第125話 それからのこと その⑰ ~幼年期の終わり~
翌日、美紗子は学校に現れた。
それは当然の事なのだけれど、集団登校とは別に、それよりも早く迎えに来た水口とみっちゃんによる功績が大きかった訳なのだが、とにかく母親は口を半分ポカンと開けて驚いた。
何故ならば昨夜美紗子が「明日から学校に行くから」と夕食の席で言ってから、一度もその言葉を撤回したり逃げ出そうとしたりはしないまま今日を迎えたからだ。
不登校時は下手をするとみんなが出払った頃に一人もぞもぞと起きて来る事もあった美紗子が、今日は誰に起こされるまでもなく一人で起きては着替え、淡々と学校へと行く準備も始めていた。
だから美紗子の母親としては、学校への不満は今以てあるにしても、美紗子に学校へ行くなと言う事はなかった。それは当初から願ってもいた自分から自発的に学校へと行こうとする行為であったからだ。
それに例えそこに幾人かの友人の存在があったとしてもそれは関係なかった。
現に幾ら友達が誘いに来たって行かない不登校児は世の中には大勢いるし、美紗子自体も紙夜里の時にはその姿を現わす事もなかった。つまり幾ら周りが動いても、それはあまり関係がないのだ。
そしてその事を美紗子の母親はきっと分かっていたのだろう。
彼女はいつまでも美紗子がランドセルを背負い、手提げバッグを持って、二人の友人と家の前の道を学校へと向かって歩いて行くのをずっと眺めていた。その片方の手ではまだ幼い美紗子の妹と手を繋いで。
さて、それからまだ殆ど生徒達も来ていない学校に到着した美紗子は、自分のクラスの少し手前でみっちゃんと別れると、少しばかり緊張した面持ちで水口と共にクラスの入り口で立ち止まった。
「大丈夫? 戻るなら今だけど」
ツンとすました顔で横にいる美紗子にそう話す水口はいたって冷静だ。
きっと彼女にとって美紗子は、もし此処でやはり帰るのなら、そこまでの人物だと割り切ってでもいるのだろう。
しかしそんな水口の言葉に、美紗子もまた負けてはいなかった。
ゴクッ
と、唾を飲み込むと、美紗子は水口の言葉には答えずに、目の前の引き戸へと手を掛けたのだ。
そしてそれを横へと引っ張る。
ガラガラガラッ
勢い良く音を立てて開かれた戸は、教室と廊下の境を無くすと、中にいた数人のまだ立っている生徒達の視線を一斉にその開いた引き戸の方へと向かわせた。
視線の一斉照射に一瞬たじろぐ美紗子。
「おはよう」
中にいる生徒達に先に声をかけたのは水口だった。
それから慌てて美紗子も声を出す。
「お、おはよう、ございます」
どうにも締まりのない声。
しかしそれでも挨拶は済ませた訳だからは、美紗子は水口の陰に隠れるように後をついて歩くと、廊下から教室へと中に入るだけの自力は保つ事が出来た。
「おはよう」
「おはよう、倉橋さん」
「おはよう、水口さん」
すると次々と返って来る挨拶の声。
美紗子は水口の陰で俯き加減だった顔を思わず上げた。
例えそれが水口の根回しによるものだったとしても、美紗子にとってそれは、紛れもなく受け入れられた証だったからだ。
それから美紗子は水口に施される様に新しく変わった自分の席の前に行く。
それはかつて幸一が先生に懇願した事と、やはり水口の根回しによって新しく替えられた席替えの順だった。
幸一と根本は大きく教室の反対側の隅に対角線上に押しやられ、中心には水口、そこから横に一つ飛んだ席が美紗子。更に美紗子の後ろには悠那。前には美智子となっていた。
そして学級委員長の男子は根本の隣。太一は水口の中でノーマークだったので、普通に水口の横の並びの一番後ろの方に配置されていた。
「美紗ちゃ~ん!」
美紗子が自分の席の上にランドセルを置いていると、程なく後ろから悠那の声がした。無論隣には美智子。
本心から嬉しそうに笑いながらそう言い、美紗子の元へと走り寄って来る悠那と、驚いた表情とその後の何処かぎこちない笑顔の美智子は、振り向いて見た美紗子からしても明らかに対照的だった。
しかしそれでもこうして日常は戻っていく。
水口は美紗子へと近づいて行く二人を眺めながら、自分の考えが正しかった事を再確認した。
やはり不登校者を学校に連れ戻すには、綿密な計画と支えがなければ上手くはいかないのだ。
そもそも虐めもそうだが、自殺したり引き籠ったりする人の殆どが逃げ場のない人なのだ。誰かが自分を見ていてくれる・想ってくれているなんて発想は結局は想像・幻想に過ぎない。実際にはそんな人がいないから皆んな逃げ場を失い残された道を選ぶのではないか。本当に誰かを助けようと思ったら、徹底的に保護すべきなのだ。
全てが落ち着くまで、後は自分の責任と言い切れる日まで…
こうして美紗子は教室に戻った。
普段は悠那達と話しながら、少しずつ戻って来たその他の友達たちとも徐々に会話する様な日々は、一人きりになりそうな時には必ず水口が傍にいにるという完全に一人の時間を作らせないといった生活パターンだ。
これにより美紗子は五年生の残り僅かな時間を、根本と話す事もなく、また幸一とも話す事なく過ごし切るのである。
そして六年になるとクラス替えで、美紗子は水口と悠那以外とは別々のクラスとなった。
幸一と五十嵐は同じクラス。太一はみっちゃんと同じクラス。根本は美智子と同じクラス。
この様なクラス替えに、果たして水口がどれ程関与しているのかは謎だが、兎に角六年になると、水口は念願のクラス委員長になり、美紗子をその下の副委員長にする事に成功する。
みっちゃんは、クラスは違えど紙夜里の事もあるので度々美紗子達のクラスに顔を出すという生活は相変わらずで、その度に水口に色々と利用されるようになった。これはやはり美紗子の事を思うと断り切れないからである。
一時はあれ程親しかった幸一は、あの一件以来美紗子とは結局、その後廊下ですれ違っても一言も言葉を交わすことなく小学生を終える事となる。またそれは太一も同じで、クラス替えで離れた事もあり、太一は小学生の間は様子見と自分のコミュニケーション能力の向上に舵をとった様だった。
そんな中、幸一と同じクラスでありながら、五十嵐だけは以前よりも美紗子との仲が深まって行く。これもあの根本の一件が起因となっているのだが、それだけではなく、五十嵐がピアノが弾けたのも芸術全般を好む美紗子相手には大きかった様だった。
それから最後に根本は、あれ以来ずっと同じ暮らしを続けていた。休憩時間、お昼休みになると、屋上へと続く階段を上る日々。そうそれはまるで、もう小学校時代は誰とも話さないとでも決めたかの様に…
こうして美紗子の日常は戻って来た。
小学生編 おわり
~物語は新たな春を迎え中学生編へ~





