第15話
「黙ってて」
美紗子は紙夜里の顔を真剣な目で見ながらそう言った。
「私は一人で図書室に居たの。幸一君は居なかった。そういう事にしておいて」
「分った。美紗ちゃんがそう言うなら」
美紗子の瞳に引き込まれる様に、見惚れながら紙夜里は答える。
「それから…」
そこまで言って美紗子は伏せ目がちになって、言葉を切った。
「それから?」
俯いて目線の外れた美紗子の瞳を追う様に、紙夜里は少し美紗子の顔を覗き見る様にしながら尋ねた。
言い辛い話なのか、はたまた上手く伝えられない話なのか、美紗子は暫くそのまま黙っていた。
「何でも言って」
暫くして業を煮やした紙夜里が美紗子の耳元で囁く。
それに思わずピクンッ! と反応した美紗子は、考え込んでいた表情から一瞬普通の顔に戻った。
そして紙夜里の顔をまじまじと眺めると、意を決した様に話し始めた。
「あれから私、幸一君と話していないの。放課後の図書室にも行ってない。避けてるの。でも、幸一君は私が何故避けているのかは知らない。きっと、どうしたんだろう? 何があったんだろう? って思っている筈。だから…」
「うん」
紙夜里は状況を理解している事を表すかの様に頷いた。
それを受けて、美紗子は半ば諦めた様な声で続けた。
「だから、私の代わりに幸一君に伝えて欲しいの。どうして避けているのか。その訳を」
例えばこの状況が、美紗子と紙夜里で逆だったら、美紗子は思い悩み、直ぐには答えられないだろう。だから半ば諦めた口調で言ったのだが、紙夜里からの答えは、美紗子にとっては意外なものだった。
「いいよ」
紙夜里は微笑みながら簡単に即答した。
「いいよ。それで美紗ちゃんの気持ちが少しでも落ち着くなら。大丈夫。やってみる」
「ありがとう!」
あまりの嬉しさに美紗子は紙夜里の両手を掴み、嬉しそうにそう言った。
「本当にありがとう。紙夜里ちゃんはまるで私のダイアナね」
「ダイアナ?」
突然美紗子の口から出た横文字の名前に紙夜里は首を傾げた。
「ああ、『赤毛のアン』に出てくる主人公アンの大親友の事」
そんな紙夜里に美紗子は微笑みながら答えた。
「大親友かぁ。アンはなんとなく知っているけど、私その本は読んでなかったや、今度読んでみよう。流石美紗ちゃんね。その、幸一君も本が好きなんでしょ?」
「うん。私より色々知ってるよ」
幸一の話題に目をキラキラさせ、更に嬉しそうに話す美紗子。
「美紗ちゃんの中では、幸一君が今は一番なんだね。ちょっと羨ましい」
嬉しそうな美紗子の顔を微笑みながら見つめ、掴まれていた両手にギュッと力を入れながら紙夜里は言った。
「そんな。幸一君は男子だよ。紙夜里ちゃんとは違うよ。一番の友達はやっぱり紙夜里ちゃんだよ」
「本当! 嬉しい! じゃあさ、そろそろ授業始まるから教室の方に戻ろう。それから、お昼休みにまた此処で会おうよ。幸一君にどう説明するか。打ち合わせしなくちゃ」
「うん!」
紙夜里の言葉に美紗子は元気に頷くと、二人は片方の手を繋いだまま、階段を並んで降り始めた。
二人が手を繋いだまま階段を降りて来て、五年のクラスが並ぶ三階へと着くと、遠くの方から名前を呼ぶ声が聞こえて来た。
「紙夜里!」
二組のみっちゃんだった。
紙夜里の名前を呼びながら、足早に二組から一組の前を通り、二人の方へと近付いて来る。
美紗子は慌ててそれまで繋いでいた手をスッと抜き取ると、紙夜里には何も言わず、前だけを見て、こちらも早足でみっちゃんの方に向かって歩き出した。
お互いに眼中にないという顔で、二人はすれ違い、みっちゃんは紙夜里の元へと辿り着いた。
「探してたんだよ。今の…」
「美紗ちゃん。ちょっと話してたんだ」
嬉しそうに話す紙夜里にみっちゃんは詰まらなそうな顔をした。
「そうなんだ…」
何の話だったのか訊きたい気持ちと、訊いたら負けの様な変な感じが胸をざわつかせ、結局みっちゃんは言葉を呑み込んだ。
「ところでさ、みっちゃんの中で私って何位?」
黙って俯いていたみっちゃんに、紙夜里はまだ微笑んだままで、突然そう尋ねた。
「えっ?」
思わず顔を上げるみっちゃん。
「一位? 一番?」
「そりゃあ、当然!」
廊下を二組の方に向かってゆっくり歩きながら、二人は話をしていた。
遠くの方に、四組の教室辺りまで行った美紗子の後姿が見える。
「そうなんだ♪ じゃあ、私の中の一番は誰だと思う?」
「えっ?」
嬉しそうに言う紙夜里の言葉に戸惑うみっちゃん。
(自分は一番ではないだろう。多分倉橋美紗子、彼女が紙夜里の中の一番の筈だ。)
そう思うと、質問に対して答える気持ちが薄れた。
「私じゃないよね…」
やっと出た言葉。
「うん、ごめんね。みっちゃんじゃない。だから訊きたいんだけど、仲良し順位の中で、自分が一番じゃないって言われてどんな気持ち? 私が憎い? 嫌いになった? 意地悪したくなる?」
「あへ? そ、そんな」
紙夜里の更に続く意味不明な質問に、思わずみっちゃんは変な声を出した。
「そんな、嫌いになったりはしないよ。ただちょっと、紙夜里の中の一番の人が羨ましいけど…」
「ありがとう、みっちゃん。正直者だね。じゃあ私も、みっちゃんが質問に答えてくれたから、みっちゃんが訊きたがっていた事、教えてあげる。やっぱりあの日、美紗ちゃんは図書室に居たんだって。隠れる様に。同じクラスの、山崎幸一君って男子と一緒に」
「な!? 紙夜里! そんな話、私にしていいの?」
突然の告白に驚き、みっちゃんはその場で足を止めた。
急にみっちゃんが足を止めたので、数歩進んだ紙夜里もやはり立ち止まる。
そしてみっちゃんの質問に答える様に振り返った。
「いいの。私はみっちゃんより憎んでいるし、恨んでいるから。美紗ちゃんの事は今でも大好きなんだけど…私が一番じゃないなんて。その幸一君との事、メチャクチャになれば良いと思ってる。幸一君の事を恨んでる。でも、この話を私から聞いたって事だけは誰にも言わないでね。昼休みまた、美紗ちゃんに会うし。元々こんな順位付けなんて、みっちゃんから聞いて知ったし、今まで興味なんかなかったんだけど。今はみっちゃんの気持ちも少し分るよ。妬みとか嫉妬とか、私の中にあるものなんだ…」
「紙夜里…」
そう言うと再び歩き出した紙夜里の後を、並ばずに、静々とみっちゃんは後ろを付いて行った。
上手い言葉が浮かばなかった。
そして二組の教室に入る瞬間、今度は振り返らず、前を向いて歩いたまま、再び紙夜里は口を開いた。
「それからもう一つ。いつも短パンじゃなくて、偶にはスカートとか穿いて来ると、私の中の順位もちょっと上るよ」
「えっ?」
言いながらそのまま教室の中に入って行く紙夜里。
その言葉を聞き、丁度入り口の所でまたも立ち止まったみっちゃん。
ドンドン自分の席の方へと歩いて離れて行く紙夜里。
立ち止まって眺めていたみっちゃんの目に、不意に、相変わらず微笑んでいる紙夜里の横顔が見えた。
つづく
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