1-6.
スーラは入ってくると、ああ、マズイ場面に出くわしたなあ、という顔をした。
胸倉をつかまれたまま、スーラの登場に無表情で驚いているセラ。
今まさに殴りかかろうとする姿勢で固まり、スーラのほうを見ているルイ。
頼む助けてくれと懇願するようにスーラを見つめるクイル。
その他大勢の視線。
スーラが登場してから、誰も言葉を発しない。
全員が新たに登場した人物の一声を待っているようだった。
「とりあえず、その手を離した方がいいんじゃないかな。ルイ=リーベラスさん――だっけ?」
「おまえは……」
「無抵抗の相手に暴力をふるうのは、まずいと思うよ」
ルイは強張った手をゆるゆると解き、ふりあげていた拳を下ろした。
それから、邪魔した相手を憤怒の念をこめてにらんだ。子供が泣き出しそうなほど凶悪な面相だ。
だが、スーラは毫も動じない。真っ向からルイと対峙する。
「この前みたいな醜態を曝したくなければ、さっさと出て行け。ここは病人の部屋だ。場をわきまえろ」
研ぎ澄まされた刃のような視線が、ルイの脅しを撥ねつける。先程までの飄々とした態度が嘘のような、冷徹な一面。ルイが怯んだのが誰の目からも分かった。
はたから見ていても、形勢は明らかだった。ルイはぶつける場のない苛立ちをもてあましながら、荒々しい足取りで部屋を去っていく。
――バキッ!
去り際に、ルイの拳がクルミ材の扉にめりこんだ。それが合図だったかのように、ルイの友人たちも帰っていく。怒りに脅えをにじませた目でスーラをねめつけながら。
「お姉さま、大丈夫!?」
マリーが顔をくしゃくしゃにしてベッドに駆け寄る。
「最低! 最低! 最低! どうしてあんなやつを家に入れなきゃならないの?」
「マリー、落ち着く」
「お姉さまは落ち着きすぎよ」
セラは抱きいてきたマリーの背をぽんぽんと叩き、スーラに顔をむけた。
「助かった。感謝」
「どういたしまして。でも、扉が犠牲になっちゃったね」
「かまわない。ありがとう。ルイと喧嘩、した」
「あー……うん、まあね。するつもりはなかったんだけど、むこうが攻撃してきたから仕方なく。血を見るのは好きじゃないし、今は騒ぎを起こしたくなかったのに」
スーラは、困ったようにため息を吐き、壁にもたれかかった。すかさずクイルが椅子を勧め、マリーが新たにお茶の用意をはじめる。
「あんまりゆっくりする気はないから――」
「お願い、ゆっくりしていって。二度も助けてもらったのに、何もしないなんてグレイス家の恥になるもの」
「そうだとも。ぜひ、ゆっくりしていってくれ」
二人に熱心に引き止められ、スーラは仕方なく席に着いた。セラもベッドから離れ、同じテーブルにつく。
「スーラさんって、珍しい目の色をしていらっしゃるのね」
「異国の出身だから」
「じゃあ、異国にはそんな赤い目をした方がいっぱいいらっしゃるの?」
「いっぱいじゃないけど、俺の他にもいることは確かだよ」
世間知らずのマリーは、それですんなり納得した。マリーよりは世間を知っているクイルも、遠い遠いところにはこういう種族がいるのかもしれないとあっさり受け入れる。
「屋敷の前を通りかかったら、いきなり屋敷に連れこまれてびっくりしたよ。部屋に入ったら入ったで、穏やかじゃないし」
「ごめんなさい、スーラさん。ルイお兄さまを追い出すためには、別の見舞い客を連れてきたほうがいいと思ったの」
「べつにいいけどね。ケガ人にケガが増えずにすんだ」
スーラは勧められたケーキにフォークを刺した。
「好奇心からなんだけど、聞いてもいいかな。リーベラスさんとはどういうつながりなの?」
「セラの婚約者だよ」
「候補よ。候補」
クイルの言葉にマリーが付け足すと、クイルがさらに足す。
「マリー、これはほぼ決定の――」
「お父さま、セラお姉さまをあんな男の人のところへお嫁になんてやったら、私、非行に走ります! お姉さまと一緒に家を出ますから!」
「しかしだね、マリー。家を存続させていこうと思うと……」
「お姉さまも嫌だっておっしゃっています」
「セ、セラ、お前……」
クイルはうろたえ、瞠目した。
「セラ、お前ならわかるだろう? お前は賢い。今、うちがどれだけ苦しいかはよくわかっているだろう?」
クイルは嫁に行かないなんていわないでくれ、と懇願するように問いかけてくる。
まいった、どうしよう。妹との約束と長女の責務の間で、セラは板ばさみになってしまった。
二人分の視線から逃れるように目線をさ迷わせ、スーラの姿を捉える。スーラは、突然はじまった家族論争に面食らっていた。
しまった。客の前だった。完全に失念していた。
「二人とも、客の前。やめる。スーラ、申し訳ない」
「ああ、いや……」
スーラは気まずそうにした。踏んではいけない場所を踏んでしまったという後悔が、顔にありありと表れている。
「どうぞ」
気まずい思いをさせた詫びの意味をこめて、セラはケーキをもう一切れ差し出した。
「ありがとう、セラさん。あんまりおいしいから、もう一つ欲しいと思っていたところなんだ。誰が作ったの?」
「伯母」
「お菓子作りとかお料理とか、お裁縫とかがとってもお上手な方なの」
愛想のないセラのセリフを補うように、マリーが言う。姉の無口さを自分がフォローしなければ、という気負いがあるのかもしれない。
「よかったら残り、全部持っていってください。まだ何もお礼をしていないし。ね、お姉さま」
「同感」
姉妹の間で決定が下されると、マリーはさっそく残りのケーキを薄紙で丁寧に包んだ。スーラの返事は聞いていない。リボンも結び、半ば強引に渡す。
「ありがとう。せっかくだから、もらっておくよ」
包みを大切そうに抱え、スーラは席を立った。
「そろそろお暇しようかな。ごちそうさまでした」
スーラの後を追うため、セラもすぐに腰を上げる。
「スーラ。他に欲しいもの。礼、まだ不十分」
「おいしいケーキをもらって、お茶をごちそうになった。それで十分だけど」
「でも」
「本当に気にしなくていいから。俺が勝手にやったことだし」
「スーラ、どこ住んでいる」
何か珍しいものや、役に立ちそうなものが手に入ったら持っていこう。
そう考えてセラが尋ねると、スーラは視線を泳がせた。
「どこに住んでいるというわけでもないんだけど……」
セラは首を傾げる。
「えーっとね、住所不定なんだ。率直にいうと家なし宿無しで、適当なところに寝泊りしているというわけで……」
「ここに泊まる」
すぐさまそう申し出ると、クイルもマリーも即座にその意見に追従した。
「でも、こんな立派なところに、俺みたいなのが泊まっちゃ悪いよ」
「泊まる」
得意の無表情と有無を言わせぬ口調でセラが迫ると、スーラは観念した。
「わかった。しばらく滞在させてもらうよ」
こうして、一時的にグレイス家に同居人が増えた。