第117話 それからのこと その⑨
「どうしたの。驚いたりして」
みっちゃんが思わず漏らした声に、ここで水口は初めて顔を上げた。
口角を上げ目を細め、意地悪そうに微笑む顔。
それを見た瞬間、みっちゃんは何故だか堪らなく悔しい気持ちになり、思わず顔をしかめる。
「あらあらあら」
それを見て益々嬉しそうな顔をする水口。
(本当に、このクラスにはまともな奴はいないのか…)
だからみっちゃんはそんな事を思うと、もう無理矢理にでもと水口の片方の腕を掴むと、それを上へと引っ張って、体を立たたせようとした。
「ちょ、ちょっと何をするの!?」
それには水口も驚いて、それまでの笑顔から一変不機嫌な顔になると、みっちゃんは益々力を入れて引っ張り立ち上らせようとしながら、更に彼女の耳元で囁く。
「私が乱暴者なのは知っているだろ。ほら、段々クラスの連中も何事かと副委員長の事を見始めてるよ。いいのかい、こんな所で騒いで。大体私がアンタの所までわざわざ来て話したい事ってのは、副委員長のクラスにおける責務についてなんだ。そういう事をここで大きな声で話し合ってもいいのかい」
「ア、アンタ?」
水口は、みっちゃんの話以上にその呼ばれ様にひどく驚いたらしい。
大きく口を開けてそう繰り返すと、みっちゃんの手を大きく振り払い、今度は自らの意思で立ち上がった。
「いいでしょう、話を聞いてあげる。でもその前に今後一切私の事をアンタなんて呼ばないで。私を呼ぶ時はちゃんと『水口さん』と言って。若しくは『副委員長』でも構わないけれど。とにかくそうして頂戴。もう二度と『アンタ』なんては呼ばないで」
それはみっちゃんにとって、どうでも良い事だった。
(こいつは馬鹿なのか?)
だから思わずそんな水口を眺めてそう思うとみっちゃんは、何の躊躇いもなく優しく笑いながらその名を呼んだ。
「じゃあ行こう、水口さん」
こうして二人は周囲から幾らかの視線を浴びながらも五年四組の教室を出ると、みっちゃんは先を歩き、廊下の端へと向かう。
「何処へ行く気」
後ろからは水口が何事か気になったのかそう尋ねた。
「ああ、階段さ。一番上の屋上への扉がある所なら、誰も来ないし話しやすいだろ」
「ああ、あそこ。それなら止めた方が良い。きっと根本かおりが一人で階段の踏み板に座っている筈だから。あの子、あなたに殴られてから上手く話せないらしいの。理由はそれだけじゃないけど、あなたも知っているでしょ。彼女、今やクラスで孤立しているからね。なるべくあなたも会いたくないでしょ。責任感じちゃうし。フフ」
その話に振り向いたみっちゃん、鼻で笑う水口の顔に嫌悪感を感じた。
確かにあの日以来妙に根本かおりの事は気にはなっていたが、それはお前だって同じであるべきじゃないのかと思ったからだ。
(本当にこの人は、自分の事しか頭にないんだな…)
「副委員長的にはいいの? そんな風に独りぼっちにさせておいて」
「いいの。今現在ウチのクラスは安定しているし、私は根本さんにも倉橋さんにも忠告はちゃんとしているのだから。だからその後自分達がどうゆう状況になっても、それは自業自得でしょ。そもそもクラスなんてものは、生徒が一人や二人減ったって、何の問題もなく機能するものなのよ。時間が経てば誰もあの二人の事なんか気にもしなくなる。全てが忘れられて行くの。寧ろ引籠もって不登校する側の自意識が過剰なんじゃないかしら」
「ちっ」
その話に思わずみっちゃんは舌打ちを打った。
廊下の途中、立ち止まる二人の周りには行き交う生徒も疎らにはいた。
中には水口の話が聞こえた生徒もいただろう。
しかしそんな事もお構いなしに彼女はそこでそう言い切ったのだ。
(この副委員長は、点数稼ぎという訳でもないのか。あんな事を堂々とこんな場所で言って。一体何を考えている…それとも何も考えていないのか…)
水口の話に、不愉快な気分になったみっちゃんがそんな風に考えている間に、水口の方もそんなみっちゃんを考察していたのか、少しの間の後再び水口は口を開いた。
「まぁいいわ。あなたが来て美紗子の名前を出した時、話の内容については大体検討がついてたの。私としても思い通りに使える人材は欲しいと思っていたトコだし。あなたならきっと私に恩を着せられれば、それを負い目に感じそうね。フン、委員会が使う会議室に行きましょ。あそこなら誰も来ないし、静かに契約を結べる」
「け、契約~!?」
突如水口の口から出た怪しげな言葉に驚きの声を上げるみっちゃん。
「契約って、あの、胸元のはだけたメイド服を着たり、首輪を付けられたりするの!?」
「は~? 一体何の契約だと思っているの」
みっちゃんの発言に呆れ顔の水口。
その時みっちゃんの脳内では、巷で子供の目にも止まる、ちょっと不埒でセクシーなイラストの数々が頭を過ぎっていたのだ。
(紙夜里なら可愛いから似合うかも知れないけれど、私がそんな格好をするの~!?)
「何を考えているんだか。ついていけないわ。ほら、とにかく行きましょ」
顔を真っ赤にして、ボーッと体をゆらゆらさせているみっちゃんを冷めた眼差しで眺めながら、水口はそう言うと、廊下をスタスタと先に歩き始めた。
つづく