、少なくとも五年の間位は関るな。お前と一緒にいたり、話したりしていると、美紗子は…虐めに合うかも知れない」
声を荒げて言う太一に、幸一は目を丸くして呟いた。
「いじめ?」
「ああ、お前最近教室では美紗子と一緒にいないけど、本当は陰で何処かで会っているのか? 女子が、美紗子が何か嘘を付いたって騒いでる。大事にならなければ良いけど、何人かには無視ぐらいされるかも知れないな」
「……」
幸一は真剣な顔で、黙って太一の言葉を聞いていた。
「普段からお前らはからかわれて冷やかされてる。美紗子と仲の良いお前を妬む奴もいるし、人気があってモテる美紗子を妬む奴もいる。そいつらが更にヒートアップして、激しく冷やかして来るかも知れない。もしかしたら冷やかしどころじゃ済まなくて、虐めに発展するかも知れない。特に美紗子の付いた嘘と、お前が関係していたら」
思わず話を聞きながら幸一はゴクリと生唾を飲み込んだ。
今まで以上に冷やかされる…
そして原因となった美紗子が付いた嘘にも、幸一なりの心当たりはあった。
(美紗ちゃんが本を忘れて急に図書室を出て行った時の事かも知れない。あれは、きっと重要な用事だったんだ…)
「だから、美紗子の事を思うんだったら、お前は当分美紗子に近付くな。離れていろ。美紗子の為だし、お前の為でもある」
淡々と語る太一は、幸一に向かってだけではなく、自分に向けてもその言葉を語っていた。
幸一がこの言葉を信じて美紗子から離れても、女子のあの動きだと、何かは起こるだろう。
美紗子は一時的に孤立するかも知れない。
しかし今の俺にはきっと美紗子は振り向いてはくれないだろう。
それでも良い。いや、それでいい。
幸一さえ引き離せば、美紗子はこれで当分誰のものにもならない。
俺のものにもならないけれど、誰のものにもならない。
その間に俺は、少しずつ自分の体形や、性格を直す。
美紗子と気軽に話せる性格に。美紗子が俺といても恥ずかしくない格好に。
全てはその為の言葉だった。
太一の話が終っても、幸一は考えが纏まらない様で、まだ黙っていた。
「今すぐには答えられないか?」
太一が真剣な目で幸一に尋ねる。
「んー」
幸一は唸り声を上げるだけで、一向に言葉が出なかった。
そんな幸一を見て太一は、肩の力を抜いたのか、両肩を一瞬上下に動かすと、唇の隅を軽く上げてニヤリと笑った。
「まー、今直ぐでなくてもいいさ。どーせ直ぐに答えを出さなきゃいけない状態は来る。その時に、美紗子の事を考えてくれ」
そう言うと、その場に立ち止まり考えている幸一の横を通り過ぎ、太一は洗面台に向かった。
蛇口を捻り、水を出して手を洗う。
「じゃあ、俺は行くから」
もう一度蛇口を捻り、今度は水を止めて、振り返りながら太一は幸一の背に向かって、そう声を掛けた。
出口へと歩き出す太一に、幸一はまだその場で立ち尽くしていた。
屋上へと続く扉のあるフロア。
笑って紙夜里の肩に手を掛ける美紗子。
紙夜里も笑っている。
何が楽しいのか、その場で軽くピョンピョンと跳ね出す。
美紗子の髪がフワリと宙にウエーブを描く。
屋上扉の網入りガラスの部分から入り込む光が、二人のいるフロアを明るくさせていた。
つづく
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