2-21.
それからのクイルの行動は、いまだかつてこれほどまでに父親の対応がすばやかったことがあろうか、とセラが妙に感心してしまうほど迅速だった。
すぐさま旅の用意を整えたかと思うと、セラを馬車に詰めこみ、王都を目指して一直線。幽霊にでも追われているように御者をせかし、逃げ出さないよう始終セラに張りついていた。心配のあまり水浴びにまでついて行きそうになって、セラに昏倒させられたことすらあった。
急いでいるせいで地面の凹凸に激しく上下する馬車。クイルは酔って青ざめていたが、それでも御者に先を急がせた。
セラは嘆息する。
「父」
「な……なんだいひ、セッ――!」
台詞の前半は気持ち悪いせいでおかしくなり、後半は舌を噛んだために途絶えた。酔いと痛みの二重苦。クイルは口元を押さえてうめいた。
「し、死ぬ……」
「……」
馬車をいったん止めようかと思ったが、このままもっと気分を悪くさせ、父親が何もかもどうでもよくなったあたりでスーラの話を切り出せば、気迫で押し切れそうな気がする――セラは親の心子知らずで、非道なことを考えた。
セラは苦しむ父親の背をさすりながら、流れていく風景をながめた。
スーラのことは気になるが、今は引き返せなかった。まずはエランを助け出さなければ。そうして、エランのことが一段落ついたら、スーラに会いに行く。地の果てまでも追いかける。押し倒すつもりで求婚する。逃すものか、ここまで惚れさせておいて、私を変えておいて。
「ぐぇ……」
セラは知らず知らずのうちに表情をやわらかくしながら、踏み潰されたカエルのように鳴く父親の背をやさしくさすった。
「父」
「うぅ……なんだい、セラ」
「私、幸せだった」
「うん?」
「スーラと一緒。これからも、幸せ」
「……」
クイルは一瞬うなるのを止めた。そして次の瞬間、盛大に吐いた。
* * * * *
セラたちがバートリー邸にたどり着くと、マリーは予想以上に早い到着に驚いた。
「セラお姉さま! それに……お、お父さま?」
魂が抜けかかっている父親を、マリーは恐る恐るつついた。セラはクリストと協力して父親を馬車から引きずりおろし、さっさとベッドに寝かしつけた。
「来てくれてありがとう、お姉さま。それにクリストさん」
セラはどうということはないと首をふった。マリーは元気そうにしていたが、少しやつれていた。召使がこっそり打ち明けてくれた話によると、食事が満足にのどを通らない状態らしい。
セラはさっそく詳しい状況を聞きにかかった。だいぶ日数を浪費した。道中、折を見てはハンターギルドに立ち寄って情報を集めたり、探索の術を使ったりと、できる限りのことをしてはきたが、状況は最悪だ。
魔人はエランたちを殺さず、部隊をまるごとどこかに消し去った。殺さなかったという点ではまだ希望があるかもしれないが、魔人はエランたちを使って、だれかに何かを要求するわけでもない。
「ひょっとすると――殺されるよりももっと悪いかもしれませんね」
茶器をならべるマリーには聞こえないよう、小さな声でクリストがセラに耳打ちした。 セラが一番懸念しているのは、エランたちが魔人の実験台にされた場合だった。魔人は合成獣を作る研究をしている。神族の血を引くエランは、おそらく魔人にとって興味深い素体だろう。
『他のものと混合された生き物を元にもどすことはできぬぞ』
白梟は苦々しげにいった。セラは口にカップを運んだが、途中で手を止めた。
「どうしたの? お姉さま」
セラはマリーの方へカップをかたむけた。ただのお湯の注がれている。ポットに葉を入れ忘れていた。
「あ……ごめんなさい! すぐに淹れ直すね」
マリーはあわててカップを回収し、もう一度あたふたとお茶の用意をはじめたが、セラは動作でやんわりそれを差し止めた。ふしぎそうに見つめてくる目を、じっと見つめ返す。
明るかったマリーの表情がくしゃっとくずれた。
「……………う……えっ」
クリストと白梟はしずかに席をはずした。セラはマリーの頭を抱いて、その背をぽんぽんと叩いた。
「お……姉さま。エラン、大丈夫よね。きっと、無事よね?」
マリーはセラの胸にすがった。だが、セラはいつものように大丈夫と即答しなかった。マリーを見つめる目はいつものように愛情に満ちているが、表情は硬く、一人の大人と相対するような厳しいものだった。
「落ち着いて、聞く」
いつもとちがう様子の姉に、マリーは不審そうにし、自然と居住まいを正した。
「エランが無事で帰る可能性、低い」
マリーは愕然とした。いつもならば、セラは絶対に、マリーに絶望的な言葉を口にしない。突き放した言葉に、マリーの目尻からぽろぽろと涙がこぼれた。
だが、セラはハンカチを差し出しただけで、なぐさめは口にせず、妹が落ち着くのを我慢強く待っていた。それに気づくと、マリーはぐっと唇を引きむすび、涙をぬぐって顔を上げた。
「エラン、探し出せないかもしれない」
「うん……」
「見つけても、キマイラになっているかもしれない」
「うん」
「死体になって帰ってくるかもしれない」
マリーはうん、とうなずいた。マリーは、もう泣いていなかった。目にのこった涙をはらい、ぎゅっと両手を握り合わせた。
「……お姉さまが探し出せなくても、私はずっとエランを待っているわ。どんな姿になって帰ってきても、エランはエランよ。もし……先に天国に行ってしまっても、泣いたりなんかしない。エランは……私の心の中にいるもの」
セラはようやく硬い表情をゆるめ、握り合わされたマリーの両手をそっと包みこんだ。
「できる限り、手は打つ。希望は、捨てない。信じて、待っていて」
「うん。だれに絶望的なことをいわれても、あきらめずに待ってるわ、お姉さま」
「ごはん、ちゃんと食べる」
マリーはこっくりうなずき、セラに抱きついた。
「変なの。お姉さまに絶望的なこといわれても、ちっとも悲観的になれないの。きっと大丈夫だって、そう思えるの」
笑いかけられて、セラは返答に困った。マリーよりも自分の方が悲観していることに気づいたからだ。
「……お姉さま、故郷でスーラさんとちゃんと会えた?」
不意打ちに、セラはとっさに返事ができなかった。マリーはえへへ、と笑う。
「やっぱりお姉さま、スーラさんのことが好きだったのね」
セラはなぜ、と目で問い返す。マリーは自分の予感が当たったと知り、ますます嬉しそうにした。
「だってスーラさんとお話しているとき、お姉さまの表情が全然ちがったんだもの。皆はそんなことないっていうから、私も確信していなかったんだけど……」
「……」
「お姉さまが故郷を出て行ったあとね、スーラさん、おうちを助けてくれていたの。いつの間にか小麦粉の袋が一つ増えてたり、お肉が一樽増えていたりして。魔物や盗賊がきてないか、こまめに見回ってくれていたみたい。もちろん皆には内緒でやっていたんだけど、私、偶然その場面を見ちゃって」
スーラさんすっごいあわててた、とマリーはくすくす笑う。
「怖くない」
「怖い? どうして? スーラさん、すっごくいい人よ」
マリーはきょとんとした。
「お父さまも最初はいい人だっていってたのに……今じゃ名前を聞くだけでふるえて、お姉さまをだました悪人だとかいうの。スーラさんが食べ物をくれたっていったら、スーラさんの持ってきた食べ物には、絶対に口をつけようとしないのよ。ひどいわ」
「……」
セラは父親の人の好さを知っている。たぶん、父親はいまもスーラがいい人だと分かっている。けれども、呪獣という名にかかる恐怖がその認識をつぶしてしまうのだ。
本当は遠ざけたくないが、遠ざけなくてはならない。その罪悪感を減らすために、スーラを悪い魔物だと思いこもうとしているのだろう。
「スーラさん、ずっと謝ってた。こんなことになって、ごめんって。何度も。スーラさんは全然悪くなかったのに。
どうして魔物であることがいけないの? 魔物だったらどんなに親切でも仲良くしちゃだめなの? どうしてみんな信じられないの? 人を殺してしまうかもしれない私のことは信じられるのに、どうして?」
「魔物は、人を襲うから」
「でも、スーラさんは襲ったりなんかしないわ」
セラは不満そうなマリーの頭をなでた。
「みんな、生きているのはおんなじなのに。人も、魔物も――ううん、神様も精霊も動物も、そんなの関係なく一緒に暮らせたらいいのにね」
セラはマリーの髪を丁寧になで、椅子から立った。一刻も無駄にしていられない。早く行動しなければ。
「気をつけてね、お姉さま」
深くうなずき返し、セラは部屋を出た。すぐに、廊下の壁にかざられた彫刻や絵画をながめているクリストを発見する。
「行かれるんですね」
「あなたを、雇いたい」
「協力ではなくて?」
セラが大きくうなずくと、クリストは腕を組み、壁にもたれかかった。
「……さて。高いですよ、私は」
「人の命よりも?」
遠慮も会釈もなく即座に切り返す。しばらくにらみ合うはめになったが、セラは絶対に目を逸らさなかった。
やがてクリストが表情をくずした。もっとも、セラには表情をくずすという選択肢そのものがないので、それができたのは最初からクリストだけだったのだが。
「嘘ですよ。意地悪はやめて、すなおに雇われます。少しからかってみただけです。貴女ならどう答えるかと思って」
セラはむっとした。試されるのは気持ちのいい話ではない。
「金持ちならいくらでも、といわれます。そうでない者なら、一生かかってでも、と頼まれるんですが――卑屈でも傲慢でもない報酬を出されたのは初めてです」
クリストはくすくすと笑った。セラはますますおもしろくない。
「報酬、ちゃんと払う」
「いいえ、いりません。お金なら結構です。その代わり、いつか私に協力していただけますか? ハンターをやめても」
「いかほど」
「人の命が救えるほど」
「……」
やり返された。セラは憮然とする。
「では、契約成立ですね」
クリストが片膝をつくと、セラはやり返された腹立ちから、わざと高慢なしぐさで手を差し出した。
「こき使うかも」
「どうぞ貴女のお気の召すままに、私の女王様」
クリストはうやうやしくセラの手の甲に口づけた。




