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2-6.

 兵たちとはなれたところで、セラは一人もそもそとパンを食べていた。


 昼間の暴挙はすぐさますべての兵に広まり、セラは夕方にならないうちから白い目で見られ、お天道様の下を堂々と歩けない身になっていた。

 兵だけではない。町の人々もそうだ。子供から老人に至るまで、すべての人がセラの非道なふるまいを知っていた。

 セラが歩けば陰口が湧き起こり、敵意のこもった視線が飛び、犬がけたたましく吠える。世界中のすべてが敵に回った。


 どうしてこうなるのやら。

 セラはスープをすくった。汁だけが匙にはいった。遮るものなく椀の底が見えた。

 具が一つも入っていない。

 にんじんの一欠けらどころか、じゃがいもの皮すらも。

「……」

 集団迫害だ。


「あ、あの、クリスト様、よろしかったらこれを召し上がってください」

「いえ、私のを!」

「まあ、あなたたち、何を食べさせようとしているの! クリスト様、女王陛下にも献上したチーズです」


 セラが隠れている木箱の裏で、若々しく華やかな、そして熾烈な声が飛び交った。

 積みあげられた木箱の間からそっと背後をうかがうと、十人もの町娘たちがクリストを取り巻いていた。


「果実酒はいかがですか? 特にできのよかったものを持ってまいりましたの」

「ばかね、クリスト様は神官なのよ。そんなものをすすめてどうするのよ」

「甘いものはいかがですか? 自信作なんです」

「あら、なによそれ。あたしの方がうまいわよ」

「なんですって!」


 だんだん険悪になってくる女たちに見つからないよう、セラは身を引っこめた。見つかったら宿敵怨敵天敵とにらまれ、八つ裂きにされるかもしれない。

 それにしてもうらやましい。食べ物がむこうから飛びこんでくるとは。

 セラは苦いものを飲みくだすように、椀を飲み干した。お腹が空いた。


「そこの者たち、危ないからもうもどりなさい」

 掴みあいにまで発展しかけていた女たちを止めたのは、若い神官たちだった。不平満々の娘たちを追い立て、野営地から追い出す。

「まったく、こっちはピクニックに来ているんじゃないんですけどね」

 かしましい娘たちが姿を消すと、若い神官たちは腰に手をあて、やれやれとため息を吐いた。


「ところでクリスト様、食事はお済みになりましたか?」

「バカ、さっき召し上がっていただろう」

「寝床の用意をしておきましたので、ご案内いたします!」

「あ、おまえ、ずるいぞ!」

「クリスト様、よろしければ法術の手ほどきなどを――」

「いや、どうか剣の稽古を!」

「こら、疲れていらっしゃるのに失礼だろう!」


 今度は神官たちの間で争いがはじまった。

 なんなのだ、これは。

 セラはパンをちぎる手を止め、天を仰いだ。あきれるしかない。


「こら! おまえたち! 瞑想をサボって何をしている!」

 とっくみあいにまで発展しかけていた神官たちを止めたのは、ラーウだった。

「とっとともどらんか! ばか者どもが!」

 上司の怒号に追い立てられ、その部下たちは渋々散って行った。


 夜風がさやさやと木々を揺らす。

 ようやく、静寂が訪れた。

 セラは息を吐いて緊張を解き、パンを頬張った。やっと静かに食事ができる。


 昼間のできごとのあと、セラはラーウに聞いてはじめてクリストを知った。

 首都大司教以上の法術を会得した神官、一流の剣士、法王と大陸の王たちによって与えられる聖騎士の称号をもつ人物、将来緋装確定のハンター、聖鳥を連れた稀なる人間、精霊に愛された児、神の寵児、千年に一人の天才――それがクリスト=ジェルドだと。


 一人でそれだけの肩書きをもっていれば騒がれるもの当然だった。出身がオヌのため、この国、ワルドーではまだ知名度が低いが、神殿やオヌではすでに有名人だという。当世の英雄的存在だと聞いた。


 本当に運がない。とんだ人物に恩を受け、しかも礼をいうどころか恨みを買うようなことをしてしまった。


「お食事中ですか?」

 上から降ってきた声に、セラは硬直した。物音一つしなくなったので、当の本人がいることを失念していたのだ。

 まさか話しかけてくるとは。いったい何の用だろう。昼間の雪辱戦であろうか。できれば神に祈りを捧げる時間と、家族に遺書を書く時間が欲しい。正体を知ってしまったあとではもう勝てる気がしない。


 セラがおののいている間に、クリストは木箱の裏へと回り、隣に立った。

 そして、セラにむかって頭を下げた。

「昼間は失礼を」

 セラは膝の上にパンを取り落としかけた。

「戦いもしないうちから、貴女を侮っていました」

 いくらでも侮ってくださって結構だ。それはまちがいなく正しい判断である。だから頭を上げてくだされい。


「隣に失礼しても」

 まさか嫌だともいえないので、セラは同意した。

「改めて名乗らせていただきます。クリスト=ジェルドです」

 丁寧に名乗られ、セラは胸の内で、ひい、と悲鳴をあげた。

 いやいや、こちらは名乗るほどの者ではない。名乗るほどの価値もない者である。頼むからもう何も聞いてくださるな。


「……」

「……」

 セラが動揺のあまり黙りこくってしまったため、なんとも気まずい沈黙が落ちた。

 クリストはセラと同じく感情に乏しい顔つきをしている。しかし、セラほどではない。わずかながら困惑のようなものが浮かんでいるのを見て取って、セラは何かいわねばとあせった。クリストの肩にいる白梟の視線が痛い。


「――昼間は、卑怯なことを」

 やっと出た言葉に、クリストはふしぎそうにした。

「卑怯?」

 なんですかそれは、というクリストの物言いに、セラはまたも、ひい、と悲鳴をあげた。


 ああ、澄んだ青い目がまぶしい。清廉潔白な心根のかがやきに、私の邪すぎる性根が焼かれそうだ。

 全世界に謝らねばならない気になってきた。父様、母様、マリー、ソフィア伯母様、その他すべての人たちよ、こんな卑怯な娘に育ってしまってごめんなさい。


「卑怯、ですか。あれが。私はそうは思いません。卑怯な手段というのは、臆病者が用いる手段。あなたは違う。私に臆してなどいなかった。どこが卑怯者か」

 クリストはセラを見つめながら、率直に感想を述べた。

「私はあなたがどんな手を使ってこようが勝つ気でいました。しかし、負けた。私の負けです。慢心していました」

「……」


 才色兼備、眉目秀麗、品行方正。

 非の打ち所がなさすぎる。セラはむう、と心の中でうなった。これが真の天才というものなのか。敵うわけがない。完敗だ。

「名前を、おうかがいしても?」

 セラは降参の意をこめて、名を名乗った。


「神官長殿から聞いています。めずらしい体質をおもちだそうですね」

 貴方の非凡ぶりに比べれば些細なものですが、と思いつつ、セラは慎ましやかに首肯した。

『できればその力を見ていきたかったが、残念だ』

 白梟の言い方に、セラは内心首をかしげた。

 大神殿の威信にかけて、二度目の失敗は許されない。次でかならずキマイラたちを仕留めなければならないのだから、当然、クリストも討伐に参加するものだと考えていたのだ。


『クリストは協力せぬぞ。というか、できぬのだ。難しい立場にいるものでな』

 セラが物言いたげな目をすると、クリストは事情を説明しはじめた。

「私は――どういったらいいでしょうね、周りから見ると、国の味方です」

 奇妙な言い回しだったが、つまり、国の味方であるということは、嘘ではないが真実でもない、ということなのだろう。


「ワルドーの女王陛下やオヌの陛下と協力関係にあることは確かです。各国の王たちが思っていらっしゃるように、私も大神殿のことを快く思っていません。神殿は政治的権力を肥大させすぎました」

 不穏当な発言に、セラはまわりに人がいないか耳を澄ませた。

 木箱は二人の姿をすっかり隠してくれているので、視覚的に見つかる心配はなさそうだった。


『そういうわけで、神殿側もこれの名声が上がることを快く思っておらぬ。今回の討伐に参加させるなど、もってのほかだろう』

 セラは憮然とした。

 名誉だの体面だの、世の中というのはどうしてこうもややこしいのか。

『我らは明日にもここを離れる。昨夜は酷かったが、今度は大丈夫だろう。神殿兵も弱いわけではない』


 確かにキマイラを倒すことはできるだろうが、被害は少ない方がいい。

『そなたががんばれば良かろう。そなたならできる』

 聖鳥に確信をもっていわれたが、セラは素直に自信をもつことができなかった。

 敵はキマイラだけでない。魔術を使う魔人もいるのだ。一般的に、法術師は魔術師に劣る。


『これに挑んだそなたが随分と弱気だな。シャンリールの娘御よ、そなたは負けぬよ。そなたはすばらしいものをもっている。知恵と、勇気と、そしてもう一つ、法術師にとって、ハンターにとって大切なものだ』

 セラがピンと来ないでいると、白梟は優しく目を細めた。

『人を守ろうとする心だ。そなたの思いに精霊はかならず応えてくれるだろう』


「それでは、健闘を祈っています。また会えるといいですね」

 差し出された手を握り返し、セラは己の手を恥じた。

 握手した手は剣だこで皮が硬く、骨は太く、ゴツゴツとしていて、爪や肌はひどく荒れていた。


「勝負を」

 聞き取れなかったらしく、クリストに顔をのぞきこまれた。

「また、今度、勝負を」

「――よろこんで」

 クリストはわずかながら目元を優しくし、固く手を握った。

 固く交わされた握手に、白梟が物珍しそうに目をしばたかせた。


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