第11話
それは三時限目の途中で、クラスの女子の一人、斉藤さんが腹痛を訴えた事からそもそもは始まった。
学級委員長は男子なので、副委員長の水口さんと保健係の女子・根本さんが、斉藤さんを連れ立って保健室に行く様にと授業半ばの先生は言った。
お腹に手を当て、苦しさに思う様に歩けない斉藤さんを、二人は両脇から腕を掴んだりして支え、授業中誰も居ない廊下をそろそろと歩いて、保健室へと向かった。
そして保健室に着くと、保健の先生の指示に従い、斉藤さんを近くのベッドにとりあえず横にさせた。
「食中毒かしら? でもまだ、お昼前よね?」
横になり、痛みを宥める為か、服の上からまだ苦しそうに、斉藤さんはお腹をさすっていた。
「あなた達は大丈夫?」
全体の事か、個人の事か、判別するかの様に保健の先生はベッドの脇に並んで立って、心配そうに斉藤さんを見つめる水口と根本に尋ねた。
「大丈夫。何ともないです」
先生と話す事に馴れているのか、水口は快活に答えた。
「そう。じゃあとりあえず少し様子をみましょうか。少しずつでも痛みが治まってくればいいんだけれど」
水口達から先生は、ベッドの上で未だ苦しそうにしている斉藤の方へ目線を移しながらそう言った。
「先生…」
その様子を見て水口が口を開く。
「ん?」
虚を突かれた先生が思わず声を出した。
「何か最近、うちのクラスばかり、すいません。この前は放課後頭痛で一人休みに来て、今度は腹痛なんて」
それは水口にとって、副委員長として当然の言葉だった。
「あれ? 最近四組の子、誰か来たかしら? 男子?」
「えっ、いえ、女子です。五年四組、倉橋美紗子。二日程前の放課後に頭痛で来ている筈です」
そう言う水口の表情は、みるみると、まるで幽霊でも見たかの様な、不安で心配そうな顔に変わって行った。
その青ざめて行く水口の表情に、先生は困惑した。
「さー、覚えていないけど。じゃあ、来たのかしら。それよりあなた達はそろそろ教室に戻りなさい。まだ授業中よ」
今時の子供達の関係は複雑だ。何か余計な事を言ったのかも知れないと思うと、先生は早々にこの話を切り上げて、子達を教室に帰した方が良いと考えた。それは水口の表情がそれまでと比べてハッキリと変わったからだった。
こちらも困惑した先生の表情に何か落胆したのか、明らかに水口は肩を落として、保健の先生に背を向けた。
それを見て根本も水口の方に体を向けた。
静々と力なく保健室の出入り口へと向かう水口。後を追う根本。
二人は出入り口の引き戸の所まで来ると、先生の方を振り返り、「「失礼します」」と言いながら一礼して、引き戸を開けると出て行った。
「ねーねー何? 何の話?」
保健室を出て廊下を歩き出すと、直ぐに根本は先程の話に飛びついて来た。
水口は項垂れて、肩を落としたまま、
「裏切られた気分…」
とだけ言った。
水口の様子に根本は少し同情する様な表情を見せながらも、興味津々でまた直ぐ訊き出す。
「裏切られたって何? 誰かに騙されたの? えっ、何? 倉橋さん関係してるの? 何々?」
そんな気分ではないのに質問攻めにされた水口は少し気分を悪くして、ギロッと根本の方を睨んでから再び口を開いた。
「まだ確証のある事じゃないから言えない。私、副委員長だから。ちゃんとしなくちゃいけないから。ただ、美紗子が保健室に行っていたって話は嘘だったみたい。嘘を付くって、あの人は私達の事を信じていなかったんだ…」
「えっ、話が見えないよ。何々? 気になる~ ねえ倉橋さんがどうしたの? ねえ?」
階段を上り、五年の教室の階に着くまで、根本の質問攻撃は終らなかった。
五年四組の教室の後ろの引き戸を引くと、三時限目の授業はまだ続いていた。
静かに中に入る水口と根本。
気付いた教壇の先生が小さく頷いた。
二人は自分達の席へと音を立てないように静かに戻って行く。
各々の席に着くと、閉じて机の上に置いて行った教科書とノートを開いて、二人とも授業に戻った。当然後ろの席からは小声で、「どうだった? どうだった?」と訊いてくる生徒もいたが、根本は「後でね」と小声で返し、水口は聞こえない振りをして、何も答えなかった。
淡々と進む授業の中、水口は別の事を考えていた。
しつこく美紗子の事を尋ねて来る根本さんには、五年の教室が並ぶ階に着き、廊下を歩き出した時に、仕様がなく「後で言うから、その代わり誰にも言わないでね」と、言った。
とりあえず根本さんに関してはこれでいい。
問題はあの時一緒にいた三人にもこの事を伝えるべきかだ。
とりあえず今腹痛で保健室にいる斉藤さんは除いたとしても後の二人には。
多分伝えれば、きっとあの時の流れだと「男子と一緒にいて忘れたに違いない」という話になって、直ぐに広まるだろう。しかしそれも、私達の信用を裏切って嘘を付いた罰か。
そう思い、フッと水口は美紗子の席の方を眺めた。
黙って正面を向いて、真面目に授業を受けている美紗子の横顔が見えた。
確かにこのクラスでは飛び抜けて垢抜けている。
水口は美紗子が男子に人気があるのも頷けると思った。
でも、だからと言って、果たして美紗子は色々な男子と話して喜んでいるタイプの子だろうか?
(裏切られた思いで、怒りたい気持ちはある。しかし副委員長としての自分の立場的にはどうなのか? 怒りに任せていいのか? それともクラスの今の状態を保つ為に裏で話をつけて、穏便に済ませた方がいいのか? 大体そのどちらかは、正しい事なのか?)
水口はどうすべきか、行き詰まっていた。
とりあえず根本さんには今日中には話さなければならないだろう。
そうしたら他の三人にも…
「はぁ」
思わず俯いて溜息を漏らす。
(何でただ怒って良い筈の私が、こんなに色々考えて悩んでいるのだろう)
そう思いながら水口は暫く目を閉じて、静かに心を落ち着かせた。
そして顔を上げて目を開いた時には一つの結論に達していた。
(とにかくあの三人にも根本さんにも話す前に、まず美紗子に正直に訊いてみよう。美紗子が何て答えるか。本当は何処で何をしていたのか。次の休み時間には訊かなくては。それから、この事は絶対に二組には漏れてはいけない。それこそが私の副委員長としての威信に関る事だ!)
もうすぐ、三時限目が終ろうとしていた。
つづく
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