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1-8.

 声をかけられたと気づいたのは声をかけられた数秒後のことで、気づいた時には木に激突していた。


「……」

「……お、お姉さま。大丈夫?」

「大事、無し」

 痛む額をさすりながら、セラは心配そうにしているマリーを顧みた。

 マリーの隣では、スーラがまばたきしている。よほどすばらしい激突っぷりだったのだろう。


「何を考えていらしたの?」

「……特に何も」

 本当はハンター試験のことについて思い悩んでいたのだが、そんなことを口に出すわけにはいかない。

「おでこ、大丈夫?」

 スーラが心配そうに、セラの額に手を伸ばした。


 ひんやりとした指先の感触。


 それを知覚した瞬間、セラは反射的に身を引いた。

「ごめん、痛かった?」

「べつに」

 首をふってから、セラは後悔した。これでは、スーラに触られるのが嫌で身を引いたようではないか。いや、すでにスーラはそう判断したらしく、気まずい顔をしている。


「あ、お姉さま、あの辺みたいですわ。石工さんたちがたくさんいらっしゃいます」

 気まずさを払拭するように、マリーが明るい声で二人の注意を他に逸らした。その先にまず見えるのは、森を分断するようにそそり立つ壁だ。

「すごい、もうだいぶ直ってます」

 顎を少し下ろすと、工具を持った石工たちが目に入る。過日の魔物襲来の時に一部が壊れてしまい、そこを修理しているのだ。ひっきりなしに石と金属が打ち合う軽快な音が響いている。


 この壁は、魔物や獣の侵入を防ぐための防壁だ。森に少し入ったところに作られており、セラの身長の二倍ほど高さがある。立派なもので、町からはみ出すくらいに長い。

「しかし……だいぶ老朽化しているね。これじゃあ、あのトロールみたいなのに壊されるのも無理ない」

 スーラが壁の目地を爪で引っかくと、モルタルがぼろぼろと落ちた。石材も雨水の浸食を受けてひびが入り、もろくなってきている。


「おや、セラお嬢さん、マリーお嬢さん。こんにちは」

 石工の親方が作業する手を止め、こちらへ歩み寄ってきた。親方はすでに髪に白いものが混じる年だが、まだ筋骨隆々としていて若々しく見えた。

「ごくろうさま。壁、どう」

「ああ、だめだね、こりゃ。ここの壁だけじゃなくて、全部修理しないと。これはもう、結界だけで守っているようなもんだよ」

 親方は眉根を寄せて、はるか彼方へとつづく壁を目で追った。

 一体これを全部修理しようと思うと、どれだけの金がかかるのだろうか。セラは考えたくもなかった。


「この前、オルガ様が結界を張り直しに来てましたよ。魔石もそろそろ変えないとだめだって言ってたね」

 追い討ちのような言葉だ。セラは心の中で、重いため息を吐いた。


「魔石って、あっちの塔みたいなのところにあるの?」

 スーラが壁の途中に、等間隔に築かれた小さな塔を指し示す。

「そう。塔の地下に、魔石を設置。結界のための魔力、供給」

「ふうん……確かに、波動が弱々しいね」

 セラ以外には聞こえないよう、小声でスーラがつぶやく。

「スーラ、結界、平気」

「うん。申し訳ないんだけど、全然気にならない」

 スーラは平気な様子で、右手を塀に押しつけた。

 もともと、ここに張られた結界には魔物を殺すほど強力ではない。だが、だからといって、触れたらまったくダメージを受けないというわけでもない。痺れたり軽く火傷をしたりはするのだ。

「嫌な感じは」

「全然」

 魔物の嫌う波動も出しているはずなのだが、スーラには効果がないらしい。呪獣クラスの魔物には、もはや無効というわけだ。まあ、呪獣クラスの魔物などそうそういないが。


「壁も見たことですし、お姉さま、そろそろお昼を食べましょう?」

 マリーがうきうきと、籐のバスケットを持ち上げる。今日森に来たのは、防壁の視察とピクニックが目的なのだ。

「お昼を食べたら、花を摘んで、花輪を作って、お母さまのお墓に供えましょ」

「了解。同意」

「じゃあ、もっとむこうの方まで行こうか」

 スーラが先導しかけた、その時。


 ――リン。


 風に乗って澄んだ鈴の音が流れてきた。

「お姉さま?」

 マリーは聞こえなかったらしく、ふしぎそうにした。石工たちは何人か気づいたようだったが、大半は自分の作業に集中していて聞こえないか、聞こえても気に留めなかった。


「……まさか」

 スーラは音の流れてきた風上を見やったかと思うと、いきなり駆け出した。散乱する石材を身軽に飛び越え、森の奥へと走り去っていく。

「スーラさん!?」

 マリーが後を追おうとしたが、スーラはすでに、追いつけないと思うほど離れていた。石工の親方が感嘆のあまり口笛を吹く。人間離れした速さだった。本性が垣間見えている。


「どうなさったんでしょう」

 マリーのつぶやきには答えず、セラもドレスの裾をからげてスーラを追った。

 開けた場所から一歩離れると、そこはもう緑の海。樹木は枝を広く伸ばし、樹冠が重たげだ。下生えの草を踏みしめると、足元に緑の汁がにじんだ。濃い緑の匂い。樹影は濃く、スーラの姿を見つけにくい。


「ライラ!」


 立ち往生していると、スーラの大声と細かな鈴音が静寂の森をつらぬいた。セラはその鈴の音で、やっとスーラのいる場所を発見する。

「セラさん、悪いんだけど、少し見張っていて」

 言うなりスーラはふたたび元の所へ走り去る。後には、事態を把握しきれていないセラだけが残された。


 セラは、スーラのいた場所に近づいた。大木の根元。薄汚れた深緑の布があると思ったら、それはどうも、外套のようだった。さらに目を凝らせば、手らしき白いものが布の下からのぞいている。

 人だ。人が倒れているのだ。セラは小走りに駆けよった。


「しっかり」

 肩を軽くゆする。土埃にまみれた亜麻色の髪の合間に、やつれた少女の顔があった。

 年はセラと同じくらいで、首からかけた金の鈴が雑草の上で光っている。魔除けの一種だろう。鈴や鐘の澄んだ音は魔を祓うと聞いたことがある。

 革をなめして作った靴は擦りきれ、外套は色褪せていた。服の裾には枝に引っかけたような跡がいくつもある。一体どれだけの間、この暗く恐ろしい森をさ迷っていたのか。


「ありがとう、セラさん」

 水の入ったびんを片手にもどってきたスーラが、セラを押しのけるようにして少女の傍らにしゃがみこむ。ほんの少しの間に帰ってきたというのに、息一つ乱していない。

「スーラ、この人は」

「知り合い」

 説明する手間すら惜しむように短く答え、スーラは少女の上半身を片腕で抱いた。口でびんのコルクを抜き、びん口を少女の乾いた唇に触れさせる。

「う……」

 少女はうすく口を開いて、水を口に含んだ。しかし、流れこんでくる液体を飲もうと喉を上下させると、途端にむせて咳きこんだ。

「ライラ、しっかり」

 スーラはもう一度、びんの先を少女の口にあてた。だが、スーラは焦りによるものなのか、びんがうまく少しだけ傾けられない。多く流しこんでしまい、少女はまたむせ返った。

「ああ、もう」

 スーラがもどかしげに舌打ちし、突然、びんの中身をあおった。


 まさか。


 セラは愕然とし、数秒後には石のように固まる。

「セラさん、部屋を借りてもいいかな」

 少女に水を飲ませることに成功したスーラは、口を手の甲でぬぐいながらセラをふりかえった。

 セラは、答えない。否、答えられなかった。


 口移し。口移し。口移し。口移し。口移し……

 天が落ちてくるくらい衝撃的な光景を。光景を、目撃してしまった。

 それも、好意を寄せている相手と身も知らぬ少女との。


「……いやいや、だからといって男とならよかったわけでも……」

 混乱のあまり思考が表に出たが、そのセリフすら支離滅裂であった。

「セラさん?」

 スーラは焦点のあっていないセラの目の前で、手を上下させた。

 それでやっとセラは我に返る。

「何」

 なんでもなかったようにセラ。

「いや、あの……大丈夫?」

「心配なし。大いに丈夫」

「そ、そう?」

「運ぶ、その人。館」

「うん。ごめん、世話になってばっかりだ」


 スーラはケガがないか確かめつつ、少女の背中と膝裏に腕に入れて抱き上げた。壊れ物でも扱うかのように、丁寧に。

「……」

 スーラを先頭に歩き始めても、セラは驚愕のあまり思考が働かなかった。踏んでいるはずの地面が感じられなかった。周りを見てはいるが、何一つ見えてはいなかった。


 あの少女は、一体誰なのだろう。


 セラは駆動可能な思考をギチギチいわせながら働かせようとしたが、その必要はなかった。

「ライラ」

 少女の耳元で、スーラがささやく。その優しいささやきに反応した少女がスーラの首にのろのろと腕を回し、スーラがそれに応えるように、少女を抱え直して強く抱きしめた。


 ――二人の関係のおおよそを察するには、それで十分だったのだ。




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