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1-9.

 ライラ=ヘリエル。


 それが少女の名前だった。

 極度の疲労と空腹で弱った身体は、スーラの献身的な介護で問題なく治癒した。


 しかし、日常生活において一つ問題があった。

 言葉が通じないのだ。ライラはこの領地の者ではなく、森のむこうからやってきた異国の人物だった。

「スーラさんはオヌの国のお方だとおっしゃっていましたけど、お姉さま、知ってます?」

 セラはマリーの質問に十全に答えられるほどの知識は有していなかったが、概要なら知っていた。


 狩人の国、オヌ。狩猟が得意な民族が住まう国で、傭兵の輸出で有名な国だ。小さな国で、はっきり言ってしまえば弱小国。特産品はリンゴ酒だったか。

 森一つ隔てて存在しているにも関わらず、こことオヌとはまったくといっていいほど交流がない。

 ゾグディグの森は深く、方位磁石も狂って役に立たない魔の森だ。野犬や狼、毒蛇のみならず、魔物も出る。よく無事でここまできたものだと、セラだけでなく館の者たち全員が仰天した。


「どうしてここに」

 ベッドから離れられるようになったライラに、セラが尋ねる。するとすぐに、スーラがその言葉を訳してライラに伝えた。スーラは片時もライラの傍を離れない。

「迷った……んだって」

「迷った」

 セラはセリフを反復した。

 迷って、ここまできたと。そういうことなのか。


 信じられずにいると、スーラはさらに、ライラに何事かささやきかけた。ライラのほうは、恥ずかしそうな表情でスーラに答える。

「本当みたい。もともとライラは方向音痴なんだけど……まさかここまでくるなんて」

 言葉を付け足しながら、スーラは呆れ返っていた。

「せら、さん」


 ライラがつたなくセラの名を呼び、深々と頭を下げた。

「ジ・メリク。ジ・メリク」

 たぶん、「ありがとう」か「お世話になりました」とか、そういうことを言っているのだろう。嬉しそうな表情だけで十分理解できた――ライラは、表情豊かな少女だったのだ。


 年はセラと同じらしい。

 量の多い亜麻色の髪を一本の太い三つ編みにしている。頬にうっすらとそばかすが残っているため、実年齢よりやや幼く見えた。

 口が大きく鼻が低く、美人とは言えないが、笑うとえくぼができて、なんとも愛嬌のある顔になる。相手の目をまっすぐ見て話すので、セラはすぐに信頼感が芽生えた。

 身分は平民。父親は細工師で、母親は村の人々に薬草を作ったり、病気が治るようまじないをしたりする白魔女だという。


「魔女」

 セラはふと、ある可能性を思いついた。

「ラ・ベーレル・カナン・マ・テ?」

 ライラは、目を丸くした。

 しかし、すぐに大きな口をいっぱいに歪ませて、笑う。


『はい。少しなら、古代語、話せます!』

 たどたどしいが、ライラも古代語で返してきた。

 予測どおり。魔術を学ぶ者も、法術を学ぶ者も、古代語は勉強する。魔術も法術も根本は同じものだからだ。


『良かったあ~! 本当に困った。えーっと、困っていました。スーラなし。生活不可能って』

『そっか。そういえば、古代語があったね。うっかりしてたな』

 スーラはぽりぽり頭を掻く。驚くべきことに、スーラは三ヶ国語話せるらしい。

『助かりました。感謝。お世話になりました』

『身体の調子は』

『もう大丈夫です。元気が×××』

 発音が不明瞭で聞き取れなかったが、「元気が取り柄」だろう。


『家、帰れそう』

『え――あ、家、ですか? あ、え、はい!』

 ライラは快活に答えるが、柔軟性に富んだ表情筋は狼狽の色を隠せていなかった。

 迷ったというのは、嘘だ。家出でもしたに違いない。セラはすぐさま断定した。

 スーラもピンと来たらしく、ライラを不審そうに見ている。しかし、追求しようとはしない。


『しばらく休養。どうせだから、ここ、楽しんでいく』

 そう言って、セラはさりげなく席を立った。第三者の自分がいては話しにくそうだ。

「お姉さま、何語を話してらしたの?」

 廊下に出ると、偶然部屋の前を通りかかったマリーが目を白黒させていた。

 セラはまじめくさって答える。

「異星人語。遥か彼方、北極星の」

「……お姉さまが言うと、冗談に聞こえません」

「む」

 心温まるくだらないやりとりをした後、セラは歴表を確認した。今日は月の終わり。おそらく、あそこで集会があるはずだ。


 召使には声をかけず、ひっそりと外出する。

 行き先は、ルイの家が経営している店だ。化粧品を扱っている店で、白粉、バラのオイルが入った化粧水、オリーブとバリラ――海藻の灰――を原料とする匂わない石鹸、蜜蝋を使ったハンドクリーム、つけホクロ、口紅などを良心的な値段で提供している。

 わりと繁盛しており、セラが入った時も、店内は町の娘たちの華やかな声に満たされていた。


「セラお嬢さん! お一人で?」

 店に入るなり、知った顔の店員が飛んでくる。

 すると、自分たちのことで夢中になっていた娘たちが幾人か、話すのをやめた。そしてセラのほうをふり返ったが、セラは特に気にしなかった。

 地味な黒い服を着て、装飾品を一つも身につけていない自分がこの店内で浮いていることくらい自覚しているし、自分の名が奇妙な噂とともに知れ渡っていることもよく認識している。いちいち気にしていられない。


「わざわざご足労下さらなくても、お呼びになってくだされば館のほうに参上いたしますのに」

「叔父さんに、用が」

「ご主人様ですか? あいにく、今はちょっと会議で……」

 その回答を聞いて、セラは安心した。よかった。ここで確からしい。

「叔母さんは」

「奥さまならいらっしゃいますよ。今の時間なら、ちょうど退屈していらっしゃるでしょうし、ご案内しましょう」

 店員は主人が寝起きしている母屋の方へ案内しようとしてくれたが、セラはその必要はないと丁重に断った。

「勝手知ったる家。案内不要。あなたの仕事、邪魔しては悪い」

「そうですか? まあ、確かにセラお嬢さまには不要でしょうし、お気遣い、ありがとうございます」

「いえ。では」

 セラは戸口の方へと踵を返した。


 ――あれ、喪服らしいわ。


 店を出る間際、かすかに聞こえた話し声。自分の服装についてのことだろう。そうとも、これは喪服だ。自分はもう何年も喪に服している。

 魔物に殺されてしまった、母と弟のために。


 静かに扉を閉めると、セラはわき道に入った。裏通りに出れば、裏口だというのに立派な店の門が現れる。その前には豪華な馬車が数台停まっていた。

「こんにちは」

「ああ、こんにちは、セラお嬢さん」

 門番に挨拶して、セラは堂々、屋敷の広大な庭に足を踏み入れた。


 しかし、その後のセラの行動は堂々としていなかった。辺りに人がいないことと、門番が通りを見張っていることを確認すると、さっと植木の影に隠れた。こそこそと樹木の影を縫って、屋敷の近くまで移動する。


 応接間は、南側右端。

 幼い頃の記憶をたぐりよせながら、セラは壁にそって北側から南側へ回った。ほどなくして、何人かで談笑する声が聞こえてきた。


「いやあ、参りましたよ、あそこの関税が上がって。他のルートを開拓しようかと考え中なんですがね、なかなか」

「私もですが、やっぱりあのルートが一番ですからね」

「まったく、男爵殿はこちらの足元を見ていますよ」


 セラは外から発見されないよう、植え込みの影に隠れた。壁にぴったり背中をくっつけ、身体を小さくたたみ、部屋の中からも見えないようにする。

 月に一度、大店おおだなの店主たちは座談会を開く。今、この応接間で行われているのはそれだ。

 話題はさまざまで、関税が上がったとか、どこそこの店が危なそうだとか、今年は麦のできが悪いとか、色々だ。つまりは、情報交換のために集まっているのだ。


 セラは耳を兎のようにして、その雑談に聞き耳を立てていた。途中、叔父が席を外すと特に耳を澄ませたが、望んだような話題はなかった。残念だったが、最初からうまくいくとは思っていないし、だめでもともとの努力だ。べつに気落ちしなかった。

 会はつつがなく進行し、次の集会場所と時刻を確認してお開きになった。部屋から誰もいなくなり、馬車が一台残らず走り去っていくのを確認すると、セラは何食わぬ顔で屋敷を出て、帰館した。


 ライラの件はどうなっただろう。

 セラは館内にスーラの姿を探したが、見当たらない。

 召使に居場所を訊くと、ライラと森に出かけたという。ずっとベッドで生活していたので、気分転換に連れて行って欲しいとライラがせがんだらしい。


 今ごろ、何をしているだろう。


 自室にこもって、セラは悶々と二人の今ごろを想像してみた。愉快でない情景ばかりが浮かんだが、たぶん現実もこんなものだろう。ますます気が滅入る。

 だったら想像しなければいい。そう思ってメルレル神官が貸してくれた数学の本を開き、紙面とむかい合ったが、二人のことを頭から追いはらうことは不可能だった。

 羽ペンを握ったまま、セラは気持ちだけ頭を抱えた。


 恋というのは、やっかいな感情だ。


「セラさん? いる?」

 突然のノック。セラは思考を中断した。

「どうぞ」

 返事をすると、遠慮がちに扉が開いて、スーラが顔をのぞかせた。その後ろにはライラもいて、花輪を三つ、左腕に通していた。


「何か」

「大した用じゃないんだけど、ライラが」

 スーラが視線で先をうながすと、ライラはおずおずと部屋に入ってきて、花輪を一つ、腕から外した。

『たくさん作ったの。受け取って』

「この前、ライラのせいで花摘みにいけなかったから。お詫び」

 ライラはセラには逆立ちしても無理そうな満面の笑みと共に、花輪を差し出してくる。

「……どうも」

 特に感激したふうもなく、セラは花輪を受け取った。

 ライラもスーラも、セラの希薄な対応に少しとまどう。


「ありがとう」

 悪いことをした気がしてセラは付け加えたが、感情がこもっていたと主張する気はない。

 しかし、ライラとスーラは一応、ほっとしたようだった。いつも無表情なので、これがセラなりの感謝の表し方なのだと結論付けたらしい。


『すごい。数学?』

 ライラが机の上に広げられた本を指さす。

『解けないけど』

 そっけなく返すと、ライラは意外そうにした。

『セラさん、全部完璧と思ってた』

『……そういう見られ方は、迷惑』

 きっぱり返すと、ライラはあわてた。

『ご、ごめんなさい。勝手なこと言って』

『べつに、怒ったわけでは』

 すっかり萎縮してしまっているライラの気持ちをほぐそうとしたが、無表情でそのセリフは逆効果だった。ライラはますます身を小さくする。


『ライラ、そろそろ行こうか。勉強中だし、長居をしちゃ悪い』

『あ、うん。お邪魔しました、セラお嬢さま』

 嗚呼、何気に名前に『お嬢さま』がつくように。よほど畏れられているようだ。

『じゃ、勉強がんばって。セラさん』

 閉じられる扉。


 誤解だ。誤解なのだ。本音が出ただけで、本当に怒ってなどいないのに。

 言い方が悪かったのだ。あんな言い方をするつもりはなかったが、勝手に口がそう動いた。


 あいその一つでもふりまけば、誤解はされずにすんだだろうか。


「……」

 セラは久々に、鋼鉄のごとく凝り固まっている表情筋を動かそうと試みてみた。ライラの笑顔を参考に。

「……」

 ぴくりともしなかった。

「……」

 さらに努力してみた。

「……」

 やっぱり無理だった。

「……」

 妙に悲しくなった。


 さっきの、ライラへの自分の対応。

 無愛想で、なんとも嫌な女だ。


「……」

 スーラに敵視されそうだ。


 その後、ライラからもらった花輪を持って、マリーが部屋にやってきた。

 自分も作りたい、とお願いされたので、セラは森まで付き合った。


 ついでに自分でも作ってみたが、

「……」

 過去の前例を裏切らず不細工な仕上がりで。

「……」

 また妙に悲しくなった。




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