2-3.
出征は芽萌月のなかばだという。
家族にあてて手紙をしたためていたセラは、手を止めた。これは書かない方がいいだろう。危険な仕事だ。父親が寝こむかもしれない。
あとは何を書こうと思案しながら、うすい紙を紙面に押しあてる。余分なインクを吸い取らせるためだ。
クイルやマリーたちには二ヶ月に一回ほど手紙を書いていた。仕事のことはほとんど書かず、どうでもよい近況や、故郷の様子をたずねるのに紙面を費やしていた。
故郷には一度も帰っていないが、復興は順調らしい。
町を魔物から守る結界はなくなったが、森に呪獣がいるおかげで魔物の襲来も受けず平穏だ。
再興の資金は、結界を保持していた魔石から捻出された。魔石はもう魔力をもっていないが、今度は魔力を溜めこめる道具として使えるということで、神殿や商人に買い取られていったのだ。
『最初はみんな暗い顔をしていたけれど、今は前みたいに明るくやっています。お姉さまも一度、様子を見にきてください』
セラはかわいい妹からの手紙をにやにやしながら読み返した。
ついでに心配性の父親からの手紙をあきれながら読み返し、しっかり者の書記官からの手紙をしかめっつらで読み返し、しきりに結婚をすすめる伯母からの手紙をうんざりしながら読み返した。
多種多様な四人からの手紙のおかげで、白い紙面はなんとか埋まりそうだ。
手紙を書き終えると、セラは故郷の方角にむかうハンターを捕まえ、いくらか金をそえて手紙を託した。
一仕事終えると、セラは資料室に足をむけた。今度の討伐に関する情報を集めるためだ。
「おっやー? 甘い香りがすると思ったら……やっぱり君か」
ヴェルシャン山脈付近の地図を探していると、蒼装のハンターがやってきた。セラの研修中に教官をつとめていたハンターだ。
片目が爬虫類のような目をしている教官は、セラに近づき、退いた。魔物と契約している彼はセラの香りが有効なのである。
「悪霊退散、悪霊退散、神よ、なにとぞこの身をお守りくださいませ……」
教官はセラにお札をつきつけた。効果はないのだが、この教官にとってセラは天敵であり悪魔の権化にひとしい。
セラは研修中、半径三メートル以内に近づくべからず、風上に立つなとさんざんいわれた。うっかり近づこうものなら悲鳴をあげられ、お札を何十枚もはりつけられ、鬼、悪魔、冷血漢、鉄仮面、黒魔女とののしられる騒ぎになった。
「ここになん用だい」
「ヴェルシャン山脈の情報を」
「ヴェルシャン山脈? なんで君が」
神殿からひそかに依頼を受けたと打ちあけると、教官は納得いった声をもらした。
「ああ、あれのことか。変だと思ったやつだ。神殿がハンターギルドに依頼しなかったから」
セラは眉根を寄せた。
神殿には独自の兵がいるというのに、ハンターギルドに依頼をするとは。
「神殿兵はほとんど出兵しないよ。魔物退治の依頼を受けても、ハンターギルドに安く仕事を頼めるからね。知らなかったのかい?」
ハンターギルドは神殿から法術を教えてもらっている。そのため、神殿からの依頼は格安で請け負っているのだ。
――ということは。
今回のわざわざ出兵するのは、神殿の威光を示すためというわけだ。
五年も無視しつづけていたのに、突然出兵することにした意味をセラは悟った。
「ここのところ、大神殿は権力争いのせいで醜聞だらけ。民衆に心象悪いからね。名誉挽回というわけかな」
教官は先輩らしい顔つきになり、セラに釘を刺した。
「絶対にでしゃばらないように。手柄は神殿にゆずることだ。神殿とゴタゴタ起こされると、ハンターギルドは困るんだから」
セラは素直にうなずいた。
変な体質をもつ身として、神殿ににらまれたくない。へたをすれば故郷の二の舞だ。
「ちなみに、ヴェルシャン山脈周辺の資料は全部貸し出されたよ。一足遅かったね」
「教官、情報」
一歩踏み出すと、教官は恐怖に上半身をのけぞらせた。
「知らない。知らないといったら知らないぞ。窓。窓はどこだ。新鮮な空気をっ。もっと新鮮な空気をっ!」
香りに耐え切れなくなったらしく、教官は資料室から走り出ていってしまった。
「……」
セラはちょっと悲しくなった。
そして、申し訳なく思いつつも教官の後を追った。資料がないのなら、現役のハンターに話を聞くしかないのだから。
「このいじめっ子、いたいけな魔物をいじめて何が楽しい!」
教官は威厳もへったくれもなく脅えた。壁にへばりついている。
「情報もらう。去る。話す」
「それは脅しか!? 脅しだな!?」
セラは首をふったが、教官は聞いていなかった。
「この血も涙もないやつめ! いいだろう、全部話してやるからそれ以上近づくんじゃないぞ!」
たいへん不本意な誤解をされたが、こだわっていては話が進まない。セラは甘んじて脅迫者の汚名をかぶった。退治に出かける前から甚大な被害を受けている気がした。
「ヴェルシャン山脈は国の北方に位置する山脈で元は水竜の住処だったらしい魔人は氷の精霊を使うらしいから当然火の攻撃が効くわけだだからたくさん炎系の魔法道具をもっていくんだぞ。それから――」
すばらしく早口な説明だった。
すべてを説明し終わるのに五回しか息継ぎをせず、聞いていたセラも息が苦しくなった。説明が終わると、教官と一緒に何度も深呼吸をした。
「どうだ、これでいいか」
息も絶え絶えな教官の声には、これでもう勘弁してくれという叫びがこめられていた。セラは勘弁して、二、三質問して早めに会話を切り上げた。
「しっかし、割に合いそうにないことをよくやるね。まあ、君の空ぶりは俺にとって嬉しいことなんだけどさ。ざまあみろだ。心の底から」
「……」
教官は自分に率直である。
セラは腹立ちまぎれに一歩踏み出した。
「ひっ! やめろっ! 近づくなあああっ!」
教官は絶叫しながらどこかへと去って行った。
* * * * *
出兵当日。
セラが大神殿に行くと、すでに兵たちは隊列をととのえていた。
討伐隊は国軍よりも充実した装備をもっているようだった。
鉄の武器は真新しく、朝日を誇らしげにはね返している。防寒用のマントは分厚く、毛皮の縁取りまでついていた。荷馬車は十分な食料をつんでおり、それをひく馬も毛艶がよい。
神殿がこれほどまでに富んでいるのは法術の技術を独占しているおかげだ。
法術は神殿以外での研究が禁じられている。呪文や技術の教授も神殿の管理下にある。
すべては人外の力である法術をみだりに使用させないためだ。法術という技術が生まれたとき、もっともその管理に適していたのが神殿だったのだ。
そのため、法術の技術は今も神殿が独占している。技術を伝授するさい、高い礼金を要求してもまかり通る。人の力のおよばぬ魔物が跋扈するこの世界で、法術は人にとって無くてはならないものだから、国やハンターたちはいわれるままに払うしかなかった。
兵たちは見送りにきた人と言葉を交わしていた。
ラーウも見送りにきたと思われる修道女と親しげに話していたが、セラの姿に気がつくとかるく手をあげた。
「おはようございます、グレイス殿」
セラはラーウの挨拶にこたえ、隣の修道女の目をとめた。
「ご紹介しましょう。私の連枝です」
耳慣れない単語だった。セラはラーウを見上げる。
「神職に籍をおく者は生涯にただ一人、神以外に愛することのできる人を得られます。愛し、うやまい、仕えるべき人を。それを『連枝』と呼ぶんです。彼女は私のそれです」
実質的に妻といっても差しつかえがありませんけど、とラーウは苦笑いした。連枝とであれば家庭を築くことができるからだ。
「もちろん、連枝を得るには厳しい条件がありますし、ふつうの婚姻以上に背負うものも多くなります。
ですが、連枝をもつことは私たちにとって大変意義のあることです。連枝をもつことで分かることがある」
ラーウと修道女は仲睦まじそうにほほえみあった。セラは上着を一枚脱ぎたくなった。
熱い。熱すぎる。二人を中心としてじわじわと熱が伝わってくる。
まわりにいる神官たちも服をばたばたと揺らし、ほてった頬に風を送っていた。
「君がセラ=グレイスか」
野太い声に、その場にいた神官たちが慌ててひざまずいた。
「首都大司教様です」
セラに耳打ちし、ラーウも地面に膝をつく。セラもぎこちなく神官たちにならった。
首都大司教はでっぷりと肥えた身体をしていた。神官服は灰色だ。位が高くなるほど、神官服の色は白に近づくのだ。
位はラーウよりも二つ上である。そうそうお目にかかれる存在ではない。
「君の話はラーウから聞いている。なんでも、魔物を惹きつけるとか」
首都大司教はたるんだ頬をかきながら問うた。口調は何気なかったが、敵意を抱いているのか好意を抱いているのか定かではなかった。
「それが事実ならばありがたい。此度の出征は今までになく危険が多い。君も分かっているだろうが」
「人として当然」
言外に危険を承知でなぜ受けたとたずねられ、セラは真人間らしい答えを返してみた。
「なるほど、すばらしい心がけだ」
うさんくさそうに見られた。
「……」
一度使ってみたかったセリフだったのだが。
「君が私たちの助けであることを願っているよ」
なんとも信頼感にとぼしいセリフだった。セラは内心、嘆息する。
「さ、そろそろ行きましょうか。よろしくお願いします、グレイス殿」
出発を知らせるラッパが天にむかって高々と鳴りひびいた。
部隊は人々の歓声を全身に受けつつ歩き出した。




