1*Bell
カフェラテが飲みたい。
そう思った瞬間、目の前にそれが用意される。いいスタイルになりたい。
そう思った瞬間、整形手術が完了される。
気に入らないアイツを消したい。
そう思った瞬間、レーザーがその人の心臓を貫いて殺す。
そんな世界から来たのだと、彼は語った。
長い間使われていないために、耳障りな声しか出せない声帯を震わせて…。
揺れる、木漏れ日の中―――
彼は、昨日突然やってきた。いや、降ってきた。空から、私の家の牧場へ。
初めて彼を見たとき、私は、なぜかとても変な心持ちがした。
人間であるのに人間ではないような……。そんな違和感を持った。
彼は、…完璧すぎるのだ。
容姿が、不自然なほど、完璧なのだ。少しの乱れもない。
しかも、木にもたれかかりながら私を見つめる彼の瞳は、言葉で表すことのできない色をしていた……。
彼が乗ってきた卵形のカプセルは、ちょうど大きな木の枝に引っかかって、地面に直撃せずに済んだようだった。
私はちょうど、その大木が見える丘で、羊たちの世話をしていた。
羊たちが不安そうにいななき始めたのに気付いたのと、空から何かが落ちてくる音に気付いたのは、ほぼ同時だった。
私は何も考えず、大木の元へと駆け出した。
木の根元近くにある卵形のカプセルと、その中から、ひどく億劫そうに出てくる彼の姿が見えた。
地面に降り立った彼は、喘ぎながらおいしそうに空気を吸っていた。
私はそんな彼に駆け寄って「ケガはない?」と尋ねたけれど、彼は、一言も発しなかった。私の方を、じっと見つめるばかり。
そして、木の枝に引っかかったカプセルをじっと見つめ、何も起こらないと分かると、ひどく狼狽した様子だった。
私は彼に、
「あなた、だれ?」と尋ねた。
やはり、彼は何も言わず、眉間にしわを寄せて耳のあたりを手でさすりだした。そして、大木の根元に崩れるように座り込んだ。周りをきょろきょろと見回し、自分の置かれている状況が理解できず、困っている様子だった。
私はとりあえず家に戻り、水を一杯持って戻った。そのコップを差し出すと、彼は喜んだ顔をして、コップをぎこちなく受け取ると、一気に飲み干した。そしてコップを、じっと見つめた。
…しかし、やはり何も起こらないと分かると、怒った顔をした。
私には、意味が分からない。{…コップの形が気に入らなかったのかしら?}
――次の瞬間、私は初めて、彼の声を聞いた。
「なぜ、水、ない!」
何年も喋っていないような(実はそうだったのだが)、ひどい声だった。
「? あなたが飲んだからでしょう?」
私は言った。
「僕は、もう一杯、飲み、たい、のに!」
彼はコップを憎々しげに睨み付けた。
「??? じゃあ、また汲んで来るわ。そんなふうに見ていても、水は湧いてこないわよ?」
何気なく言った私のこの言葉に、彼はひどく驚いた。私のことを、信じられないと言わんばかりの顔で見つめる。
「ここ、は、どこだ?」
「私の家の牧場よ。…もう日が暮れるし、今夜は、私の家に泊まったら? 今、母さんに伝えて来るわ。」
私は笑顔でそう言ったが、彼は、去ろうとする私の腕をさっと掴んだ。私は、その腕の力のなさにびっくりした。
「ダメだ、ここで、いい。」
「え? でも…。」{まぁ、今ならもう、凍死することはないだろうけど…}
「明日、また、来て。いい?」
そう言う彼の目は、本当に必死で。
私に向かってコップを差し出す彼の手は、小刻みに震えていた。
「え、ええ。いいわ。じゃあ…。」
私はそう言って、家に向かいだしたが、彼から数歩離れたところで、ハッとふり返った。
「あの、お水は?」
彼はただ、首を横に振った。私は、曖昧に頷いた。
――私は家に戻り、夕食の手伝いをしながら、ずっと彼のことを考えていた。
{あのひと…何かに、おびえているみたいだったわ……}
母さんには、上の空な私が、奇妙に思えたことだろう。
あっという間に寝る時間になり、私はベッドに入ろうとして、ふと、彼に毛布を持っていくことを思いついた。
虹色に輝く満月に照らされながら、あの大木の所へ行くと、彼は木の根にもたれて座ったままで眠っていた。ふわりと彼に毛布を掛けたあと、なんとなくカプセルに目がいった。
…それは、見たことのない材質で、中には無数の手…の形に似た、何かの機械が見えた。
何だか、別の……私の、知らない世界から、彼は、やって来た。そう感じた。
―――木漏れ日の中では、彼の白すぎる肌も、目立たずにすんでいた。
彼は木の根にこわごわ触れて、ふっと微笑んだ。なぜかは全く分からないけれど、すごく、すごく幸せそうだ。
{そうそう、昨日、彼が私の家に来たがらなかったのは、もし母さんを嫌ってしまったら、殺してしまうと思ったからだそうだ!}
「でも、君は、好きだ。」
と彼はアッサリそう言ってのける。人と話すのは、初めてらしい。彼のいた世界では、何でも、“思うだけ”でやり取りができていたから。
{そう、だから脳だけが使われて、ほかの部分は退化…だったかな? 難しい話で私にはよく分からなかった。…とにかく、なんとも不思議な話だ!}
彼は正直…いや、バカ正直としか言いようがない。
彼は思ったことを、何でもそのまま口にする。今まで、口にする必要がなかったのだから。
思ったことをしゃべるかどうか、悩んだことなど、なかったのだから。