第16話
みっちゃんとすれ違い、自分の教室へと向かう美紗子の表情は心なしか晴々としていた。
(紙夜里ちゃんが幸一君に話してくれる。そうすれば状況も分ってくれるだろう。もしかしたら、何処か誰も居ない所で、待ち合わせをして会う事だって出来るかも知れない♪)
全てが解決した様な気分で、美紗子は思わずスキップさえしそうだった。
しかし、まだ何も終ってはいない。四組の教室に近付くと美紗子は、気持ちを切り替え、無表情にしようと努めた。それは幸一の前でも同じだった。
教室に入り自分の席に着く。黙って正面を眺める。
横からチラチラとこちらを伺う幸一の視線を感じる。
美紗子は気になりながらも、決してそちらは向かず。
早く先生が来ないかなぁ。などと、授業が始まり不自然に無視しなくても良くなるのを待っていた。
程なく先生は教室の教壇側の引き戸から姿を見せた。
美紗子はホッと安堵の溜息を漏らすと、教科書を開き、幸一の事も水口の事も忘れる様に授業に集中しようと思った。
幸一は隣で、そんな真面目な顔で正面を見据える美紗子の横顔を見ながら、気持ちはずっとソワソワとしていた。机の中に仕舞ってある『銀河鉄道の夜』の文庫本。それがずっと頭の中で気になっていたからだ。
しかしまたも話せぬまま授業は始まってしまった。
幸一は諦めて頭を切り替える。授業へ、黒板へと目を向けて。
遠野太一の前の席は、保健係の根本の席だった。
根本は先程の水口との遣り取りの後、「勝手に調べるから」っと言った通り、休みの残りの時間だけでも、色々な女子に訊いて回り、あの日の放課後、水口以外に居た残りの三人を見つけ出していた。当然その為にはクラスの女子の半分位には尋ねて回った訳で、借りた教科書を返すのも忘れて美紗子が放課後何処かに居て、それを水口に「図書室に居た」と嘘を付いたらしい事もその人達には伝わっていた。
太一はいつも授業に飽きると、間に二列程挟んだ斜め前の席の、美紗子の方を眺めていた。
クラスでも五本の指には入る上品で洗練された服装に、この辺りではあまり見かけない都会的な顔立ち。
殆ど後ろ髪と耳、僅かな頬しか太一の場所からでは見えないのだけれど、それでも一日中眺めていられた。
そして今も、教科書と共に開かれたノートの上に頬杖を付いて、太一はそちらをのんびりと、幸せな気持ちで眺めていた所だった。
ツンツン
突然、後ろの席の女子が太一の背中を突っつくのを感じた。
太一は夢から現実に引き戻された気分で、面白くないといった顔でゆっくりと後ろを振り返える。
「これ、前の根本さんに渡して」
そう言いながら後ろの席の女子が、太一の方に四つ折りの小さな紙を差し出して来た。
何とはなしに太一は急いでそれを受け取ると、前を向いた。
こういった物は先生に見つかると即没収だ。下手をするとその場で広げて読み出す場合もある。
太一は急いでそのまま、前の根本にそれを渡すつもりだったが、その紙の中に薄っすらと『美紗』と言う文字が見えるのに気付いて、急に動きを止めた。
大きな背中を丸めて、机の上でソワソワと小さな紙を広げて行く。
そこには、
『やっぱり私は図書室にはいなくて、美紗子ちゃん何処かで幸一君と会ってたんだと思うな。あの二人、絶対付き合ってるでしょ。キスくらいしてたりしてww でも、友達とかクラスの人に嘘付いてそういう事してるのって、なんか嫌だね~』
と、書かれていた。
(何だこれは? 何の事だ?)
太一は眩暈と、動悸が激しくなるのを感じた。
震える手で、後ろの席の女子に気付かれない様に紙を四つ折りに畳み直す。
それから急いで後ろの女子と同じ様に、前の根本の背中を、小さくなった紙の角でツンツンとした。
太一は後ろから回って来た四つ折りの紙を前の根本に渡すと、斜め向こうの美紗子の方を一度眺め、それから自分の机に視線を戻して、項垂れた。
先程の紙から推測出来る事は、美紗子は今危機的状況にいるという事だ。
それから此処二日程二人が話している所を全く見なかったのは、それが所以かも知れないという事。
(二人共気付いているのか? それともどちらか片方だけ…)
授業とは関係なく、太一の脳は目まぐるしく回った。
それから十分程して、四時限目の授業が終わり、給食の時間へとなった。
席の近いもの同士で席をくっ付け合わせ、六人ほどの幾つものいつものグループが教室に作られる。
隣同士の美紗子と幸一も、当然同じグループで、お互いの机をいつもの様に向かい合わせる。
しかし此処でもまだ、美紗子は自然な感じ、意識していない様な素振りで、幸一の方は極力向かず、隣の女子の方とばかり話しながら、給食を食べていた。
(もう少しの辛抱。給食が終わり、昼休みに紙夜里ちゃんに会えば…幸一君にも分って貰えるし、また話とかも出来る様になる)
そんな事を思うと、今はいつもの様な辛さもなく、本当に自然と幸一を無視する事が出来るのだった。
幸一はそんな美紗子の事を、給食のクリームシチューをスプーンに取って飲みながら、覗き込む様に眺めていた。
昨日から続く相変わらずの無視。
(何か怒らせる事でもしただろうか? それとも別に何か理由があるのか?)
美紗子が図書室に忘れて行った本を早く返したくて、昨日からずっと考えている事だった。
ただ何となく伝わって来るのは、話しかけてはいけない様な空気だった。
幸一が話しかけようとすると、何処かに行ってしまう。
それは無視というよりは、避けているととった方が正しのかも知れない。
(僕は…避けられている…)
その頃太一は、自分の給食のグループに囲まれながら、少し離れた幸一と美紗子の方を、交互に眺めていた。給食のクリームシチューをお椀ごと啜りながら。
給食が終わり昼休みになると、クラスの全員が机を元の位置に戻した。
それから直ぐ、幸一が横を振り向き、美紗子の顔を眺める間もない程に、美紗子は早足で自分の席を離れると、教室の後ろの出入り口の方へ、何処かに用事でもあるかの様に去って行ってしまった。
気にはなるものの、幸一はさしてその事自体への心配はなかった。
昨日から何度も避ける様にいなくなっている。ああ、またか。っという感じだった。
だから幸一も、いつもの自分の生活のペースで過ごそうと、とりあえずトイレへと席を立った。
昼休みになったばかりで、ふざけて遊んでいる生徒も多くいる、賑やかな廊下を通る。
授業開始直前とかではないので、辿り着いた五年の男子トイレは誰もいなかった。
幸一はおしっこの為小便器に向かった。
放尿と共に不思議な開放感を感じて少しだけ幸せな気分になる。
その時だった、
「お前、美紗子と付き合ってるのか?」
「えっ?」
隣から聞こえて来た声に思わず幸一は驚いて、声を漏らした。
幸せの中にいた幸一には、いつの間にか隣の小便器に太一が立っていた事は、気付かなかったのだ。
つづく
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