2-11.
会場には絶えず音楽が流れ、入れ代わり立ち代わり人が踊っていた。
セラはというと、壁に背を預けてそれをながめていた。口にワインを流しこみながら。
「お酒はお好きですか?」
三杯目を片づけたころ、見知らぬ男がセラに話しかけてきた。
セラはそっけなく首をふる。これで四人目。いいかげんまじめに相手をするのも面倒になってきた。
「どちらからいらっしゃったんですか?」
「彼方から」
「お名前は……」
「秘密」
「その黒いドレス、ステキですね」
「そう」
セラの態度は氷点だった。男は笑顔のまま口を凍らせたが、セラは一向にかまわなかった。
会場の中央に目をやると、ちょうどマリーがエランと一曲踊り終えたところだった。体温が上昇しても香気はより強くなる。花の蜜に吸いよせられる蜂のように、人々は汗ばんだマリーに群がった。
また妹の姿が見えなくなると、セラは杯をあおった。マリーのサポートはエランがしっかりやっているため、出番はない。やれることといえば、ヤケ酒に走ることぐらいだ。止める者はいなかった。クリストは「自分のことはどうぞ気にせず」と人の輪の中へ送り出してある。
五杯目を空けたとき、また某領地の某家の某が話しかけてきた。
「お酒だけでは身体によくない。何か料理をとってきましょう」
「不必要」
「遠慮しないで下さい。何がお好きですか?」
「不死鳥の卵」
「……飲みたいお酒はありますか?」
「悪魔の霊酒」
「…………踊りませんか?」
セラは誘いを黙殺した。
「うつくしい方、ご趣味は?」
ちがう一人の質問に、セラは沈黙を返す。すなおに魔物いじめと答えないだけ常識があるな、とセラは己の非常識な常識を褒めたたえた。
「私の趣味は星をながめることです。どうです、気分転換にバルコニーで星をながめながら語り合うというのは……」
セラは星空を仰いだ。不吉な赤い星が煌々とかがやいていた。
「つ、月をながめながら」
セラは夜空を仰いだ。新月だった。
また一人、沈黙に落ちた。
しかし、まだ終わらなかった。話しかけている者がいるのを見ると、それまでセラを遠巻きにしていた紳士たちが次々と押し寄せてきた。
「こんなジョークを知っていますか? ある男が無人島にたどりついて――」
「本日はお日柄もよく――」
「青春は有限です。限りある時間を僕と一緒に――」
いつの間にか、セラの前には十人ほど男が雁首をならべていた。
なぜ。
セラは苛々すると同時に、当惑した。これだけ冷たくしているのに、どうして皆あきらめないのだろう。
しかたがないので、最終手段に出ることにした。三十六計逃げるにしかず。杯をテーブルにおく。
「少々、気分が」
「私が休憩室までっ!」
みごとに声が重なった。
セラは呆然とした。
逃げることすらかなわぬというのか。
争いのはじまった男たちにセラはなす術がなかった。後ろは壁、男たちは半円を描いてセラを取りまいている。退路がない。
「こっちです」
不意に腕を引っ張られた。セラは引かれるまま、強引に輪から出る。肩越しにいがみあう男たちを見ながら、人気のないバルコニーへ遁走した。助かった。
「貴女は……あしらっているのか誘っているのか、どっちなんです?」
クリストの呆れたような物言いに、セラはむっとした。自分は誘った覚えなどない。
『気分が悪い、というのは淑女の遠まわしなお誘いだ。休憩室で楽しく過ごしましょうという意味になる。すげなく断ってばかりいないで、もう少し楽しんではどうだ?』
セラはそっぽをむいた。白梟は『おやおや、月より冷たい』と苦笑する。
――貴女がハンターである限り……
女王の言葉を反芻し、セラは苛立たしげに扇を鳴らした。ようやく分かった。女王は自分をどこかの貴族の妻にしてしまえと考えているのだ。この舞踏会に参加しているほどの貴族となれば、嫁いだが最後、強制的にハンター稼業をやめさせられるだろう。そして、セラは女王に忠実な夫の支配下におかれる。
そんな下心のある舞踏会など、楽しめるものか。
「踊るくらいしてもよいでしょうに。一夜の夢だと割り切って」
「……」
セラは何度も扇を開閉してもてあそんだ。クリストと白梟は顔を見合わせたが、それ以上は何もいわなかった。
バルコニーからは女王自慢の庭が見下ろせた。左右対称の造園で、手入れがよく行きとどいている。
城にはふつう菜園や薬草園を作るものだが、ここはそのスペースが狭かった。居住条件の厳しいオヌからきたクリストは、豊かな国ですね、と簡潔に感想を述べた。
「ところで、キマイラを作った魔術師のことなんですが、どう思われますか?」
どう、と問われても何がどう、なのか。セラは首をかしげた。
「正確にいうとキマイラの研究なんですが、だれが援助していたのか気になって」
いわれてセラもはじめて疑念を抱いた。研究というのはとかく金がかかる。どこから資金を調達していたのだろう。窃盗や恐喝で資金を調達しているのならばいいが――いや、本当はよくないのだが――そうでなかった場合が問題だ。
だれが、なんの目的で魔術師にキマイラ作りを依頼したのか。黒幕というには少々大げさだが、それも同時に追及するべきだろう。
クリストが舞踏会に参加したのは、その辺のことを探ろうと思ったからなのだろうか。 ワルドーの上流貴族たちにその可能性があるのか調べたかったのかもしれない。
「もう少ししたらもどりましょうか。皆さん、貴女に興味をもたれています。人脈を作っておくいい機会です」
セラは首をふった。元々こういう席は苦手だ。もう帰りたいくらいだった。
「ツテはあって困るものではないですよ。何かの機会に彼らから仕事をいただけるかもしれません。
貴女はいい素質をお持ちだ。これからもっと成長する。そのとき上流階級の人脈が必要になります。自慢するようで恐縮ですが、私は彼らに顔が知られています。私と一緒にいればそれだけで人の記憶に止まるでしょう。今は絶好の機会なんです」
熱心に諭され、セラはたじろいだ。
なぜ、ここまでこの人に熱心に勧められねばならないのだろう。
「貴女に早く大きくなって欲しいんです」
クリストは楽しそうに笑った。
「私と勝負してくださる方はなかなかいらっしゃいませんから」
「将来の敵を、育てると」
「ええ、そういうことです」
いたずらっぽい口調だった。
セラは複雑な心持ちになったが、なるほどと納得した。だから、キマイラ退治のことを女王に話したのか。好意であるだけに、むげに責められない。
ううむ。それにしても困ったぞ。いつの間にかライバルに認定されている。いったいどこをどう見こまれたのであろうか。
思索にふけっていると、かろやかな足音が思考にまぎれこんだ。
「セラお姉さま?」
頬をほんのりと上気させたマリーがバルコニーへ駆けてきた。一人だ。人々をなんとかふり切ってきたらしい。
「話しかけてくる方たち、みんな偉い人たちなんだもの。緊張しちゃった」
マリーは深呼吸をして呼吸を落ちつけた。エランはマリーについていこうとする人々の堰き止め役を担っているという。マリーの体質もなかなかに厄介だ。
「やっぱり人とお話しするのって苦手。私の体質、相手が心の底で何を思ってるのかちっとも分からなくしてしまうもの……」
うなだれる妹の肩に、セラは優しく手をおいた。悪用できる体質をもったにも関わらず、すなおに育ったマリーに感謝しながら。
気を利かせたのか、クリストは何か飲み物をもらってくると会場へもどっていった。
「さっきはすごかったのね。男の人が、たくさん」
たいてい気味悪がられる姉がもてはやされているので、マリーは嬉しそうだった。
「クリストさんとは何を話していらっしゃったの?」
セラは簡潔に仕事の話、と答えた。
マリーはこんなときまでそんなことを話さなくても、とやや呆れた。
「よっぽどお仕事が楽しいのね。でも、自分のことも大事にしてね」
遠慮がちにつけ加え、マリーは少し口ごもった。
「ちがうならいいんだけど、もし、もし――お母さまの亡くなったことを気にしてハンターをしているんだったら、やめてね。お姉さまのせいじゃないもの」
セラのまぶたが無感動にまたたいた。
父親や伯母に何十回と諭されてきたことだ。とうの昔に理解はしている。理解は。
けれど、あのとき自分が守れたならと、幾度となく繰言を思ってしまうのだ。
この力をもって生まれながら、どうして助けられなかったのか。
「無理はしないで。お姉さまはそんな体質で生まれたからって魔物と争う必要なんてないもの。お父さまはずっと後悔なさってるわ。町の人たちのいうことにしたがって、お姉さまに囮役をさせたこと」
「物は、有用に利用すべき」
道理を説くようにいうと、マリーはぎゅっと唇を噛んで、泣きそうな目をした。
「セラお姉さまが魔物を殺すために生まれたなら――なら、私は人間を殺すために生まれたの?」
目をうるませて訴えるマリーに、セラは虚を突かれた。
「そんなふうに考えないで……」
失言にとまどいながら、セラは妹を抱きしめ、その背中をやさしく叩いた。
「自由に生きてね、お姉さま。もう、家のことも心配しないで。町のことも心配しないで。私がお姉さまの代わりにちゃんと守っていくから」
どちらの意思か、セラの腕とマリーの身体がはなれた。
セラの腕は抱くものがなくなって軽くなり、宙を泳ぐ。
「辛いことがあったら、いってね。今度は私がお姉さまを支えたいの。なんにもできないかもしれないけど、私はどんなときでもお姉さまの味方でいるから」
マリーは笑って、照れくさそうにうつむき、身をひるがえした。エランのところにもどらなきゃ、と小走りに去っていく。それと入れちがいに、クリストが果実水をもって帰ってきた。
『よく分からぬが、妹御は成長したようだな』
「……」
果実水はよく冷えていて、飲みこむと胸の辺りに染みた。
ぽっかりと、心に穴があいた気がした。一人おいていかれたような寂莫感が胸を占める。
この二年の間に、マリーはどれだけ大きくなったのだろう。
焦燥を覚えながら、セラはゴブレットの中身を飲み干した。
「一曲、踊っていただけますか?」
クリストの差し出した手に、扇が一度だけ開閉される。
セラはゴブレットをバルコニーの手摺りにおくと、その手に左手を重ねた。
音楽はちょうど一曲終わり、新たな曲に入ろうとしていた。
 




