第109話 それからのこと その①
翌日から美紗子は学校へと来なくなった。
一人抜け出して家へと帰って来た彼女を、共働きの両親は気付かず、ただ夜の様子がおかしかったのと翌日の朝の「気持ちが悪い、吐き気がする」という言葉で簡単に美紗子を次の日休ませたのが最初の不登校の始まりだった。
母親からすれば、小五の女の子だ。特有のアレかも知れないと気を遣った部分もあったのだろう。
とにかく先ず父親が仕事に行き、その後に母親が保育園に預ける妹を連れて家を出ると、この家は夕方まで美紗子一人になる。
まだ着替えもせずパジャマのまま自分の部屋のベッドの上、布団の中に潜り込むと、そこはもう誰も美紗子に触れる事の出来ない、彼女だけの城となった。
だから城の主はその中で想像する。
かつての楽しかった思い出や、楽しい架空の物語を。
そしてお腹がすくと一階に下りて来てリビングのテーブルに置かれていたラップの掛かった昼食へと手を伸ばす。母親が作って置いて行った物だ。
それを食べながら美紗子は、ついでにテーブルの上のリモコンにも手を伸ばして、テレビを点けるとそれを見ながら暫くは食べていたのだが、急に何か不安に感じる事でもあったのだろう。突然テレビを消すと、昼食もまだ半分近く残っている状態で、スクッと立ち上がり、来た道を戻る様に階段を駆け上がり、自分の城へと潜り込んだ。
今日は休めたが明日はどんな言い訳をつけようか?
親に本当の事は言えない。きっと心配するから言えない。それに妹もいてお姉ちゃんなのに、虐められているだなんて、余計に言えない。
学校にはもう…行きたくない。
美紗子には布団の中で考えなければならない現実が一杯あった。
しかし、そんな日々が長く続く筈もなく、美紗子が体調を理由に学校を休み始めて三日目には両親ももう、本当の理由は別の所にあるのではないかと勘繰り出し、仕事に行く前に美紗子の籠もっている布団を剥ぐと、「本当は何なの? 本当の事を言いなさい! 言わないのなら例え腹痛でも今日は学校に行きなさい!」と、半分脅しともとれる言い方で美紗子に迫り寄った。
だからその勢いに圧倒された美紗子は、突然、わっ! と溢れ出した涙と共に、根本かおりによるあの日の出来事を語り出す。
こうして倉橋家では白日の下に晒されたあの一件は、それと同時に学校側からは何の連絡も来ていないという不信感を母親に与え、翌日には両親揃って学校側へと出向くという行動をとらせた。
当然ながらその間も入れて美紗子はこの時点で既に四日間休んでいた。
両親が出向いた小学校では、会議室で担任と教頭がその相手をしたのだが、その話は若干美紗子から聞いていた話とは異なっていて、大筋行われた行為は認めてはいたものの、それはかつてみっちゃんが予想した通り、虐めとしては認められないものだった。
「複数の子で美紗子さんを虐めたという事実はありませんし、一対一ならそれは喧嘩ですから。美紗子さんもやられたらやりかえせば良かった訳でして…それに暴力と言っても、相手の根本さんによりますと髪の毛を引っ張っただけで、殴るような事はなかったと。この事は他のクラスメイト達の話でも一致しています。それに…言いにくいのですが、美紗子さんの方にも幾つか問題があった様で、例えば借りた教科書を返すのを忘れるとか…それから男子とばかり仲良くして、女子とはあまり遊ばなかった様で…まぁ、喧嘩両成敗と言いますか、あちら側にも言い分はあったみたいです」
言葉を選びながらも何処かしれっとした表情でそう話す担任は、最後にこうも付け足した。
「それから今回の喧嘩騒動の根本さんもそうですが、勿論特に仲の良かった男子生徒に関しても、それも今回の喧嘩の一因かも知れませんから、今後は席も離して、万が一にも変な噂が立ったりはしない様に配慮して行くつもりですので、その点は安心して登校して来る様に美紗子さんにもお伝え下さい」
その言動は果たして美紗子の母親からすれば、担任の教師が勝ち誇っている様にすら見えたのかも知れない。
「もういいです! 虐めと認定されないのでしたらもういいです。娘は休みたいだけ休ませます。行きたくなったら行かせます。先生が言っている話は表面上は同じでも、中身は全然違います。親の身になったら、そんな話で納得出来ますか? 話にならない。もういいです。帰ります」
だから美紗子の母親はそう言うと立ち上がり、隣に座る父親の手を引っ張ってそちらも立たせると、勢い良く学校の会議室を出て行った。
かくして親と学校側の不協和音の中、美紗子は本格的な不登校へと入る事になる。
つづく





