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1-7.

 スーラは、すぐにグレイス家になじんだ。

 赤い目が異様で、召使たちも最初はそれを不審そうにしていたが、穏やかな性格とセラの命の恩人という事実の方が勝り、すぐに気にしなくなった。

 特に、マリーはすっかりスーラになついてしまった。無愛想なセラに代わってもてなさなければ、という使命感もあったのかもしれないが、とても仲良くなっている。

 セラが自室を出て階下に降りていくと、二人は今日も居間で一緒の長椅子に座り、たあいのない話に華を咲かせていた。


「スーラさんは、馬に乗れる?」

「馬? 乗れないよ。どうして?」

「一緒に遠駆けをなさらないかと思ったの。お姉さまは馬を走らせるのがお好きだから」

「へえ、そうなんだ。俺は動物と相性が悪くてね。近づくと、たいてい逃げられるんだ。馬は落ち着きを失くす」

「ふうん、なぜかしら? スーラさん、いい人ですのに」

「さあ?」

 心の底からそう思っているらしいマリーに、スーラは苦笑した。動物は魔物のけはいに敏感だ。いくら人に化けようとも、動物はその本性を嗅ぎ分ける。


「どこかに出かけるの?」

 居間を通って玄関へとむかうセラの姿を目に留め、スーラが声をかける。

「神殿」

 セラは手に提げていた革の鞄をかるく掲げた。それでマリーが納得する。

「お姉さまは月に何度か、法術の講義を受けに行くの」

「行ってきます」

 セラは短く挨拶して玄関へと足をむけたが、途中で歩みを止めた。マリーの胸元の首飾り注視する。


「なあに? お姉さま」

「その首飾り、壊れていた」

 無理な力を加えたせいで鎖がちぎれ、ペンダントトップと鎖をつなぐ金具も歪んでいたはずなのだが、近寄って観察してみると、綺麗に修理されている。

「スーラさんが直してくださったの。うまいでしょう? 鎖の形もきれいに復元してくれて」

「器用」

 スーラがここまで手先が器用だとは、意外だった。元は獣姿なので、不器用だという先入観があったのだ。


 しかし、思い返してみれば、スーラはナイフもフォークも使いこなせている。人間が使う日用品はすべて、苦もなく使っていた。

 奇妙なことだ。それとも、呪獣はふだん人間の姿で生活するとでもいうのだろうか。

 疑問を解消すべくスーラに質問してみたかったが、あいにく時間がない。セラは表に待たせてある馬車に乗り、急いで神殿にむかった。


 階段状に机が設けられた講義室は、八割方埋まっていた。

 神官が多いが、ちらほらと一般人もいた。一般に公開はされない場だが、金さえ払えば講義を受けられるのだ。


 来るのがいつもより遅かったため、いつも座る前の方の席は取られてしまっている。セラは少し迷って、前から六列目の席に決めた。

 二つ隣に同い年ぐらいの少年が座っていたが、話すのが苦手なセラは黙って座り、手製の冊子を開けた。これには、習ったことをまとめてある。

 今日の講義についてはちっとも予習していなかった。貸してもらった本を見ても、やっぱり理解できなかったからだ。無駄なあがきと知りつつも、何回か前にならった公式の証明を読む。


「ねえ、君」

 トントン、と机を叩かれ、呼ばれる。話したくないと思ったが、無視するわけにもいかない。セラは紙面から目を離した。

「こんにちは。めずらしいね、女の子がこんなところにくるなんて」

 二つむこうの席に座った少年が、愛想よく話しかけてくる。見ない顔だ。初めてきたのだろう。緊張を和らげるために、世間話でもしたくなったらしい。


「あ、はじめまして。僕は今日、はじめて来たんだ。君はどれくらい前から来てるの?」

「三年」

「へえ、長いね」

 セラはうなずいた。うなずいて、黙る。

 少年は話の接ぎ穂を探すように、一瞬、上に目をやった。

「えっと、君も将来、魔物のハンター希望なの?」

「――べつに」

 少し詰まってから、セラは首を横にふった。

「ええ? じゃあ、なんでこんなところに。一般人なんだろ?」

 相手は目を丸くした。一般人でここに来る者は、将来魔物のハンターになるため、法術の知識を得たい者がほとんどなのだ。

「趣味」

 事情を説明するとセリフが長くなるので、セラはそう答えておいた。

 案の定、少年は面食らった顔をする。

「趣味? 趣味で習うなんて……よっぽどお金持ちなんだね」

 ひがんでいるというよりは、驚きあきれ返っているという感じだった。金を払えば受けられるといっても、受講料は高額だ。


 少年が次の話題に移る前に、今日の講師、神官のオルガがやってきた。

 すると、少年がやけに興奮してセラにささやく。

「ね、ねえ。今日の講義って、オルガ様が講師なの? うわあ……ツいてるなあ。まさか初回でオルガ様の講義が受けられるなんてさあ」

 やけに少年が感激しているので、セラは首を傾げてしまった。何がそんなにすごいのだろう。

「君、ひょっとして知らないの? オルガ様は昔、王都の大神殿で講師をしていたことがあるんだよ。どれだけすごいか、わかるだろ?」

 少年が熱をこめて解説すると、教壇から咳払いが一つ飛んで来た。

「そこ。講義はもう始まっているんだが?」

「あ……すいません」

 オルガに冷ややかな目をむけられ、少年は頬を赤くして謝った。まっすぐ席に座り直す。


「では、今日の講義をはじめる」

 全員が何一つ聞き逃すまいと、一斉に紙とペンを取る。数年前に活版印刷という方法が発明され、本は前より安くなったが、それでも高価だ。全員が教本を用意できるわけではないので、講師が言ったことを書き取るしかない。


 講義は、予想通り、セラにはちんぷんかんぷんな内容が展開された。

 謎だ。謎すぎる。セラは単純な四則演算はできる。だが、代数というものが出てくるとさっぱりわからないのだ。

 セラは心の中でうんうんうなりながら、黒板に連ねられた正体不明の数式たちを冊子に写した。

 ちらりと隣を見ると、少年の方は真剣に黒板を写していた。確信はないが、少年の方はこの講義を理解しているようだ。


(そういえば)

 朗々と響くオルガの声に、セラは耳を澄ませる。

(どうしてオルガはここに)


 大神殿の講師をやったほどの大物が、どうしてこんなぱっとしない神殿へと移ってきたのか。オルガの家族がこの町に住んでいるという話は聞いたことがないし、本人みずから望んでここに来たというふうでもない。


 とすると、何かやむにやまれぬ事情があったのか。

(権力闘争に負けた、とか)

 こんな辺境の神殿でも、権力争いはある。大神殿ならばなおさらだろう。オルガは野心がなさそうには到底見えないから、そういう理由でここに来たとしてもおかしくはない。


「あー、では。この問題を――そこの少年、解きなさい。そう、そこの、新顔の少年だ」

「え。あ、はい!」

 オルガの指名をうけた少年は、びっくりしながら立った。黒板の前に来ると白墨を取り、数式を前に立ち尽くす。耳まで真っ赤で、よく見れば指先が震えている。緊張のあまり、頭が真っ白になっているらしかった。

「どうした、解けないのか。仕方がない。右隣に座っていた者、手伝いなさい」

 つづいて指名されたのは、セラだ。セラにも分かろうはずがない。


 だが、落ち着き払って立った。自分が解けなくても大丈夫だ。少年を落ち着かせて、解いてもらえばいいのだから。

 そう思って黒板へ行くと、予想もしないことが起きた。オルガが少年を席に帰してしまったのだ。

「セラ=グレイス、君のことだ。予習はしっかりしてきただろう」

「……」

 セラは渡された白墨をじっと見つめた。この白墨の白さに劣らず、セラの思考も真っ白だ。


 ううむ。

 セラはうなった。

 悔しいが、負けを認めるしかあるまい。


「すいません。予習をして来ませんでした」

 早々に降参すると、オルガは顎を持ち上げ、すっと目をほそめた。嫌味集中砲火の準備であるな、とセラは身構える。


「ほう、それは一体、どういうことかね。君はこの前、メルレル神官から数学の本を借りたはずだが。それとも、それは私の思い違いだろうか」

「いえ、確かにお借りしました、オルガ神官」

「それなのに、君は予習をしてこなかった、と」

 オルガは、ゆっくりとセラの周りを歩く。

「ひょっとして、ケガがひどくて勉強もできなかったのかな?」

「いいえ」

「では、難しすぎたのかな」

「――いいえ」

 オルガの目に侮りを見て、セラは感情的になって否定した。そして、後悔する。まんまと相手の罠にはまってしまった。


「では、解きたまえ。あの本が難しくないのなら、これはすぐに解けるはずだ」

 オルガはしたり顔で、黒板の数式を指差す。

 セラは途方にくれた。こんなもの、解けるのなら五秒で書いてさっさと席にもどっている。

「どうした? 黒板を見つめたって、答えが書いているわけではないぞ」

 オルガの言葉に、受講者の中から忍び笑いがもれた。

「分からないのなら、ノートでも見たまえ。借りた本でもいい。持ってきているだろう」

「本は忘れました」

「そうか。なら、ノートを取りに行ったらどうだね。そんなところで立っていないで。君には私の指示がいちいちいるのか?」

 ノートを見たところで解決するわけではないが、セラは自分の席にもどるため、踵を返した。


 机と机の間を歩くセラを、受講者たちが目で追う。ほぼ全員が、この事態を面白がっているようだった。それは悪意に似た面白がり方だ。

「わからないのかね?」

 自作の冊子を片手に黒板の前で突っ立っているセラに、オルガの勝ち誇った声が飛ぶ。

「……」

 負けを認めるのも悔しくて、セラは口をつぐみ続けた。


「いい。わかった。もどりなさい。まったく、できないならできないと言ったらどうだね。無駄に時間を使ってしまった」

 講義室に響くオルガの独り言を背に受け、セラは席にもどった。顔がろくに上げられなかった。周りからざまあみろといわんばかりの視線を浴びせられている気がした。


 講義が終わると、セラは手早く荷物をまとめた。少年がまた話をふってきそうなけはいがあったが、こちらから別れの挨拶をしてそれ以上の会話を防止し、退出した。気分は最悪だ。


 しかし、そしてそのまま馬車へ――というわけにはいかなかった。数歩も行かないうちに初老の神官に呼び止められたのだ。数学の本を貸してくれた、メルレル神官だ。無視できない。


「こんにちは、メルレル神官」

「こんにちは、セラ=グレイス。馬と木から落ちたと聞いたんだが、大丈夫かな?」

「全身打撲、右足踵にひび」

「馬と木から落ちてそれだけとは。よほど普段の行いがいいんだね、君は」

「神のご加護」

 セラがすかさず返すと、メルレルは笑った。

「さっきは大変だったね。数学はまだ苦手なのかな?」

「苦手。さっぱり」

「そうか……困ったね」

「問題ない。術、呪文を暗記すれば使える」

 メルレルは苦笑した。数学の知識というのは、術のしくみを理解するために必要なものだから、べつに知らなくても術は使える。ただ、新しく術を編み出すことができなくなるだけだ。


「メルレル神官、数学の授業、なぜ私に勧める」

 講義には、呪文だけを教える講義というものがあるのだ。セラはそれだけを取るつもりだった。数学の授業は、メルレルの熱心な勧めがあったから取ったに過ぎない。

「うん、何故かといわれれば困るんだけれどね。君なら何か、新しいことを考えてくれそうな気がしたんだよ」

「女だから?」

 そういうと、メルレルは申し訳なさそうに肩をすぼめた。

「さっきのことは、本当にすまないね。万人を分け隔てなく扱う、と公言している神殿でも、あの有様だ」

 王座に女性が即位するようになってから女性蔑視はだいぶ和らいだが、完全とはいえない。都から遠く離れたこの地ではなおさらだった。


「皆、君に嫉妬しているんだよ。君が、他の者が五年かかってやっとできることを、三年もかからずにやってのけてしまったから」

 法術や魔術を使うには、まず古代文字を覚えなければならない。世に出回っている法術や魔術の書は、それで書かれているからだ。講師によっては、講義も古代語で行われる。それから、基礎知識を暗記し、術を行使するのに必要な集中力と精神力を養う。

 ここまでで、最低五年。そうしてはじめて、蝋燭に火を灯す程度の、小さな術を使うことができる。


「だというのに、君はこの三年であっという間に成長して、今やオルガ神官に迫るほどだ。ねたそねみが湧くものさ。気を悪くしないでくれ、とは言えないが、わかってやってくれ」

「気にしない。仕方ない。メルレル神官、謝ることない」

 それでもメルレルはすまなさそうにしていたが、そうしていてもどうにもならないと思ったのか、表情を改めて話題を変えた。


「セラ=グレイス、君はハンターになる気はあるかな?」

 思いもよらない質問に、セラは返答が遅れた。

「――いえ」

「なぜだい? 機会があったら、ハンターの試験を受けてみようと思わないか?」

「べつに……」

 セラにしてはめずらしく、歯に物が挟まったような物言いだった。


「国の試験を受けて免許を持てば、色々な情報を提供してもらえるし、特別な待遇も受けられる。たとえば、神殿で閲覧できる本の種類が増えたり、ね。だめで元々だ。近々試験の申し込みがあるから、申し込んでみないか?」

「せっかくですが」

「魔物を退治すれば、場合によっては国から報酬も出る。取得しておいて損をすることはないと思う」

 メルレルは熱心に勧めるが、セラは悩んでいるような様子はあるものの、首を縦にふらない。

「免許、持つと、一年研修」

「一年ぐらい、なんとかならないかい?」

「ならない」

 メルレルは頭を掻くと、セラにそこで待っていてくれるよう頼んだ。そしてどこかへ駆けて行き、もどってきたときには一枚の紙を手にしていた。


「もし興味が湧いたら、受験してみて欲しい。一応、持っていてくれないか」

 セラは試験の案内が書かれた紙をじっと見つめた。

「君の才能は、ここで埋もれさせておくにはもったいないものだ。この試験は、君の飛躍の第一歩になると思う。申し込みまでは、まだ一ヶ月ほどある。じっくり考えて欲しい」

「神官、私は後継ぎ問題が」

「妹さんがいただろう? 彼女ではだめなのかな?」

「……」

 不可能なことはないが、マリーに家のことを任せるのは不安がある。


 それに、マリーをあのルイと結婚させるのは絶対に嫌だ。それぐらいなら自分が結婚する。マリーと結婚させてもいいと思う金持ちの男が出現すれば話は別だが、そんな都合のいい話は早々ない。なにせ、セラのマリーに似合う男の基準はとても高いので。


「君はじつに勇気があって、冷静で、判断力があり、豪胆だ。並の男よりもね。魔物を前にしても、動じることがない。ハンターにむいていると思うよ」

「……違う」

 ぽつりとセラは言い、首をふった。

「神官。私は、誰より魔物が怖い。ただ、それが顔に出ないだけ」

 そう言うセラの表情は、やはりいつもと変わらないものだったが、そのセリフには誇張も虚飾も感じられなかった。セラは真実、魔物を恐れている。


「セラ=グレイス、君はやっぱりまだ……」

「受け取る」

 メルレルが言葉を言い終えないうちに、セラは試験案内の紙を受け取った。

「失礼、メルレル神官」

 セラは礼を一つすると、身をひるがえした。それ以上の言葉を許さない態度だった。

 メルレルは黙って、セラの黒いドレス姿を見送るしかなかった。




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