2-17.
「だめです」
熱が下がってすぐに起きようとするセラを、クリストはベッドに押しもどした。
「また貴女は……まだ熱が下がったばかりでしょう。あと二日は待ちなさい」
薬湯を押しつけられ、セラは眉間にうっすら皺を寄せた。苦くて青臭くてとてつもなくまずいのだ。
しかし、思い直して受け取る。ここでしっかり治さねば病は長引くばかりだ。
「やけに素直ですね」
一息に飲み干したセラに、クリストが意外そうにする。しかも自分から進んでまたベッドに入ったので、さらに異様だった。
「……なにする」
「いえ、熱でもあるのかと思いまして」
セラは額に手を当ててくるクリストを睨みつけた。
「なあ、クリスト君。少しくらい外の風に当たっても大丈夫なんじゃないかな。温かいかっこうをしていれば問題ないと思うんだが」
クイルが提案すると、クリストも少し考えてから、賛同した。
「そうですね。寝ていてばかりでは身体の筋肉が固まって痛いですし」
思わぬ効果だった。セラは内心しめしめと喜んだ。
しかし、父親がクリストの意見を仰ぐとはどういうことなのか。軒先を貸して母屋を乗っ取られている気がする。
「お墓参りでもしようか。すぐ近くだし」
「そうですわね。では、お嬢さま、服を着替えなさいませ」
乳母はかろやかな手つきでクローゼットを開けた。セラは嬉々としてベッドを降り――またベッドに這いあがった。
「何をなさっていらっしゃいますの、お嬢さま。さあ、お好きな服をお選びになって」
乳母はクローゼットから何着か服を取り出した。白やこげ茶や葡萄色のドレス、リボンのついたかわいらしい帽子など、色とりどりの衣装がセラの眼前で揺れる。
しかし、黒い服は一着もない。
「ソフィア姉さんが贈ってくれたんだよ。昔の服を仕立て直してね。遠慮せずどれでも好きなものを着なさい。ほら、かわいいだろう? きれいだろう? 着たいと思うだろう~?」
クイルが勧めたが、セラは花の刺繍にむかって、これみよがしに咳をした。
「たまには黒以外の服を着てもいいじゃないか。何が嫌なんだい?」
セラは父親を無視し、ベッドの下からまだ片づけていなかった旅行鞄を取り出した。中にはまだ黒い服が残っている。クイルと乳母は悔しそうにした。
「セラ、久しぶりに母さんたちに顔を見せるのだから、きれいにしないと!」
「うつくしく着飾ったお嬢さまを見たら、奥様も坊ちゃまもお喜びになられますわ!」
セラは父親と乳母の気迫に気圧された。
「もったいないですよ。黒以外の色も似合われるでしょうに」
「クリスト様のおっしゃるとおりです。たまにはちがう服を着るべきです。ちがう服を着れば、お嬢さまの魅力にどんな男性もイチコロですわ」
セラは衣装を一瞥したが、結局部屋から三人を追い出して黒い服に着替えた。見えはしないが、父親と乳母が嘆息しているのが分かった。
「花を摘んでまいります。お嬢さまは先に行っていらしてください」
南の庭に出ると、乳母は花壇にしゃがみこんだ。セラは花壇の隅に目を留める。瓦礫が積まれたまま放置されていた。
西回りに裏へ回ろうとすると、被害を受けなかったはずの西館にまで穴が開いていることに気がついた。町の修理に西館の石材を使ったのだという。
町にも呪獣に襲われたときの痕跡は残っているが、こんなにあからさまには残っていない。せいぜい、屋根が真新しくなっていたり、壁の色が途中からちがったりするぐらいだ。領主の館なのだが、町のどこよりもみずぼらしくなっている。
「セラ、元気になったらクリスト君に町を案内してあげなさいね。本当にたいしたもてなしもできなくて……」
庭でセラたちと別れたクリストは、斧を片手に薪割りにむかおうとしていた。相当申し訳ない。
セラはクリストに寄って行き、神殿で寝泊りしてはどうか提案した。神官はどこの神殿でも自由に寝泊りできる。こんなボロ館にいるよりよっぽどいい。
だが、クリストはその提案を断った。
「気にしないで下さい。迷惑ではないのですが、神殿にいると講義やら稽古やら旅の話をせがまれるので困ってしまって。それに、館がこんな状態なのは理由があるからでしょう?」
クリストは町と館を見比べ、ほほえんだ。
「いいご領主様ですね。自分のことより領民のことを優先なさって」
セラも同感だった。いつもは情けない父親だが、このときばかりは誇らしい。
墓は館の裏手、森の入口にひっそりと建てられている。北館をとおり過ぎ、裏門を出て、セラとクイルは墓石の前に立った。
ただいま。
しゃがんで、白い墓碑に触れる。クイルもセラの隣にしゃがみ、墓のむこうにある思い出を見ていた。二人は思い思いに故人に思いを馳せ、墓のまわりの雑草を抜き、乳母のもってきた花を添えた。
「この通り、セラも大きくなったよ。マリーも結婚するし、僕にできることはだいたい終わった」
セラは父親の横顔を盗み見た。
二年前よりわずかに、だが確実に老けている。
「これからもセラとマリーが幸せに暮らせるように、見守っていてやってくれ」
セラとクイルは死者に祈りを捧げた。
「どうしておまえたちはそんなふうに生まれてきてしまったんだろうなあ……」
墓を前にしてクイルがつぶやいた。
町の人々には内緒で、幾度も口にしてきた言葉だが、セラにはそのぼやきが理解できなかった。人の役に立つならばいいではないか。物は有用に利用するべきだし、町の人に頼りにされるのは嬉しい。
だが、それは少し前までの話だ。セラは今、自分でも驚くことに父親に共感していた。この体質がなかったら、自分はもっと違う人生が歩めていただろう。もっと平穏で、争いのない人生が。
「おおい、あんまり奥にいくんじゃないぞ」
町の女の子たちがわきをすり抜けて行った。草で編んだ籠をもって楽しそうだ。薬草か木の実を取りに行くのだろう。
最初は呪獣を警戒して森に入らなかったらしいが、森の恵みなしでは生活ができない。幸い呪獣がやたらむやみと人を襲うことはなく、出くわしても目を合わせずに立ち去れば大丈夫だったという。
今ではだれでも気軽に樹皮をはぎにいったり、蜂蜜やきのこや薬草を採りにいったり、炭焼きをしたり、家畜に木の実を食べさせに行ったりしている。迷うことにだけ気をつければよかった。
「そういえば……奥様は森で迷われたことがあるそうですよ」
セラにとっては初耳だった。詳しい話をせがむと、乳母は苦笑した。
「なんでも、森で一ヶ月ほど行方不明になったそうで。奥様はそのときのことを覚えていらっしゃらないそうなので、わたくしもよく分かりません」
一ヶ月。子供がよく生きて帰ってこられたものだ。
「ぼくはそれを聞いて『そのときに何かすごい体験をして、それが君たちの体質に影響しているんじゃないか!?』って聞いたけど、笑って否定されちゃったよ。――さて、そろそろもどろうか」
クイルにうながされて立ち上がり、セラは森の奥に目をこらした。
どこまでもつづく木立。その狭い隙間を縫って森の奥を見透かそうとし、背筋が粟立った。何か見えてしまいそうで怖い。
「お嬢さま、早くいらっしゃいまし」
乳母の呼びかけで我に返ると、セラはショールを身体に巻きつけて、逃げるように家の中に入った。




