第121話 それからのこと その⑬
相変わらず自分本位に話を進める水口は、そう話すとみっちゃんの方を軽く一瞥しながら先回りして入れていた片方の足とは別に、もう片方の足も、つまりは体全体を美紗子の体を中へと押し込む様にしながら入り込む。
だから水口の体で見えなくなってしまった美紗子の姿を追う様に、みっちゃんは思わず「あっ」と声を漏らした。
しかし無常にも玄関のドアノブは中に入った水口の手によって素早く閉められてしまう。
天の岩戸は目の前にみっちゃん一人を残して、再び閉じられてしまったのだ。
玄関を見ながら不安気な表情で立ち尽くすみっちゃん。
その背中に背負っている水色のランドセルには、ポツッポツッと小さな雨の雫が、細切れに落ち始めていた。
「さて、これで二人きり。じゃあ早速私の計画や考えを聞いて貰いましょ。先ずは上らせて貰うわね」
玄関の内側、家の中では早くもそう言うと靴を脱いだ水口は、行動を始めていた。
「ここがリビング?」
美紗子に尋ねる事もなく、勝手に玄関框を超えると、さほど大きくはない玄関ホールから隣接した引き戸の方へと歩きながら勝手に話す水口。
遅れて少し怪訝な顔で歩く美紗子は、小声で「そお」と答えた。
「フーン、まぁまぁの家ね。最近建てたの? まだ築五~七年くらいって感じ。美紗子の両親って共働きよね。家のローンもあるだろうし、子供よりお金って事かな。ふん」
「あの…」
リビングに入り、中を一通り眺めながらそんな言葉を呟く水口に、美紗子は何の事か良く意味が分からずその先の言葉が出ない。
そしてその様子をまるで全てお見通しの様な表情で眺めながら水口は、続けて今度ははっきりと美紗子に向かって話始めた。
「大丈夫。あなたがまた学校に通う様にさえなれば、この家の人達も人並みの社会の一員として、働いてさえいれば平々凡々と生きていかれる。美紗子は不登校して引籠もっている間、何が一番辛かった? 自分自身の将来への不安。それとも家族への負担や迷惑」
「そ、それは……たぶん同じくらい」
「ふーん。ところでさ、テーブルあるけど、此処に座ってもいい」
美紗子の回答になど興味はなかったのか、水口は美紗子の話が終る前に目を背けると、下を見てそう言い出した。
「あ、はい、どうぞ」
だから慌てて美紗子は言う。
それは腰を下ろし、お尻を床につけて使うような足の短い低いテーブルで、水口は美紗子のその言葉を聞くと、「よいしょ」と、声を漏らしながら下に置いてある何やら動物の形をしたクッションの上にお尻を下ろした。
それから背負っていた赤いランドセルを下ろし、手に持っていた手提げバッグの中に手を入れると数枚の紙を取り出してそれをテーブルに置いた。
「はい、学校からのプリント」
それはいつも定期的に水口が美紗子の家のポストに入れている、学校からの連絡事項の書かれた数枚のプリントだった。
「あ、ありがとう」
だから美紗子は立ったまま腰を曲げるとそれを取り、いそいそとすぐ側の対面式のキッチンカウンターの方へとそれを置きに行った。無論中身など見もせずに。
そしてその様子を見ていた水口は、そんな事は他人の事とでも言うようにそのプリントには触れず軽くまた口を開く。
「あ、それから私にはコーヒーをくれる。インスタントで良いから、ブラックで」
どうせキッチンの方に向かったのだ。それくらい構わないだろうとでも思ったのだろう。
それに反応した美紗子はカウンターにプリントを置くと水口の方を振り向いた。
「いいけど、コーヒーを飲むの? ブラックで?」
流石にそれには美紗子は少し驚いたのだ。
親が飲んでいるのを真似して、何度かは飲んだ事はあるが、それはミルクに砂糖も入った物だった。それを同い年の小学生がブラックで飲むなんて、そんなのを聞いたのは、山崎幸一以来だったからだ。
(幸一くん…)
だから美紗子は幸一の姿を思い出すと、あの忌まわしい過去と相まって、また少し悲しい気持ちが胸の中に流れるのを感じた。
しかしそんな事も水口には関係がない。
「そう、父親が良くブラックで飲んでいてね。小さい頃から私も真似して飲んでいたら、今じゃそれが一番美味しく感じて。だから私はブラック。美紗子はカフェオレでもジュースでも何でも良いから、兎に角あなたも何か飲み物を持って来てこちらに座りなさい。話す事は幾つもあるから」
相変わらず自分のペースで話す水口に、美紗子はまだ沈んだ気持ちのまま「はい」と答えると、お湯を沸かすのにカウンター奥のキッチンの方へと消えて行った。
そしてその様子を見ていた水口はまた口を開く。
「ああ、お湯から沸かすのね。じゃあそのままそこで話を聞いて頂戴。先ず一つ目の話は、みっちゃんの事。さっきは彼女もいたから擁護する様にああは言ったけれど、彼女の存在はそれだけじゃないの。彼女はあなたにとってとても価値ある存在なのよ。あの事件、根本かおりをみっちゃんが倒して幕を閉じたじゃない。あれ以来ウチのクラスでは女子どころか男子までみっちゃんを恐れているの。彼女を怒らせたらヤバいって感じ。笑っちゃうわよね。だからね、その彼女をそのままあなたのボディガードにするのよ。まー放って置いても彼女はあなたを守る運命にはあるみたいだけれど…だからね、あまりみっちゃんを無下にしないであげて。ほら、私達のチームにとっても必要な人材なのよ」
美紗子は水口の話を聞きながら、IHのコンロのスイッチを切った。
お湯が沸いたからだ。
それから顔を上げると楽しそうに話していた水口の方を見て、小さな声で呟いた。
「私達のチーム?」
つづく