2-8.
王都では、大地の女神がすっかり衣がえを終えていた。すでに恵花月をむかえており、眼下にひろがる草野は若草におおわれ、色とりどりの花々がほころんでいた。
魔人に囚われていたいた村人たちを助け出したあと、討伐隊は大神殿に帰還した。凱旋ではない。魔人はまだ生きていた。逃げられ、行方がつかめなくなってしまったため、一度もどってきたのだ。
「まさか人と魔物が融合するとは……」
ラーウは物憂げにパイプオルガンをみがいていた。
「キマイラの研究は自然の倫理に反する研究。まさしく外道の技です。おぞましい……あの魔人、いったいどんなものになり果てたやら」
ラーウはみがく手をとめ、鍵盤を指先でたたいた。そのまま一曲かなでる。内心が音ににじんでいたが、温和な響きだった。旋律は窓から流れ出て、丘をすべり落ち、礼拝のために丘を登ってきた人々の表情をなごませた。
セラも窓辺で頬杖をつきながら音楽に耳をかたむけていた。
魔人と融合した魔物は、山脈に封印されていた魔物で、ハンターギルドを設立した英雄が封印したものだという。もとは神族で、零落した聖獣らしい。上位の聖獣ではないが、人と比べれば魔力ははるかに高い。
討伐は長引きそうだった。
「首都大司教様が貴女を正式に雇用する話を提案しています。ひょっとしたら、永久雇用になるかもしれません」
悪くない話だ。神殿に雇われれば社会的な庇護も受けられるし、覚えられる法術も増えるかもしれない。神殿という後ろ盾があれば、異端の能力も正の方向に受け止められる。
「ですが、一つ条件がありまして……。私は正直、お勧めできません」
会話に気を取られすぎたのか、弾きまちがえて、和音がにごった。
「ちょっと、あんた! そこの無愛想な仮面人間!」
一曲終わったところで、礼拝堂にだみ声がこだました。ギルドにある宿泊施設の管理人だ。セラは頬杖の姿勢をといた。
「留守中に手紙が届いたよ!」
セラに手紙を投げつけると、管理人はどかっと椅子に腰かけて、ぶつぶつと祈りの言葉を唱えはじめた。
意外と信心深いのだな、とセラは感心した。
「ギルドに巣食う狼藉者たちをなにとぞ罰したまへ……」
祈りがあまりに鬼気迫っていたので、セラはここが邪神の礼拝堂でないことを確かめた。
手紙は故郷からだった。うきうきと封蝋を破る。一文字目でマリーからだと断定し、さらに気分が高揚した。
「……」
セラは下へ下へと手紙を読みすすめていった。
手紙ですか、いいですねえ、とラーウに声をかけられたが、セラは返事をしなかった。
「……」
視点が一点に定まる。
「何が書いてありましたか?」
ぐしゃ。
ラーウがたずねた瞬間、セラは手紙を握りつぶした。
「許すまじ」
セラはすっくと立ち上がった。
「ど、どうしましたか?」
故郷の方向をにらみつけながら、闘志を燃え立たせる。
大事な妹からの手紙は、以下の一文に要約された。
いわく。
――婚約することになりました。
* * * * *
鍛錬場の片隅で、セラは一人呪文をこねくりまわしていた。
セラのそばには風の精が一人つきそっている。法術師は常日頃から精霊としたしみ、同調しやすくしておかなければならないので、セラが呼び出したのだ。
だが、地面に複雑奇怪な紋様や数式を書きつらねているセラのそばにいては、風の精も闇の精に見えた。一心不乱にあやしげな術を構成しているその姿は、まさしく魔女のようだった。
そのただならぬ雰囲気は、たまたま近くを通りかかったカルーの足を止めた。
「今日はいつもに輪をかけて妙な雰囲気をかもし出しているわね」
セラは肯定するべきではないことを肯定した。
ますます妙だった。
「……どうしたのよ。何かあったなら相談にのるわよ? いってみなさいよ」
セラはそっと、マリーから届いた手紙を差し出した。
「手紙? 妹さんから?」
カルーはふんふんうなずきながら読み、あら、と顔をかがやかせた。
「妹さんが婚約? めでたいじゃない」
セラの額に、つつましやかに青筋が立った。
「なんだ、何か嫌なことでもあったのかと思った。お祝いの品を買って故郷に帰ってみれば? もう二年も帰ってないんでしょう? あたしもお金出すから。ね、何にする?」
「白手袋……」
どこから声を出しているのか問い正したくなる地獄の低重音。カルーはびくっと身体をふるわせた。
許すまじ。
セラは手にもっていた木の棒をへし折った。
どこの馬の骨がうちのかわいい妹に手を出したのだ。
手紙によれば、その婚約者とかいう男は身分ある金持ちで、結婚した暁には町に援助をしてくれるという。
手紙には書いてなかったが、セラはある可能性を危惧していた。よもや、マリーは金を盾に結婚を強制されているのではあるまいかと。
婚約者とかいう男に会ったら、まず白手袋を叩きつけて決闘を申しこまねば。男児たるもの女子より強くなくてはならぬ。私に敗れようものなら即刻たたき出してくれる。
ああ、すべては私が悪いのだ。
マリーをおいて家を出、ハンター稼業にかまけて一度も故郷に帰らなかった。新米かつ特異な体質をもつがゆえに思うほど稼ぐことができず、マリーにみじめな思いをさせてしまった。
マリーはきっと淋しい思いをしていたにちがいない。心細い思いをしていたにちがいない。そこに、頭に金貨をつめた口先だけのろくでなしが漬けこんだのだ。
なんたるふがいなさ。
ハンターになってうぬぼれていた。多くの人を守ろうと決意しながら、現実はどうだ。愛しい妹一人守れていないではないか。自分のおろかしさが憎い。憎すぎる。
もしものことがあれば、たとえ相手と刺しちがえようとも仇をとってみせる――セラは妻を寝とられた夫のような気迫を出しつつ、父親のようにマリーを心配した。
「妹さんが心配なの? 大丈夫よ。妹さんの婚約者、エラン=バートリーでしょ? ワルドー御八家の出身じゃない。上流貴族。今年の剣術大会で一位になった人だし、かっこいいわよ。人気もあるわ」
手紙を片手にカルーがはげますと、セラは気持ちだけ舌打ちした。
剣術大会で一位とは。正々堂々戦うのはむりだ。敵はやさしく素直で明るく正直で天使よりもかわいい少女を毒牙にかけようとする、卑劣で愚劣で野蛮で粗野で不誠実な輩である。遠慮はいるまい。闇討ちで決定だ。
「ねえ、セラ、聞いてる?」
闇討ちに適した場所、時間、方法、凶器の隠匿、遺体の処理方法について冷徹に計略をめぐらせながら、セラはうなずいた。
「うなずいてるけど、本当に聞いてる!? なんだか思考が別次元をさ迷っている気がするんだけど!?」
最善策は事故死に見せかけることか――セラはカルーのセリフなど馬耳東風で危険なことを考えていた。
「それ、なに考えてるの?」
カルーは地面に描かれた陣や呪文を指さした。不穏な計画を練っているのではないかと心配そうだ。
「変化の呪文……? それにしちゃ変ね。対象なんなのよ、それ」
カルーのつぶやきに精霊が笑う。いたずらっ子のように。
いくらたずねられても、セラは試作中の呪文について明かさなかった。カルーは断片的な情報からあれこれ推測していたが、やがてあきらめた。
「あんたって本当に考えることが変よねー。基本属性は地、水、風、火、光、闇じゃなくて、風は空気、火は熱と呼び、闇は排し、雷を加えて六属性とする方がいいとかいうし」
腰に手をあてたカルーは、ふと、鍛錬場をかこむ回廊に目をやった。
「あら、あれ――」
呪文に夢中になっていたセラもカルーにならった。
剣士ふうの青年が回廊から鍛錬場をきょろきょろと見回していた。服装は地味だが、よく手入れされた靴を履いていて、身分の高いことが推察された。目鼻立ちのくっきりとしたなかなかの美男子。しかし、軽薄な印象はない。実直そうだ。
「あれって、エラン=バートリーじゃないかしら」
――どごんっ!
誤って、本当に誤って、セラの操っていた風の精は妹の婚約者の腹に体当たりした。




