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1-3.

 セラはクローゼットを開けた。

 黒。

 選択の余地なく、黒い服ばかりがならんでいる。

 その中から黒い男物の服を選びとり、セラは喪服のような黒いドレスを脱ぎにかかった。


 背に流した髪をマリーに結ってもらっている間に、腰に短剣を帯び、銀で作られた守護符を首にかける。これが基本装備だが、今日はそれに白墨を付け加えた。

 部屋の外では、息を切らした兵士が待っていた。その隣にはセラの父親、クイルも立っていて、いつもの気弱そうな顔がさらに気弱そうになっていた。


「すいません、こんな夜になって」

「平気。さっそく案内」

「お姉さま、気をつけてね」

 同行したいが同行できないマリーが、心配そうに眉根を寄せる。

「お父さまも一緒にいかれるんでしょう?」

「ん? む……私は……」

 クイルは胃の辺りを押さえた。領主なのだが気が弱く、魔物を人一倍怖がるのだ。


「お父さま、お姉さまを一人行かせる気なの。夜なのに!」

 マリーは腰に手を当て、憤慨した。

「お父さまが行かないのなら、私が行きます。誰がなんと言おうと行きます!」

「そ、それは……困る」

 もごもごとクイル。

「だったら、行くと今ここで返事をなさってください」

「う……む……」

 クイルが恐怖と責務で板ばさみになっていると、セラが会話に割って入った。


「マリー、父、館を守る。父、ケガする。みんな困る」

「お姉さまがケガをしたってそれは同じだわ」

 マリーはそういって聞かない。セラはなんとか説得すべく、つたなく言葉をつむぐ。

「マリー、父、からかわれる。父、驚く。落馬。骨折。後頭部強打。昏睡。衰弱。死亡……」

「ひ、ひいいいっ! やめてくれっ! セラっ!」

 クイルは可能性の話に脅えた。口調は淡々としているのに、セラの話はどこか真実味があった。

「マリー、心配無用。大丈夫。安心する」

 マリーの肩にぽん、と手を置くと、セラは兵士をともなって町へとむかった。父親を責めるマリーの声と、情けなく弁明する父親の声が館を出るまで聞こえた。


 馬に乗って、小鬼のいそうなところまで走る。

 町はひどい有様だった。

 割れた窓ガラスが散乱し、樽が坂を転がり落ち、家の壁はタールや汚物で汚れ、家畜が町の外へと逃げていく。

 銀貨や銅貨を盗み出す子鬼もいたし、さながら賊のように馬に乗って走り回る小鬼もいた。盗み出した光り物を奪い合うのに忙しい小鬼もいる。


「すごいでしょう?」

 兵士はまるで悪夢だと天を仰ぐ。セラも同意見だった。これはひどい。悪戯盛りの子供よりも、十倍以上やっかいだ。


「神官のオルガさまも退治に参加してくださっているのですが……」

 そう遠くないところで、目も眩むばかりの白い光がひらめいた。法術の光だ。オルガだろう。この町の神官で、こんなにも力強い光を放てるのは、彼しかいない。セラはそちらに馬首をむけた。


「神官オルガ」

 黒こげた小鬼の散らばった路地に、神官服に身を包んだ中年の男がいた。

 黒い神官服はゆったりとしているので体つきは分からないが、背はそれほど高くない。顔の形は長方形で、目の下が、隈ができているようにうっすら青黒い。禿げ上がりかけた頭に、小さな神官帽をちょこんと乗せていた。


 男は呼びかけられたことに気がつくと、明らかに歓迎していない目をむけてきた。

 だが、そこは大人。すぐにその視線をひっこめる。

「セラ=グレイス。来てくださったのですか」

「呼ばれて飛び出ました」

 よくわからないことを言いつつ、セラは馬を下りた。


「来てくださったのはよろしいですが、どうなさるおつもりでしょう? 小鬼は町のあちこちに散らばりすぎている」

「注意、引く。今、小鬼、過度に興奮。私に気づかない」

 まずは一つ、絶対に小鬼の気を引くようなことをやって、セラの存在に気づかせなければならない。でなければ、いくらセラの体質があっても意味がない。


「どんなことを?」

「案ある。その前に、神官。小鬼、一気に壊滅させる術準備」

 セラは白墨の入った箱を取り出し、オルガにも渡した。

「何を?」

「アメイズの書第五章、聖寵満ちし籠」

 簡潔に答え、セラは黙々と法陣を描きはじめた。

 アメイズの書第五章、聖寵満ちし籠。別名文字の円と呼ばれるほど、円陣の中に書かれる呪文の多い法陣だ。しかし、セラは資料も何もなしで円陣を描く。


「ピュアガトリムの数陣ではいけませんか?」

 記憶に自信のないオルガが申し出ると、セラは手を止めた。

「……計算、苦手」

「……。私が描きます。この方が早いですし」

 セラはすぐに場所を譲った。

 オルガはほとんど手を止めることなく、すらすらと陣を形作る。百を数えたあたりで、陣は完成した。一マスだけ、空欄を残して。


「それで、どうなさるのですか?」

 オルガが指先についた白墨を払いながら尋ねたが、セラは返事をしなかった。すでに、何かの呪文を唱えはじめている。

「えい」

 迫力のない声とともに、空にむかって光球が放たれた。

 光の球は屋根より高くのぼり――轟音とともにはじけた。空気の振動が内臓にまで伝わる。

「きれいですねえ」

 耳を押さえながら空を見上げた兵士が、感動のため息をつく。放たれた光球は色とりどりの小さな光に分散し、雨雫のように地上に降りそそいでくる。


 セラがもう二回ほど光球を空に打ち上げると、キーキーと鳴きながら小鬼たちがむらがってきた。町の四方に響くほどの音と光だ。いたずら好きで好奇心旺盛な小鬼たちの注意がむかないはずがない。


 小鬼は、大人の脛ぐらいの身長しかない。赤ん坊ほどの大きさだ。

 栄養失調者のように腹が膨れていて、肌は赤黒い。手足は木の枝のように細いが、跳躍力が異様にあって、ぴょんぴょん飛び跳ねながら移動してくる。額から角が一本突き出し、ぎょろりとした目が暗闇でも爛々と光っている。


 狙い通り、小鬼たちはセラから香る匂いに骨抜きになっていた。まぶたはとろんと垂れ下がり、敏捷に動く手足も緩慢にしか動かない。

「そろそろ片付けましょう」

 足の踏み場がなくなるほど円陣内に小鬼が集まると、オルガが短剣をぬいた。刀身に聖句が彫られている。


「滅せよ!」

 最後の一マスに、仕上げの数字が刻みつけられる。それと同時に術が発動。青白い光が内から外へと円陣を満たし、セラたちの肌を青く染めた。

 まばゆい青色の光輝は、酔いつぶれたように転がっている小鬼たちを焼いた。焼いたのだと認識できないほど、あっという間に。白い灰と肉の焦げる嫌な匂いだけを残して、小鬼は消える。

「終了です」

 夜風が吹き、小鬼だった灰をさらった。灰はそこらの土と混じって、すぐに見分けが付かなくなった。


「町を見て回ります。セラ=グレイス、ありがとうございました。あなたはどうぞ館におもどりください」

 オルガは慇懃に、しかし反論を許さない態度でセラを追い出しにかかった。

 セラはおとなしく、また馬上の人となった。

 オルガは、セラが自分の周りをうろうろすることを嫌っていた。魔物をひきつけるセラを、不吉で不浄なものだとみなしているのだ。セラはその意見に異論はないし、オルガと争う気はないので、かるく挨拶をしてその場を去った。


「マリーお嬢さまが気をもんでいらっしゃるでしょうね」

 つとめて明るく話しかけてくる兵士に、セラは適当にあいづちを打つ。意識はすでに自己の世界に沈んでいた。


 屍食鬼。ヒュドラ。キマイラ。吸血鬼。小鬼。ゾグディグの森には、昔からよく魔物が棲みつく。そのたびに、人々は力をあわせて退治してきた。


 セラが生まれ、その利用価値に気づいた時、人々は喜んだ。

 喜んだが、それだけではなかった。セラが生まれてからというもの、魔物がゾグディグの森に棲みつき、それを退治して次の魔物が棲みつくまでの間隔が短くなったのだ。


 魔物憑き。


 影で、セラはそう呼ばれる。

 人を美貌で惑わせて食う魔女がいるというが、自分はそれとよく似たものなのだろう。自分は人の代わりに魔物を惑わせ、殺す。

(私はいったいなんなのだろう)

 魔物を殺す人なのか、魔物を殺す魔物なのか。


「……ヒト掛けるヒトはヒト」

「は?」

 兵士が唐突な言葉に目をむくが、セラは反応しなかった。

 自分の両親はれっきとしたヒトだ。その間から生まれたのだから、自分はヒトには違いない、とセラはうんうんうなずいた。せめてヒトとしての道を外さぬよう生きたいものだな、と一人納得する。

「あの……?」

 兵士が不審そうにセラを見る。

 セラは、なんでもないと首をふる。

「異常、なし」

「そ、そうですか。なら、いいんですけど」


「――いや、あった」

「は?」

 もうこの人は訳が分からない、と兵士は情けない顔つきになる。

「ふりむかない。幸せ」

「え?」

 そういわれるとふり返りたくなるのが人情である。兵士は首を後ろへ回した。


「――あ、ああああれはなんでしょうか!」

「小鬼の親分?」


 ずしんずしんと重そうな足音をひびかせながら、成人の三倍はありそうな背丈の魔物がやってくる。

 ほのかな明かりに照らしだされた肌は浅黒く、頭から角を二本生やしていた。腕は柱のように太く、丸太を荒削りしたような棍棒をにぎっていた。トロールとは少し違って、亜種のような感じだった。


「オルガさまのところまで誘導しますか?」

 すっかり気が動転している様子だったが、兵士の意見はまともだった。

 しかし、セラは賛成しなかった。

「誘導している間に町、壊れる」

 現に、魔物は家々の柵やら木を棍棒でなぎ倒していた。セラの香りに惑わされているようだが、破壊衝動はしっかり生きているようだ。興奮しているせいで、効きが悪いのだろう。オルガがすぐに見つかるという保証もないのに、この魔物をつれて町を歩き回るのはいただけない。


「どうするんですか?」

「森に誘導。貴方、援軍連れてくる」

 セラは馬に鞭を打ち、速度を上げた。魔物と離れすぎない程度に。

 森まではそう遠くない。脅えて逃げ惑う人々の間を抜け、セラは館へとつづく道を駆けた。館のむこうに、ゾグディグの森が見える。館の裏手は森に面しているのだ。

 まさかこのまま魔物と一緒に館へ突っこむわけには行かないので、セラは途中で進路を変更した。舗装された道から、ところどころ地面がむきだしになった野へ、暗鬱とした森へ。


 森の入口近くを引き回しながら、援軍を待てばいい。その間に、この魔物がすっかり腰砕けになってくれればいうことないが。


「凝集せよ風、解き放て力」

 短呪を唱えて法術を使ってみたが、いかんせん、相手が大きすぎる。それほどダメージを与えられなかった。セラが知っている法陣を使わずに発動できる術の中では、一番強いものだったのだが。


「むう――む?」

 ぼと、と木の上から何か落下してきた。

「キー!」

 小鬼だった。服にしがみつかれた。さらに、一匹、二匹、三匹。合計四匹の子鬼が服にくっついた。

 ふりはらおうとしても、取れない。小鬼たちはうっとりとした表情でセラに取り付いている。


「ぬ……――む!」

 さらに一匹、降下してきた。それは馬の顔面に落ちた。びっくりした馬はいななき、棹立ちになる。

 セラは降り落とされないよう手綱をにぎりしめたが、馬の動きは激しかった。あえなく落馬する。冷静だったおかげで受身は取れたが、それでも背面の強打はまぬがれなかった。息が詰まる。


「う……」

 早く態勢を立て直して逃げなければ。魔物が迫ってくる。

 セラはひじをついて、身を起こした。身体の節々が痛む。思うように起き上がれない。そうこうしているうちに、落馬のときに離れた小鬼たちがまたひっついてきた。


「むむむ」

 木の幹にすがりながらなんとか立ち上がると、右足のかかとに痛みが走った。ひびでも入ったのかもしれない。

 右足をかばって、不自然な姿勢で走る。当然スピードは落ちて、魔物との距離はたちまち詰まってしまい、セラは魔物に胴をつかまれた。かるがる宙吊りにされる。

「放す」

 無駄と知りつつ、お決まりのセリフを口にしてみた。


 ――ぶはぁ。


 返事はとてつもなく臭い息だった。血の匂いと生臭さとすっぱい匂いが混じった殺人的な口臭。

「不衛生」

 指を突きつけて忠告するが、セラの香りで夢心地の魔物の耳には届いていないようだった。


 万事休す。こうなると、何か危害が加えられる前に援軍が早く来てくれることを祈るしかない。

 魔物が鼻水の垂れている鼻を近づけ、セラの匂いをかぎだす。

「やめる」

 セラは手足をばたつかせて暴れてみたが、徒労に終わった。生温かい鼻息が絶妙な気持ち悪さだった。


「アー……」


 魔物が恍惚とした叫びをあげた。

「ア?」

 突然、視線が一段階低くなった。魔物が地面に膝をついたのだ。

 そして、今度は魔物の身体が傾いた。

 それも、前に。

「う」

 セラは魔物に拘束されたまま、地面へと後ろむきに急降下した。

 眼前には、魔物の胸毛たっぷりの胸。


 まずい。押しつぶされる。嫌だ。嫌過ぎる。あんなノミとシラミが湧いていそうな胸毛に顔をうずめて死ぬぐらいなら、チーズの角で頭をぶつけて死んだ方がマシだ。

「凝集せよ、風。解き放て、力」

 セラは魔物が少しでも正気に返ることを祈って、短呪を唱えた。

 けれども、降下はとまらない。胴をしめつける指の力も弱まらない。

「栄光の光を我に」

 最後に目を灼くような閃光を放って、セラは固く目をつむった。


 あとはもう、神への祈りでもするしかない――そう諦めかけた時、風が、吹いた。


 ただ風と呼ぶのでは足りない。

 強風だった。嵐のような暴風。

 とてつもない質量の空気の塊が、魔物の巨体を後ろへ押し返す。

 木が風に翻弄され、豪快に枝が折れていく。舞い飛ぶ木の葉が視界をおおう。下から放たれた風は浅く地面をえぐり、小石も宙へと放り出された。小枝がセラの頬を引っかき、石のつぶてがふくらはぎを打った。


 魔物は、背中から地面に倒れこんだ。大地が震え、みすぼらしい姿になった木々もゆらいだ。

「痛い……」

 途中で宙に放り出されたセラは、木の上にいた。

 しかし、突然のことに、セラは自分がどこにいるのかも把握していない。無用心に身動きしてしまった。あやうい均衡をたもって枝と枝の間に挟まっていた身体は、枝を盛大に折りながら墜落した。


「……むう……」

 起き上がる気力も無い。セラは地面に仰向けに倒れたまま、首を動かした。

 魔物が気持ちよさそうに喉を鳴らす声が聞こえた。寝ているようだ。

 そして、その脇に。

「じゅ……」


 呪獣。


 暗くて輪郭しか分からなくても、セラには判別が付いた。

 想ってやまない呪獣が、そこにいた。




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